
南城市の戦争関係資料リンク集

【レポート】2026年 南城市の沖縄戦学習教材開発ワークショップ

2026年7月29日(水)南城市役所にて、「南城市の沖縄戦学習教材開発ワークショップ」※を行なった。
戦争体験者の高齢化や減少などにより、学校現場においては戦争体験者の講話を中心とした従来の平和学習が段々と難しくなっている。このワークショップでは、市が調査・刊行した市史および旧町村史に掲載されている資料(証言など)を用いた教材開発のノウハウを共有することを目的に開催した。
対象は市内の小・中学校の教員等で、11名が参加。講師は琉球大学教育学部教授の山口剛史氏、『南城市の沖縄戦 資料編』、『南城市の沖縄戦 証言編―大里―』の編集に携わった山城彰子氏(琉球大学国際地域創造学部講師)を招き実施した。
ワークショップは2部制で、第1部はクイズと解説、第2部は戦争体験証言から教材を開発するグループワークを行なった。
※令和6年度までは「戦争体験証言を活用した教材開発ワークショップ」と題していたが、今年度より題名を変更した。
過去に開催したワークショップ関連情報は、「南城市の戦争関係資料リンク集」から閲覧できます。
はじめに、文化課より本ワークショップ開催の趣旨を下記の通り説明した。
①戦争体験者が減少し、「体験者の講話による学習」の継続が困難になっている。
②外部講師の人材が限られている。
③これまでとは異なる平和教育の在り方が求められている。
④南城市所蔵の沖縄戦資料の活用の意義。
⑤ワークショップの内容を各学校内で共有して、平和学習に活用してもらいたい。

続いて、沖縄戦の概要と学徒隊についてクイズ型式で解説した。まず、参加者が各自でワークシートに記載されたクイズを解き、次にグループ内で回答を確認し合った。最後に、講師が正解を示しながら解説を行った。解説の内容は以下の通り。
| 問題 | 選択肢 | 答え・解説(授業でのポイント) | |
|---|---|---|---|
| 1問 | 第2次世界大戦のとき、日本軍が戦争をした国はどこ? | ①アメリカ ②中国 ③ソ連 ④タイ | 答え:全て ・マレー→シンガポールに進攻。その前にタイに進攻。 ・1~2時間という短時間だが日本はタイと戦闘している。 ・植民地だけでなく、独立国にも侵攻している(タイは戦前から独立国・主権国家。そこに日本は侵攻した)。 |
| 2問 | 1945年4月1日にアメリカ軍が上陸したのはどこ? | ①慶良間諸島 ②具志頭村港川 ③読谷村・北谷村 | 答え:③読谷村・北谷村 ・米軍の目的は飛行場の占拠。特に上陸に適したところが③だった。 ・②の具志頭村港川は米軍が陽動作戦を展開した。美田連隊(アブチラガマにいた部隊)が釘付けになった。その後シュガーローフに移動していく。 ・押さえておきたいところは4月1日に本島上陸をしているが、その前の3月26日には座間味島に上陸したという点。子どもたちと確認し合いたい。 ・沖縄本島だけに軍隊が上陸したわけではないことを触れたい。 ・選択肢に入れている意味を教材的にどう取り上げるかを考える。 |
| 3問 | 日本軍第32軍の司令部があったところはどこ? | ①東京 ②石垣島 ③沖縄島首里城 | 答え:③沖縄島首里城 ①東京:大本営があり、国の中枢の司令部があった。電報でやり取り。 ②石垣:地上戦が行われなかったところもある。米軍の上陸はなかったが戦闘はあるし犠牲もあった。 ・設問の意図は「第32軍はどこまでが範囲なのか」。 ・奄美から与那国までが1つの部隊の管轄。日本軍の作戦の意図としては、「奄美から与那国までを範囲とするために新たに第32軍を設置した」と覚えておくといいと思う。 ・宮古・八重山の戦争が沖縄戦として取り上げられるのは、第32軍の縦系統に入っているから。 |
| 4問 | 沖縄戦のとき、戦闘に参加させられた人はだれ? | ①20歳以上の成人男子 ②20歳以上の成人女子 ③60歳以上の老人 ④小学生 | 答え:①20歳以上の成人男子、②20歳以上の成人女子、③60歳以上の老人 ・選択肢の文言に「20歳以上」を入れるかどうか悩んだ。徴兵検査は図の通り。 ・防衛召集は17歳~45歳の男性が兵隊として動員。 ・義勇隊はボランティア。南城市でもあちこちで動員が行われた。 ・男女問わず区長が徴収した。米軍上陸後、ガマに避難している人も連れて行った。 ・ここから「根こそぎ動員」を読み取る。 |
