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【レポート】2024年「戦争体験証言を用いた教材開発ワークショップ」

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【レポート】2024年「戦争体験証言を用いた教材開発ワークショップ」
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2024年8月1日(木)南城市役所にて、「戦争体験証言を用いた教材開発ワークショップ」を行いました。
現在、戦争体験者の高齢化、減少などにより、学校現場においては戦争体験者の講話を中心とした平和学習が難しくなっています。このワークショップでは、市が調査・刊行した戦争体験証言等を活用し、平和学習の教材開発をするノウハウを共有することを目的に開催しました。

対象は市内の小・中学校の教員らで、19名が参加しました。講師は琉球大学教育学部教授の山口剛史氏、サポーターとして『南城市の沖縄戦 資料編』、『南城市の沖縄戦 証言編―大里―』の編集に携わった山城彰子氏(北中城村教育委員会)をお招きしました。

ワークショップは2部制で、第1部は『南城市の沖縄戦 資料編』を活用したディスカッション、第2部は、戦争体験証言から教材を開発するグループワークを行いました。参加者は所属校のエリアごと(玉城、知念、大里、佐敷)のグループに分かれて作業を行いました。

第1部

(1)はじめに「資料から読み解く南城市の沖縄戦について」(山口氏)

 第一部のはじめは、山口氏が「市町村史を使って沖縄戦を読み解く意義」を解説しました。来年で沖縄戦から80年となり、当時小学1年生でも85~86歳と高齢になっていることに触れ、学校現場では「体験者から直接沖縄戦の話を聞く」といった従来の平和学習から、「沖縄戦研究者による特設授業」という学習方法に変化しつつあることを述べました。
 また、沖縄戦の学習において「子ども達が、あの場所・この場所と指をさしながら考えられる身近さを持つことが、子ども達にとっても意味があり、意欲が高まることである」、「自分たちの命がどのようにして繋がってきたのか、ルーツを確認することもできる大事な学習である」とし、地域の証言を題材にすることの重要性を伝えました。続けて「今回のワークショップで地域を題材にした平和学習の授業を作ってみる・取り上げるきっかけとしてほしい」と話しました。

写真左:山口剛史氏 右:山城彰子氏

(2)「平和の礎」戦没者名簿の空間分布復元図から見る南城市の沖縄戦(山口氏、文化課職員)

 続いて、『南城市の沖縄戦 資料編』に掲載されている、「平和の礎」戦没者名簿の空間分布復元図を使ったディスカッションを行いました。文化課職員より復元図の作成目的、データ処理方法について説明しました(詳細は資料を参照)。その後、各テーマ分布図を見ながら、グループごとに図から「わかったこと」「疑問に思ったこと」を議論し、発表しました。

【資料】「平和の礎」戦没者名簿の空間分布復元図について

グループ1
グループ2
グループ3
グループ4

発表では、下記のような「疑問」があがりました。

■各村別の戦没分布図を見て、糸満方面に固まっているもの、知念方面に移動しようとしているものの大きく2つに分かれている。糸満方面と知念方面に分かれた理由や全員でまとまって移動したのはなぜか?

■佐敷・知念出身者は村内に留まって戦没している人が多く、玉城・大里出身者が南部へ移動して戦没している人が多いのはなぜか?

■知念地区の戦没状況を見て、他村出身者と比べて北部に逃げる人が少なかったのはなぜか?海からの砲撃を先に受けたのが知念地区なのか?

■8月以降の戦没者がヤンバルと南城市のほうで多いのはなぜか?8月以降は収容所の中での死亡か?

(3)南城市の沖縄戦の特徴について(山城氏)

 各グループの発表後、山城氏が発表で出た疑問に答えつつ、南城市の沖縄戦の特徴について解説しました。
 山城氏は「南城市は玉城、知念、大里、佐敷の4地域それぞれで戦争体験が異なる」、「南城市全体での沖縄戦の特徴を取り上げようとすると非常に難しい」とし、南城市を題材にした平和学習をするうえで最初の壁になること、それを踏まえて自分がいる地域の特徴を掴むことが大事であると述べました。

