解説 |
『南城市の御嶽』掲載資料。
集落の北西にある傾斜面の中腹にある井泉。現在も湧水している。以下の話が、『由来記』巻13‐304「外間之殿」の項、『遺老説傳』に記されている。多和田[タータ]家の多和田ハンヂャナシーという老女が、多和田井泉で水を使っていると旅人が「水を飲ませて下さい」と言って来た。老女は、茶碗の片方を欠き、欠いた所から水を薦めたので、旅人がその訳を問うと、「茶碗を欠くのは、その部分を清めるためなのですよ」と答えたので、旅人は老女の心遣いに感激し、「このムラに、困った事はないか」と尋ねた。老女が「2つあります。1つは、ウマチーが2回もあるということ、あと1つは、五穀の種を乾かしている時、突然雨が降ることです」と答えると、旅人は「今後この村には、5月と6月は雨は降らない。また、ウマチーを2回しなくてよい」と言い残して立ち去ったという。この旅人は神様で、老女の願いは叶えられたという。以来、津波古ではウマチーを1回で済ますようになったという。これが津波古で稲大祭(現在の六月ウマチー)が行われなくなった由来という。「外間之殿」は津波古ノロにより「麦初種子・ミヤタネ」、「稲穂祭」が司祭された。
※拝所のなかには、私有地に位置するものもあります。無許可での立ち入りや迷惑行為は慎んでいただくようにお願いします。 |