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解説 |
『南城市の御嶽』掲載資料。 多和田子[タータシー](津波古の創立者四元[ユムートゥ]の1 人)の住居跡といわれる。馬天小学校西方の傾斜面の中腹の草むらの中にある。「その祖は、察度王代(1350~1405年)東島添大里の港(現在の与那原町当添)の監督官として派遣された」という。『由来記』巻13-306の「多和田之殿」に相当するとみられる。「多和田之殿」では、津波古ノロにより「麦初種子・ミヤタネ」、「稲穂祭」が行われた。2010年頃に多和田子にウンチケーされた。現在は多和田子から遥拝される。天候が悪い時等は、公民館から遥拝することもある。 ※拝所のなかには、私有地に位置するものもあります。無許可での立ち入りや迷惑行為は慎んでいただくようにお願いします。 |
大分類 | 写真 |
小分類 | デジタルデータ |
資料コード | 000000 |
内容コード | C000005625 |
点数 | 1 |
資料群 | 『南城市の御嶽』関連資料 |
資料タイトル | ー |
年代区分 | 2010年代 |
キーワード | ウタキ文化財市町村史 |
場所 | 佐敷-佐敷 |
撮影年月日 | 2017/03/24 |
責任表示 | 南城市教育委員会 |
出典 | 南城市教育委員会(編) 2018 『南城市の御嶽』南城市教育委員会. |
情報登録日 | 2023/02/03 |