グループディスカッションであげられた「疑問」に対する解説

■知念・佐敷と大里・玉城で、知念方面または糸満方面へと行動が分かれている点について
・1945年5月21日、アメリカ軍によって与那原(当時は大里村)が制圧される。この辺りで大里村の人々が玉城村を通り糸満まで移動する。そのため、大里の人々は糸満で亡くなっている人が多い。
・知念と佐敷は地形的に山が近く、そのまま山に隠れている人が多い。しかし、山に艦砲射撃が飛んできて亡くなる人も多かった。
・6月1日~3日は大里グスクで戦闘があった。南城市域で最も激しい戦闘だった。この時期、住民の多くは糸満まで避難している。分布図を見ても6月は糸満での戦没者が多い。糸満まで避難した理由としては「日本軍がいる南の方が安全だろう」と思い、移動した人々が多かったと考えられる。
■8月以降の戦没者がヤンバルと南城市で多い点について
・知念半島では6月4日に収容所が開設される。知名、屋比久、仲伊保、新里など、主に知念・佐敷地域に大きな収容所ができる。その収容所で亡くなる人がいる。
・南城市の特徴のひとつとして、ヤンバルへの強制移動がある。7月中旬~8月中旬に行われた。移動対象は佐敷村、玉城村垣花一区・二区、知念村知名一区~三区、安座真の収容所にいた人々。ヤンバルでは、飢餓とマラリアで多くの人が亡くなる。
・知念・佐敷地域は「糸満に行っていないので地獄を見ていない。ただヤンバルに行ったときが辛かった」という証言が多い。中部の収容所に比べて、ヤンバルの収容所は食糧が少なく、食糧が行き渡らない状態だったようだ。

山城氏の解説後に出た質疑応答は以下の通りです。

■知念出身者がなぜ伊江島で亡くなっているのか?
・徴用・徴兵された人だと考えられる。伊江島は1944(昭和19)年から飛行場建設が始まるので、南城市域から作業に行った人もいた。
・日本軍は年齢や立場によって動員の名称が異なる。正規の日本軍は歳~24歳程度の徴兵検査を受けた人(本来は20歳からが対象)。この正規の日本兵が伊江島に行き戦闘で死亡したと予想される。
・防衛隊は19歳~45歳の男性(60歳超えもいた)。南城市域で日本軍の補助をするために動員された人々のこと。動員の集合場所は主に小学校で、そこに駐屯していた日本軍と行動する。
・学徒隊は学生なので学校単位で動員された。南城市域では一中(現在の県立首里高校)、二中(現在の県立那覇高校)、ひめゆり(当時の県立第一高等女学校、師範学校女子部)が多い。
・義勇隊は学校に所属していない青年の男性。日本軍の補助(弾運び)などで防衛隊と似ている。また、女子青年も弾運びや炊事班として日本軍と行動している。「G女性、高齢者、子どもの戦没地分布図」に、那覇や浦添といった日本軍の戦闘地域にポイントが打たれているのは、日本軍に動員された女子青年だと思われる。
■「F 15歳から50歳の男性の戦没分布」、「G女性、高齢者、子どもの戦没地分布」を見て、北部に行った非戦闘員より、南部で亡くなっている非戦闘員が圧倒的に多い。これは戦闘に巻き込まれたからか?
・沖縄戦全体の特徴は軍隊より住民の死亡が多いことであり、それは図でも表れている。避難した非戦闘員は武器を持っていないうえ、壕の追い出しなどにあい厳しい状況に立たされた。
・日本軍として動員された男性は浦添などの戦闘で、女性たちは避難先でそれぞれ亡くなったと考えられる。

第2部

(1)解説「戦争証言を使ったワークシートの作成について」(山口氏)

 はじめに、講師の山口氏が、戦争体験証言を教材化するためのポイントについて解説しました。参考資料として、山口氏と琉球大学の学生らが作成し、小学校の授業で実際に使用したワークシート(大里・銭又出身の瑞慶覧長方さん、姉のシゲさんの証言)を用いました。
 山口氏はこのワークシートについて、「戦場で住民はどうやって生き残ってきたのか。戦後世代である私たちを含め、どのようにして小学生、中学生が考えられるのか、想像できるのか。そういった問題意識で作った教材資料」であると説明しました。
 また「“どうやって生き残ったのか”を取り上げる」ということをポイントとしてあげました。これは、「戦争に生き残った人が見た風景から、私たちは沖縄戦について知り、学び、想像し、継承していくことを考えてきた」からだということです。さらに、「どうやっておじいさん、おばあさんはこの地獄の戦場を生き残ったのか。どう努力したのかを学んでいく。単純に20数万人が亡くなっただけでなく、ひとりひとりがどう生き延びてきたか。どんな不条理があったのか」を、具体的に子ども達に見せるために、証言は有効活用できると語りました。
 つぎに、このワークシートを使い、小学校の授業でどのような展開をしたか説明しました。山口氏は「あなただったらどうしますか?と問うことで、証言者の心情、価値観、判断基準を想像して、読み解きながら悩んでみる」、「想像してもわからない、理解できないといった、子ども達のモヤモヤや疑問を膨らませること。これらの疑問の追求が、戦争や沖縄戦を考えるうえで、大事になるのではないか」と解説しました。