| 5問 | 「慰霊の日」とされる6月23日は何があった日? | ①司令官が死んだ日 ②日本軍が降伏した日 ③アメリカ軍が戦闘の終了を宣言した日 | 答え:①司令官が死んだ日 ・1945年7月2日:米軍、沖縄作戦終了を宣言。 ・日本軍からは奄美にいた司令官と、八重山にいた司令官が出席し調印している(牛島司令官が自決しているため)。(公文書館写真)。 ・日本軍は「6月23日が組織的戦闘終了」として見ているが、米軍は7月2日。正式に負けを認めた(降伏調印式)のが9月7日。 ・降伏調印式は現在の嘉手納基地内にある森根というで行われた。現在、基地内に記念碑が建てられているが、容易に立ち入ることはできない。 ・沖縄市では9月7日が平和の日と制定されている。 |
| 6問 | 沖縄戦でアメリカ軍が撃った弾の数はどのくらいの量? | ①約20万トン ②約30万トン ③約50万トン | 答え:①約20万トン ・根拠はアメリカ陸軍の公式戦史から。 ・発射した砲弾数を記録した表があり、これを基に総数を算出。手りゅう弾の使用数も確認されている。 ・「南部では畳1枚あたり50発の砲弾が撃ち込まれた」と例えられるが、その根拠にもなっている。 |
| 7問 | 沖縄戦のときアメリカ軍は後方支援部隊を含め約55万人の兵隊で攻めて来た。では日本軍の数は? | ①約11万人 ②約25万人 ③約30万人 | 答え:①約11万人 ・兵力の比率はほぼ5対1。ただし、日本軍の中には学徒隊や防衛隊も含まれている。 ・実際には判明している人数を上回る住民が動員されていると考えられる。 |
| 8問 | 沖縄戦で動員された学徒たちで1番若いのは何歳? | ①12歳 ②14歳 ③18歳 | 答え:②14歳 ・当時、小学校卒業後に高等科または師範学校の予科に進む子どもたちがいた。予科の生徒のうち最年少がが14歳。 ・現在と学校制度が異なり、学生の年齢は16歳~19歳が中心で、20歳を超える者もいた。現在の中学・高校・ちょっとだけ大学生という年齢層だった。 ・基本的に15歳以上で、現在の中学2年生~中学3年生に相当した。 |
| 9問 | 沖縄戦で動員された学徒たちが行った仕事は? | ①弾運び ②看護婦の補助 ③特攻 ④陣地構築 | 答え:全て ・男子学徒も斬りこみに参加している。 ・女子学徒は飯上げ、看護にかんするもの。 |
| 10問 | 沖縄戦で学徒たちが動員されるきっかけをつくったのは? | ①学校長 ②県知事 ③日本軍 | 答え:全て ・学校長も、生徒に対して学徒隊への参加を促す訓示を行っていた。 ・学徒隊は県知事の呼びかけを契機として編成されたため、県知事にも動員に至る責任があったと考えられる。 ・日本軍は県民に対してどう指導するかの資料がある(『沖縄県史ビジュアル版14 沖縄戦』24頁)。 |



次に、山城氏が「南城市の学徒隊」について解説した。山城氏は、自身が南城市教育委員会文化課在籍中に『南城市の沖縄戦 資料編』(以下、『資料編』)の刊行に携わった。その際、「地域から学徒を考える」という視点から、『資料編』に「南城市の学徒隊」の項目を収録したと述べた。
山城氏は「地域の視点から見ると、学徒たちは村のエリートだった。相応の学力がないと中等学校に進学はできなかった。多くの子どもたちは進学せず、高等科を修了すると農業などの家業を手伝ったり、紡績工場へ働きに行ったりすることが、一般的なライフコースだった」と解説した。また、「進学した学徒たちは地域ごとに学友会をつくり、地元の後輩に勉強を教えるなどの活動をしていた。地域においても頼られる存在だった。」と説明した。
続けて、『資料編』に掲載されている資料から、戦前の生活の様子や当時の男子学徒に好まれていた短歌の紹介、南城市出身の学徒名簿から生存者数、戦没者数及び戦死率について解説した。
