解説 |
『南城市の御嶽』掲載資料。
平田原にあり、平田殿[ヒラタドゥン]とも呼ばれる。平田子[ヒラタシー]の子孫とされるカナヒチ(神谷・平田姓)の拝所という。1903年に廃村となり、一部が手登根に編入された旧平田村の殿。平田村には東風平主[クチンダスー]が最初に住みついたとされる。「東風平殿」と書かれたプレートには「佐敷主 東風平主 渡嘉敷主 元家神谷家」と並列に記され、その右側には「左之御三方御兄弟佐敷間切御創立之神々」と書かれている。『由来記』巻13-284に「東風平之殿」(平田村)とあり、「麦初種子・ミヤタネノ時、平田里主所火神ニ同也。稲二祭之時、シロマシ・神酒壱宛(百姓)、供レ之。同巫祭祀也。」と記されている。麦初種子・ミヤタネノ時には、平田里主所火神を祀る時と同様、花米九合・五水四合・神酒壱といった供物が百姓より供出された。なお、手登根ノロの管轄下で祀られた。現在は、ウークイの際の古式エイサーが奉納される。敷地内には、向かって右手に井泉[カー]跡と思われる拝所があり、そこにある石碑に「殿森川碑 2009年十月吉日」と刻まれている。左手には3つの小祠が祀られていて真ん中の祠の中にある石には「殿のクサティ御嶽」とかかれている。また、左側の祠の石には「豊年満作」と表記されている。
※拝所のなかには、私有地に位置するものもあります。無許可での立ち入りや迷惑行為は慎んでいただくようにお願いします。 |