瑞慶覧長方さん、シゲさんの証言を使ったワークシートは、前回のワークショップのページに掲載されています。

(2)グループワーク「ワークシートを作成する」

 山口氏の解説後、各グループにおいて割り当てられた4地域ごと(玉城、知念、大里、佐敷)の証言を読み、これらの証言を用いたワークシートを作成する作業を行いました。

ワークシート作成の様子①
ワークシート作成の様子②
ワークシート作成の様子③
ワークシート作成の様子④
ワークシート作成の様子⑤
ワークシート作成の様子⑥

(3)各グループの発表

 各グループが作成したワークシートについて発表しました。各グループの代表者がワークシートに用いた証言の特徴や取り上げた箇所、問いかけのポイントやねらいについて説明しました。これに対し、講師の山口氏と山城氏がコメントをしました。
 各ワークシートのまとめは、次のとおりです(タイトルをクリックすると、ワークシートの詳細をご覧になれます)。

①大里エリア(グループ1)「あなたならどうする?」

②佐敷エリア(グループ2)『佐敷の沖縄戦』※使用した証言について権利処理中のため非公開(2024/9/2時点)

③知念エリア(グループ3)「泳いで生き延びよう」と決意した内間新三さんとその仲間の想いに触れよう!

④玉城エリア(グループ4)「運命の別れ道」玉城地域 字船越区

参加者アンケート(11人が回答)

今回のワークショップの内容はいかがでしたか?
とても良かった・・・8人  良かった・・・2人  普通・・・1人
主な回答理由
・今まで「沖縄県」としての視点でしか沖縄戦というものをみたことがなかったので、市町村別や地域別でこんなにも特徴がわかれるものなのだと初めて知ることができた。
・今まで講話を中心に、出来事を一方的に聞いて終わりの取り組みが多かった。自分たちで体験談から読み解いていくという取り組みは、新しい発想だと感じた。
・「平和の礎」戦没者名簿の「空間分布復元図」を使って南城市の沖縄戦の現状を考えるワークショップは、地域によって実態が違う発見を見つけられたので、子ども達ともやってみたいと思った。子ども達が主体的に考え、交流して考えを深める授業へつなげられると思う。
・一方的に講話を聞く平和学習から、考える平和学習へのイメージがついた。体験者から直接話を聞くことが難しくなっている今、証言から学ぶ・考えるという手法は、目から鱗だった。
今後、戦争体験の証言を活用した授業を実践したいと思いますか?
実践したい・・・6人  実践したいが自力では難しい・・・4人  その他・・・1人
主な回答理由
・今までの平和学習は、戦争体験者の話を聞く、沖縄戦に関するビデオを見て感想を書くという活動がほとんどだった。そのため、証言をもとに子どもたちに戦争中のことを考えてもらう活動はとてもおもしろいと思った。しかし、子どもたちに授業をするにあたり、教師の準備時間や教材などが十分ではないと思うので、難しいと感じた。
・平和学習担当1人では取り組めない。まずは複数学年で共有して取り組む意義を理解してもらい、そこから証言を精査して選んだりするなど、前準備がとても大切だと思う。
・戦争体験者がどんどんいなくなる中で、平和教育には教材の1つとして証言を活用することが必要だと感じる。証言を「歴史」として捉えるのではなく、現在でも起こっている戦争・紛争や、身近な犯罪問題などと関連させるような授業づくりを行うことで、子ども達自身が自分事として学んでいけるように工夫して実践していきたい。
・身近な題材を使った平和学習はこれまで経験がない。これまでの平和学習は、沖縄県の全体的な戦争の概要であったり、1つの出来事についての説明がほとんどで、”受け身的な学習”だったように記憶している。自分の住んでいる地域の戦争実態を学ぶことで、自分事として”考える学習”が展開できると思う。