最後に、「子どもたちは学徒と年齢が近いので、自分事としてイメージしながら資料を読むことができると思う。授業で活用してもらいたい」とし、平和学習の素材になる資料例について以下の通り紹介した。
①証言:南城市出身のひめゆり学徒隊。糸数アブチラガマで勤務した証言がある。※ウェブ上では未公開。
②解説映像:『資料編』にて「学徒隊」の項目を執筆した普天間朝佳氏(当時の沖縄県ひめゆり平和祈念資料館館長)が、「南城市出身の学徒隊」について、詳細に解説している。



①証言
南城市出身のひめゆり学徒隊の方の証言は、ウェブ上での公開はしておりません。
『令和7年度 なんじょう歴史文化保存継承事業 年報』の冊子のみの掲載となります(以下、表紙)。
冊子は、南城市教育委員会文化課、市内図書館、沖縄県立図書館にて読むことができます。
②解説映像
| 質問 | 学徒や一般人を動員できる法的根拠はあったのか? |
| 解説:山城氏 | ・法的根拠がある動員と、明確でない動員がある。法的根拠に基づく動員は以下の通りである。 ①正規の日本軍:徴兵検査を受け入隊。なお、沖縄戦に際しては19歳で徴兵検査を受けるように求められている。 ②防衛召集された防衛隊:役所から召集の通知を受け、日本軍と共に任務に従事した。 ・学徒隊の場合は法的根拠が曖昧であったとされている。法的根拠が明確でないにも関わらずなぜ学徒を動員できたのか。そこには日本軍と行政の関わりがあった。 ・法的根拠の有無は、戦死した学徒の補償問題に繋がる。つまり、法的根拠に基づく動員でなければ国からの弔慰金が受けられない。学徒動員は法的根拠が曖昧であったために、戦後、学徒や遺族が恩給などの対象となるか長期にわたり問題となった。最終的には当事者たちの運動で補償が受けられるようになった。 ・そもそも学徒が何人動員されたのか明確でない学校もある。生存者が懸命に記録を残した県立第一中学校やひめゆり学徒(県立第一高等女学校と師範学校女子部)などは人数が判明しているが、私立開南中学校のように戦後廃校となった学校では大変な道を歩んだ(実態の把握が困難)。 ・義勇隊の動員には法的根拠がなかったと考えられる。「義勇隊を編成する」という文言はあるが、召集方法は手当たり次第で男女問わず行われた。対象者リストはなく、動員の根拠も不明瞭なままである。 ・学校が子どもたちの命をどう守るよう考えていたか、関係資料から読みとれる。 |
第2部では、南城市佐敷出身の中山きくさんの証言を用いてワークシートを作成した。作業に先立ち、中山きくさんについて山口氏が解説した。
初めに、中山氏の証言が掲載されている書籍のうち、南城市及びと中山さんの出身の字が刊行したものを紹介した。続いて、絵本『きくさんの沖縄戦』が学校での読み聞かせに使われていること、晩年の中山氏もこの絵本を使いながら講話をしていたことを説明した。山口氏は「さまざまなメディアに出演していたので、映像を見る・声を聞くことができると思う。最近では演劇にもなっており南城市の中学生も観覧している。」と述べ、中山さんの体験にふれるツールが多くあることを紹介した。

次に、山口氏は「ワークシートを作成するにあたり、戦争体験のどの場面を読ませて、どんな問いを設定すれば、子どもたちと共に学ぶ授業ができるかを考えてほしい。」と述べた。さらに、前年度に作成したワークシートを例にあげながら、「体験者の葛藤や心の動き、転機となった場面などをうまく取り上げてワークシートを作成してもらいたい」と説明した。

絵本『きくさんの沖縄戦』で中山さんの体験の全容を確認した後、『令和7年度 なんじょう歴史文化保存継承事業 年報』に掲載されている中山さんの戦争体験証言を用いてグループごとにワークシートの作成に取りかかった。



ワークシートの作成後、各グループの代表者が発表を行った。証言から取り上げた箇所、問いのポイントやねらいについて説明した。これに対し、講師の山口氏と山城氏が講評を行った。各グループが作成したワークシートの概要は、次のとおりである。。
※画像をクリックすると関連ページに飛びます。
①グループ
タイトル:きくさんの選択~どうしてこの道を選んだのか~
