解説 |
『南城市の御嶽』掲載資料。
ムラの始祖の1人、外間子[フカマシー]の屋敷跡といわれている。公民館から南西、約500~600mの上津波古原に位置し、周囲は畑や林に囲まれている。建物手前にはコンクリート製の香炉が、建物奥には石が3つ置かれた火ヌ神と思われるものとそのすぐ手前に陶器製香炉が北北西に向いて設置されている。建物内には「外間殿寄付金御芳名」が門中ごとにまとめられて記載された板が掲示されている。建物正面右手には「應氏 外間殿 昭和五十六年十一月吉日建立」と記されたプレートがはめ込まれている。津波古で稲大祭(六月ウマチー)が行われない理由について『由来記』巻13-304「外間殿」でその由来が記されている。また「麦初種子・ミヤタネ之時、花米九合・五水四合(百姓)。稲穂祭之時、シロマシ・神酒二(百姓)、供ㇾ之。バテン巫祭祀也。祭前日之晩ヨリ祭之日朝迄、居神九人ヘ一汁一菜ニテ自百姓賄仕也。」とある。百姓から供物が供出され、場天ノロの管轄であったことが分かる。現在御願解きの際に字で参拝している。字のビンシー、酒、米、白紙、ウチカビ、線香、供物として果物、ウチャヌク(餅)、重箱が用意される。
※拝所のなかには、私有地に位置するものもあります。無許可での立ち入りや迷惑行為は慎んでいただくようにお願いします。 |