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【レポート】2024年「戦争体験証言を用いた教材開発ワークショップ」
●家族で大里村稲福に住む。当時17歳。姉と小さな弟・妹がいる。●母と弟・妹が疎開を予定していた。しかし小さな子たちを母1人で見ることが難しいこと、姉と艶子さんは沖縄で国のために働かなければならないと考えていたため、どちらかが一緒に付いていくこともできないという理由から疎開を断念。●「良い兵隊」は「やんばるか知念・玉城への避難」を呼びかけていた。稲福にいた兵隊は「糸満までは必ず行くこと。捕虜にはならず、いざとなったら自決すること」と言っていた。●その後、糸満へ避難。糸満に行く途中で多くの人々の死を目撃している。●糸満まで行った後、「死ぬなら稲福で」と考え稲福に戻る。戻る道中で捕虜になる。
ワークシート[PDF]/[Word]※制作されたワークシートを基に事務局がデータ化
用いた証言宮城艶子さん(大里・稲福)
書籍:『南城市の沖縄戦 証言編-大里-』106頁~120頁 掲載
テキスト:宮城艶子(旧姓知念 昭和3年生まれ 大里・稲福)【キーワード】陣地構築/十・十空襲/救護班/南部避難/収容所