解説 |
『南城市の御嶽』掲載資料。
別称、カナ殿。手登根前原の国道331号沿いに位置している殿。字手登根の神谷門中[カナムンチュー]と字津波古の神谷門中の拝所となっている。『由来記』巻13-287には神谷之殿の記載があり、「稲二祭之時、シロマシ・神酒壱半宛(百姓)、供レ之。同巫祭祀也。白米壱升宛、百姓ヨリ巫ヘ遣也。且、祭前日晩ヨリ祭日朝迄、居神壱人、一汁一菜ニテ百姓ヨリ賄仕也。」とある。稲の祭り、つまり五月[グングヮチ]・六月[ルクグヮチ]ウマチーが、手登根ノロにより執り行われ、その際、シロマシと神酒が百姓から供えられていた、ということがわかる。「旧暦5月15日のウマチーにはノロを先頭にして各殿をまわり、儀式が行われた。殿をまわる順序はミンバルの御神→ノロ殿内→手登根殿→東風平殿→カナ殿→ナコー殿で、大正時代までは朝神(アサカン)、夕神(ユウカン)といって1日に2回まわったという。各殿をまわる時はノロの神衣装を馬に乗せて行く。馬は5月には手登根ムラから2頭、6月には手登根、平田ムラから各1頭出し、提供者には50銭(昭和初期)の手当があった。ウマチーに供えるウンサク(御神酒)は、字内を南組、北組、中組、旧平田の4組に分けて作り、南組は手登根殿、北組は、ナコー殿、中組はカナ組、旧平田は東風平殿にそれぞれ供えた。ウンサク(御神酒)はサカテイ(酒手)として米を一合ずつ集め、組頭の家で作った。旧平田はカナ(神谷家)で作った」。
※拝所のなかには、私有地に位置するものもあります。無許可での立ち入りや迷惑行為は慎んでいただくようにお願いします。 |