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芸能のまち前川の今

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芸能のまち前川の今
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琉球大学人文社会学部琉球アジア文化学科
2022年度琉球民俗学野外実習 チームB(宮里・キシモト・澤岻)

1.はじめに

 私たちは、琉球大学人文社会学部の琉球民俗学を学んでいる学生です。私たちは、かつて「芸能のまち」と呼ばれていた南城市前川の芸能に強く興味を持ち、集落の方々にインタビューをさせていただきました。そこでは、芸能の詳細だけでなく、経験談や後継者不足に直面しているということ、集落の芸能への思いなどを聞くことができました。前川には南城市の無形文化財に登録されている芸能も数多くあります。1993年6月24日、寄鍬(ユシグェー)やアヤグ、長者の大主は南城市の無形文化財に登録されました。私たちは、「もっと多くの人に前川の芸能の魅力を知ってもらいたい!」という思いのもと、この記事を完成させました。かつて、前川には多くの芸能がありましたが、時代の変化や後継者不足によってその数を減っていると言います。今回は、前川に残る芸能のうち、スーマチ、寄鍬、アヤグ、長者の大主を紹介します。

2.スーマチ(団体棒)は難しかった!?

 

写真1スーマチ円を描いている様子
写真2. スーマチ棒打ちの様子

 スーマチは、百名以上で演じられる団体棒のことです。カジマヤーや250周年祭のときに演じられてきた芸能のひとつです。衣装は、マンサージ(紫色のハチマキ)や白シャツ、半被、脚絆からなります(図1)。棒は、6尺(180㎝)と4〜5尺(120〜150cm)と、3尺(90cm)の3種類があります。これらの棒は、前川むらやー(前川集落の公民館)に保存されています。ドラや太鼓、指笛に合わせて赤と白に分かれて円を描いたり、棒を打ち合ったりして技を見せます。団体で動くことによるダイナミックな動きが、そして個人の演舞ではキレのある棒使いが魅力的な芸能です。
 スーマチの演舞の経験がある大城さん(1942年生まれ)によると、「披露する日の2か月前くらいから公民館前に集まって練習を始めます。演舞するときは、内回りと外回りの円があって少しでも間違えるとぐちゃぐちゃなってしまい、大変でした。また、棒の打ち合いが上手くいかず、けんかになることもしばしばあったが、それも今となってはいい思い出です」と楽しそうに話します。

▶カジマヤー…旧暦9月7日に97歳の長寿を祝う行事です。カジマヤーは、童心に戻ったという意味で、本人に風車を持たせお祝いをしたのが始まりと言われています。

▶250周年祭…1986年(昭和61年)11月3日に集落で行われた祭りの一つです。南城市玉城前川集落は、かつて糸数グスクの南麗にありました。しかし、土地が狭くなり、1736年に南西3㎞に位置する現在の場所に新たな集落を形成しました。それから250年が経った1986年、村の移動から250周年を迎えるにあたって、記念祭が実施されました。この式典は、前川の伝統芸能を披露し、後世へ継承する場ともなりました。

図1. スーマチの衣装 (250周年祭の映像をもとに澤岻が作画)
図2. スーマチの足元(250周年祭の映像をもとに澤岻が作画)

3.沖縄でも前川だけに残る寄鍬!

写真3. 寄鍬の演舞

 寄鍬は、ユシグェーと読みます。農作業を演劇化したもので、多くの人物が登場する芸能です。旧玉城村前川誌(1986年)には「鍬で畑を耕し、ウズンビラで田を掘り起こす勤勉な農民たちが、遊女を連れて遊びに行く役人をちょっとからかうというユーモアに富んだ劇」と説明されています。
 南城市無形民俗文化財にも指定されており、現在は4年に1度演舞されています。写真で目を引く道具は、農作業に欠かせない鍬や、前川ではウズンビラと呼ぶ芋を掘るヘラです。演舞では、このような本物の農具を使用しています。このような様子からも、他の地域ではあまり見られない貴重な芸能ともいえるでしょう。農耕具をかざしながら、銅鑼や太鼓の音とともに体を動かしたり、演劇をしたりします。男性の力強い掛け声も注目すべきポイントです。
 最近では、2019年10月12日の観月会で7年ぶりに復活上演されました。前川では若い世代が少なくなり、芸能の継承者も減少しています。寄鍬も継承者不足のため、演じられなくなった芸能の一つでもあります。しかし、地域の方々から、前川の寄鍬の復活を希望する声が多く上がり、青年会とOBの力を借りて見事復活を遂げました。大城さんは「当日は曇りで風が強い中での演舞だったが、7年ぶりということもあり、演舞者、見物人ともに感動した」とおっしゃっていました。

▶ウズンビラ…芋などを掘るためのヘラで、深耕するために使った。古い農具で、現在は使われていない。
▶南城市無形民俗文化財…1993年(平成5年)6月24日に、前川の芸能のうち「寄鍬」「アヤグ」「長者の大主」の3つが登録された。