①生き残った者の「痛み」を継承する
・話者が生き残ったことへの後悔、戦後に何を抱えて生きてきたのか。これらは体験の継承をしていく上で欠かせない要素である。
・戦争体験そのものだけでなく、後悔・悔しさ・やるせなさが死ぬまで続く。だからこそ最後の言葉に「戦争はだめだ」と絞り出すように語るのだと思う。
・何度も同じ話をしていても、同じ場面で涙する体験者がいる。その姿をどう受け止めるかが大切である。
・PTSD的なものも含め、「体験者の痛み」をどこかで押さえておきたい。ただし、そのあたりを表現している証言はなかなか見つからない。
②「今と変わらない学生だった」という接点をつくる
・ひめゆり平和祈念資料館では、「ひめゆりの青春」という形で「現在の学生と同じような学園生活があった」ことを展示している。
・当時の部活動や運動会の写真を見せて授業することも、子どもたちが自分に引きつけて考える方法のひとつである。
③「動員の仕組み」を問う
・「動員の仕組み」を証言や資料から理解・想起することが重要である。
・中山きくさんの証言だと、軍へ入隊するかどうかを問われ、行く・行かないは自由に決めることができた。しかし実際は自己選択のように見えて、国や軍が求める動きを人々は選択させられていた。
・総動員体制がどのように作られたかを知る必要があり、教育・軍官民の体制に着目してほしい。
④皇民化教育を丁寧に伝える
・体験者が「あのときの教育が…」と語っても、小学生はそこに乗り切れず「自分は騙されない」と考えてしまう。
・皇民化教育について丁寧に伝えなければ、子ども自身が「洗脳された自分」を想像しにくい。
・教育・マスコミ・政府の宣伝が背景にあり、具体的に動員する仕組みがあること。それに子どもたちが自ら気づき、疑問を持つことがポイントである。
⑤「平和でよかった」で終わらせない
・トラウマ、継承の痛み、生き残った人たちの心に注目する。
・それは戦争のメカニズムへの疑問が生まれるようなオープンエンドであり、「平和が大事」「平和でよかった」で終わらない授業になる。
⑥正解を求めず、現在の社会へつなげる
・必ずこれが正解というものはない。なぜ戦争がなくならないのか、誰が戦争を始めたのか、現在世界で起きている戦争に対して疑問を持てるとよい。
・沖縄戦を語るなかで「軍隊は住民を守らない」とあるが、軍隊という存在は私たちにとってどのような存在なのか。今もそうなのか、違うのか。
・疑問を持って社会を見つめ、子どもたちなりの意見を持てるような学習の小さな一歩としたい。
⑦証言の読み取りには想像力を
・証言の解釈には、想像力と行間を読み取る力が必要である。
①「こうあるべき」が支配した軍国主義社会
・当時は「こうあるべき」という答えが存在する、軍国主義の社会だった。「村のエリート」だった当時の優秀な学生はそれを体現する存在だった。
・自分自身のさまざまな気持ちはあっても、「国のために」という気持ちが勝ってしまう時代であった。
②沖縄の学徒が置かれた特有の状況を学ぶ
・沖縄戦の時代の沖縄の学徒と、日本本土の学徒では置かれた状況が異なる。
・だからこそ沖縄戦の状況を学ぶことが大切であり、証言を細かく読み込むことで、その状況を理解していくことが重要である。
③証言は「素材」——授業のねらいを明確に
・証言はあくまで素材である。
・その証言を通して、沖縄戦の何を子どもたちと考えたいのか、学ぶ意味があるのか。それらを授業のねらいとして、先生方にはしっかり持ってほしい。
④一歩離れて社会構造への問いにつなげる
・証言にどっぷり入り込むと、かえって当時の社会構造が見えにくくなる。
・一歩離れて、最後に社会構造につながる問いを立てることが大切である。そうすることで、子どもたちが「どうしたら戦争を止められたのか」という探求のきっかけをつかめるような授業ができるのではないか。
良い・・・7人 普通・・・0人 良くない・・・0人
■主な回答理由
「自分たちの住んでいる地域の体験者のお話から授業をつくることは、とても大切だと思っています。児童が「問い」を持ちやすく、調べたくなるので主体的になると考えます。今回は、いろいろな視点から教材を分析することができ、「児童に何を考えさせたいか」「どんな問いかけをすることで児童が多面的に考えるか」等、これまでより深い学びになりました。」
「活用できそうな資料を元に他の方の意見を聞きながら、授業展開を検討できたこと。」
「証言をもとにした授業づくりの方法や考えさせたいところがよく分かった。」
「平和学習の持ち方についての各学校の取り組みや悩みなどについて共有することができ良かった。また、講師の先生方による平和学習への導入方法の提案や、沖縄戦、学徒隊で押さえておきたいポイントを明確に知ることができた。」
「教材をつくる時間を普段の勤務時間の中に組み込むことはなかなか難しいので、あのような場を設けてくれるとよい機会になる。また、複数の人数で協働して作成することで多様な視点で教材づくりを行うことができる。」
「初めて会った他校の先生と共同で授業プランを練ることで、新たな視点や気づきがあった。特に小学校での平和学習の教材について考えさせられた。今回中山きくさんの体験記録を元に教材研究を行ったが、私はご本人をよく知っているので、全く知らない先生からの視点や、普段接することが少ない小学生の現状を知ることができてよかった。」
「戦争体験者が残した証言や資料を基に平和学習の教材を作ることが初めての経験でとても学びになった。」
実践したい・・・6人 サポートがあれば実践したい・・・1人
■主な回答理由
「一人では作成することができなかった教材をつくることができたので、実践してブラッシュアップしていきたい。
「今まで絵本を使ってきくさんの体験を紹介してきたが、絵・証言・映像を目的やねらい(何を生徒に考えてほしいのか)によって組み合わせ、使い分けていくことが大切だと感じた。」
「外部講師に頼らず、誰でも授業ができるように資料を残したいので、実際の児童の反応を知りたいから。」
「実際に絵本に携わった先生もいたので、より深く教材研究できたので、実践したいと思いました。(前年度は、5年生担任だったので総合の時間にきくさんや長方さんの体験談から授業をしました。今年度は、算数専科なのでできませんでした・・・)」
「今までは、資料を見て(講話、絵本の読み聞かせ、新聞)子供たちの感想を問う、共有するというような同じサイクルの授業になっていたので、今回のように「子供に何を伝えたいのか」という目的意識を明確にして授業を考えることができ参加できた。子供たちにも是非還元したいと思った。」
「高学年であれば実施可能だと感じた。」
「きくさんの話から、児童に何を考えてほしいのか、きくさんの思いと教師の思いを伝えていきたいと考えるため。」
■主な回答理由
「悲惨な戦場での体験の場面の扱いについて」
「低学年には内容をかみ砕く必要がある。」
「体験談からの授業を組み立てると1時間、2時間では足りないと思います。子供たちはもっと知りたくなり、「問い」を持つと思います。そうなると、単元を通して学んでほしいので、単元を考えるとなると、先生方に抵抗があるのかなと思いました。」
「そもそも平和学習を通して何を学ばせたいか(大きいテーマとしても、1時間単位のめあてとしても)を明確にもつことができておらず、活動させることに終始していることが少なからずある。平和学習を通して何を目指すのかを自分の中で明確にしていきたい。」
「今回は研修ということで、時間をしっかり取れ、疑問等は講師の先生方のアドバイスがもらえたので、授業の骨組みをしっかり立てられた。しかし、学校現場では時間の確保や講師の方との時間調整が難しいと感じる。」
「生徒の思考がこう回答すればいいよね、こうあるべきだよね、という方向に行くことよりも、本当にそう?なぜそう思う?そう言い切れる?と教師が生徒たちの思考を揺さぶる問いかけや声かけが必要で、教師側が常にそうのような視点をもつことが大切と思う。前回研修で中学校でのグループで話した際、平和学習をどうするか題材選びと方法を考えることだけでも大変そうだった。」
「必要資料の収集」
・なんじょう日記
沖縄戦・学徒隊の証言を活用した教材開発。「南城市の沖縄戦学習教材開発ワークショップ」を開催 (2026/07/29)