なんじょうデジタルアーカイブでは、演舞の映像が公開されています。ぜひご覧ください。

4.青年の力強さに目を惹かれるアヤグ

 

写真4. アヤグ

 前川のアヤグは、宮古民謡である「アヤグ」の旋律に踊りをつけて舞踊化したものです。1872年に首里勤めを終え、前川に戻った赤嶺治八によって創作されたと言われています。顔には口ひげを描き、頭には紫の鉢巻を結び、腰に煙草入れを下げた格好で、前川区の青年会により踊られます。農作業を終えた若者達が、腕試しや力試しをしている勇姿が描かれています。青年が肩を組む振付は、村の発展のためには共同の力が一番だということを表現しています。
 前川では、各行事や結婚式の出し物でもアヤグが行われてきました。結婚式で演舞されたときは、アヤグの踊りを知っている観客が一緒に踊り出すほど盛り上がったそうです。
 前川区芸能保存会では、アヤグの演舞の依頼があると、地域外からであっても積極的に参加しているそうです。2017年には国立劇場おきなわの「沖縄本島民俗芸能祭」でも演じました。アヤグの練習は、学校や仕事が終わった夕方に公民館で行いました。最近では、2019年の月見会で演じました。前川区芸能保存会では、現在でも昔の伝統的な踊り方を受け継いでおり、前川のアヤグを未来に残すという熱い思いのもと、若者にアヤグの指導を行っています。

琉球新報にも、次のような記載がありました。

「幼い頃からアヤグを踊るのが憧れだった」と思い出を語るのは青年会OBの徳田高男さん(41)。現在9人で活動する青年会の大城徳也副会長は(23)は「輪になった隊形から肩を組むところがかっこいい。踊りをなくさずに、下の世代に引き継いでいきたい」と力を込める。自身も19歳から踊ったという保存会の知念孝行会長(76)は「今でもアヤグを見ると感動する。青年会は積極的に伝統を守ろうとしてくれている。青年会が頑張ってくれる限り、継承されていくはずだ」と太鼓判を押した。

『琉球新報』2017.1.1

 アヤグは、現在でも地域の人々に親しまれている演目のひとつだといえるでしょう。前川の集落内には、アヤグを演舞する人々のデザインが施されたマンホールがあります。ぜひ、前川に足を運んで、アヤグ・マンホールを探してみてください。

なんじょうデジタルアーカイブでは、「アヤグ」の映像が公開されています。ぜひ、こちらもご覧ください。

5.長者の大主

 

写真5. 長者の大主

「長者の大主」とは、大主(ウフス)がたくさんの子や孫を連れて、畑めぐりをしている時に、琉球の神話に登場するアマミキヨに出会い、五穀の種を授かると同時に、107歳である大主は長者の位を授かります。そして、大主は自分の子供と親雲上(ペーチン)、筑登之(チクドゥン)の3者にいいつけ、種を万人に広げるという物語です。
 長者の大主は、沖縄各地で行われている芸能です。しかし、アマミキヨが登場するのは前川の長者の大主だけです。また、一般的にアマミキヨは女神だとされていますが、前川の長者の大主は男性によって、男っぽい服装で演じられます。前川では、戦前は女性が芸能をするのはよくないこととされていたため、男性により演じられていたのではないかとされています。
 前川では、カジマヤ―祝いや敬老会で「長者の大主」が演じられたそうです。最近では2016年2月に、前川むらやー落成式で演舞されました。演じられる日取りが決まると、2ヵ月ほどかけて練習をしました。経験者が若い世代に教えたそうです。若い世代は先輩方のアドバイスを受けながら練習を重ねました。このように地域の芸能を受け継ぐことで、地域の人達が結束していったそうです。芸能は前川にとって地域の絆を結ぶ役割も担っていたといえるでしょう。

▶大主(ウフス)…父方の一番上の伯父。
▶親雲上(ペーチン)、筑登之(チクドゥン)…両者とも廃藩前の位の名前。
▶アマミキヨ…琉球列島の創造神。

6.前川の芸能と住民のつながり

 これまで見てきたとおり、前川の芸能と住民の結びつきは強いものでした。老人会や婦人会、青年会、子供会など、その組織ごとに演舞が行われてきました。そのなかでも、前川青年会は大きな役割を果たしています。前川の芸能には、アヤグや寄鍬、スーマチなどがあり、その多くは青年会によって演じられてきました。
 前川青年会は、1946年に設立されました。芸能活動以外にも、青年会にはスポーツ大会など、親睦を深める活動がありました。特に芸能活動は練習期間が2週間から長いものは2か月ほど時間を要するなど、チームワークが演目のできに直結しています。このような芸能活動は、青年会に属する若者たちにとって、地域に生きる仲間たちとの共同の場でもありました。
 青年会の練習は、主に公民館で行われました。このため、芸能に使用される道具は公民館に保管されています。そして、公民館まつりや玉城村文化協会芸能発表会など、地域の行事の準備には青年会だけではなく、前川区伝統芸能保存会の会員をはじめとした多くの住民の協力がありました。聞き取りによると、戦後の前川では小道具である花笠などを製作する住民もいたそうです。
 以上のことからも、芸能は青年会だけではなく公民館などの地域住民・組織の協力によって成り立っていたことがわかります。つまり、前川の芸能は、地域住民や集落の各組織が交流する機会でもあったと言えるでしょう。

7.前川芸能の継承問題

 

写真6. 前川区伝統芸能保存会の旗

 前川にはいくつもの芸能が存在し、そのような芸能を保存・継承する組織が存在します。その一つが前川区伝統芸能保存会です。前川区伝統芸能保存会は、1974年に芸能という貴重な「遺産」の保存を目的に結成されました。前川区伝統芸能保存会ではアヤグや寄鍬など9つの郷土芸能を保存種目に指定し、伝統の保存を目的とする取り組みが行われていました。また、青年会では保存だけではなく、実際に演じることによって技術を継承する活動を行っています。前川区在住で当時の青年会を知る大城さんは、青年会の活動が盛んであった1953年(昭和28)頃から1988年(昭和63年)頃までは青年会には20人ほどの若者が在籍していたと言います。しかし、近年では若者が地域から離れ、青年会在籍者の人数も年々減少しています。30年ほど前では青年会の在籍は高校生から許可していたと言いますが、現在は人数不足の為、中学生からの参加も許可しているそうです。さらに、人数が足りない演目には、青年会OBも参加するようになったと言います。 
 このように青年会の人員不足は伝統継承の危機に直結していると言えます。前川区伝統芸能保存会の役員を勤める大城さんは「アヤグや寄鍬、長者の大主の三つは後世に伝えていきたいが、残りの芸能(しゅんどう、テインベー、スーマチ棒、舞方棒、八重瀬組踊、花売の縁)は継承が難しいのではないか」と、継承について危惧しています。現在、前川区伝統芸能保存会では伝統的な芸能を受け継ぐ取り組みとして、特にアヤグを演じる若手の起用とその指導を行っていると言います。また、芸能の継承は前川区伝統芸能保存会だけではなく、保存会に属しない地域住民の存在も重要です。2019年10月12日の観月会で寄鍬が7年ぶりに演じられましたが、この復活は地域住民の強い希望によるものでした。芸能の継承とは、演じることを通じて行われます。しかし、その一方で、前川の寄鍬の復活の事例から、伝統芸能の継承には演者だけはなく、地域住民も大きく関わっていることが分かります。 

8.感想

 今回の記事では南城市前川集落の芸能をいくつか紹介しましたが、いずれも地域に根付いた芸能であり多くの練習期間を要する高度な演目です。そのような演目を実演するためには個人練習だけではなく、集団での練習やOBをはじめとした人から技術継承が必要です。今日までの前川芸能はそのようなコミュニティーの存在によって支えられており、また寄鍬やアヤグといった演目は農耕文化を象徴する演目であり、地域の生業に根付いた芸能です。このように地域性を多く含んでいるのが前川芸能の魅力であることが分かりました。(宮里)

 アヤグについて調べる際、最初は文字資料や写真から芸能について調べていましたが、実際にユーチューブや公民館から借りたDVDの映像を見て、文字資料や写真だけでは伝わらないアヤグの迫力に魅了されました。前川のアヤグは、最初はゆっくりと登場するのですが、しっかりと動きにメリハリがあり引き込まれました。また、最後に全員で肩を組みはけるシーンがあり、演者の掛け声や足がそろっていて感動的でした。近年はコロナの影響もあり、実際の演技は見ることができませんでしたが、生の演技を見てみたいと思うような芸能でした。このような芸能を継承していくために、今回の記事でたくさんの人に前川の芸能の魅力を伝えられたらと思います。(キシモト)

 前川字誌を読んで、大まかな地域史を知ることはできました。さらに、フィールドワークやインタビューを通して、前川の歴史、芸能、人々の営み、自然環境をより知ることができたことがよかったです。寄鍬という芸能が、一番印象に残っています。かつては毎年恒例の行事であったものが、時代の変化とともに少なくなってきてしまいました。文化や芸能の継承の意義は、人々が団結でき、地域が心のよりどころとなることにあると考えています。素晴らしい芸能が、これからも継承されていってほしいと強く思います。(澤岻)

参考文献

内間安希(2017)「〈つなぐ伝統の灯〉守るぞシマの芸能/継承の熱地域結ぶ/南城市玉城村前川アヤグ/青年会『団結』誓う」『琉球新報』2017年1月1日,本紙,p59.
玉城村前川誌編集委員会(1986) 『玉城村字前川誌』玉城村前川誌編集委員会.

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デジタルアーカイブを活用した大学教育プログラム
A班「南城市前川のお墓と門中のこと」
C班「古写真の謎を追って 前川年中行事・250周年記念式典」
D班「前川婦人会における地域交流」
E班「前川の公民館ってどんなところ?」
F班「古写真からみる前川の農業と簡易水道の変遷」