
【資料群紹介】上原清光コレクション

南城市の戦争関係資料リンク集

本コレクションは、1912年に旧大里村古堅に生まれた上原清光(うえはら せいこう)氏が、主に1960年代から1980年代にかけて、沖縄本島各地や県内の各離島、日本各地を旅して歩きながら撮影した写真や、収集した地図、パンフレット、絵葉書などの紙資料で構成されています。
清光氏は、自身が撮影した写真や収集した資料を丁寧に整理し、114冊ものアルバムを作成しました。その中に含まれる写真、資料の総数は、1万3千点 以上にもおよびます。
さらに清光氏は、被写体の情報、撮影時の心情、撮影機材やその設定情報までをアルバムに事細かに記載しています。これらの情報は写真を閲覧するうえで、その内容を知るための大きな助けとなっています。
これらのアルバムを含む清光氏が作成した資料群は、ご親族により大切に保管されてきました。
そして、南城市教育委員会文化課は、2023年に古堅区において古写真収集事業を実施した際に、これらの資料群と出会いました。
ご親族のご理解とご協力のもと、文化課は資料のデジタル化・目録化を進め、このたび本サイトにて、「上原清光コレクション」として公開をスタートさせることとなりました。
ご協力くださいましたご親族に、心より感謝申し上げます。
以下は上原清光氏の略歴です。
1912年 旧大里村古堅に生まれる
1926年 大里尋常高等小学校を卒業
1937年 那覇で建設業(國場組)に従事していた頃、日中戦争が開戦。召集令状を受けて熊本で入営し、中国に派遣され、中国の北部・中部(北支・中支)を転戦・駐留
1940年 約3年の軍務を終えて一旦沖縄へ帰る。その後軍属を志願して再び中国(南支)へ渡り、広東の「軍馬防疫庁葛城部隊1 」へ3年契約で配属される
1941年 部隊の先輩が行う写真撮影を手伝いながら、写真の撮影や現像の技術を学ぶ。自身でもカメラを入手して撮影を始める
1943年 3年の契約を終え沖縄へ帰る
1944年頃 「産業組合2」で農産物の増産対策係として勤務
1945~1946年 「村役所農協3」に勤務していた頃、沖縄戦を経験
―北部へ避難していたところを瀬嵩(現 名護市)の収容所に収容され、約半年間の収容所生活を送る。その間は「瀬嵩区役所産業課の職員4」として働く
―与那原の大見武収容所で20日間の生活を経て、古堅へ帰る
1946年頃~ 掘立小屋を建てて生活を始めた後は、大工の棟梁として働く
1947年頃 沖縄で出回り始めた中古のカメラやフィルムを購入し、再び写真撮影を開始
1952年 大里村古堅区長を務める
1970年 大里村議員(第7期)に就任
1974年 大里村議員(第7期)任期満了
1989年 没(満77歳)
-出典-
上原清光「写真歴」『アルバムNo.1』1968
上原清光「写真歴」『日本全国撮影の旅 アルバム早見表』1980
上原清光「私の戦争体験記」『私の戦争体験記』大里村企画課、1987、p.36(再録: 南城市教育委員会文化課市史編さん係[編]『南城市の沖縄戦 証言編 −大里−』南城市教育委員会 2021、pp.528-532)
大里村史編集委員会(編)『大里村史- 通史編』大里村役場、1982、pp.566-567
記念誌編集部会『古堅地区集落地域整備事業記念誌』沖縄県島尻郡大里村字古堅、2001、pp.119
——————————————
1 上原清光「写真歴」『日本全国撮影の旅 アルバム早見表』1980 の表記をそのまま用いました。
2 上原清光「私の戦争体験記」『私の戦争体験記』大里村企画課、1987、p.36(再録:南城市教育委員会文化課市史編さん係[編]『南城市の沖縄戦 証言編 −大里−』南城市教育委員会、2021、pp.528-532)の表記をそのまま用いました。
3 上原清光「写真歴」『アルバムNo.1』1968 の表記をそのまま用いました。
4上原清光「私の戦争体験記」『私の戦争体験記』大里村企画課、1987、p.36(再録:南城市教育委員会文化課市史編さん係[編]『南城市の沖縄戦 証言編 −大里−』南城市教育委員会、2021、pp.528-532)の表記をそのまま用いました。
1)写真と紙資料
資料総数約1万3千点。主に写真アルバム114冊1中におさめられていたもの。
資料はこちらからご覧ください。
1 114冊のアルバムは、アルバム「No.1」~「No.113」に加えて、後日、清光氏がその中から劣化した写真を改めて焼き直して作成した、「番外(100)」によって構成されています。資料はアルバムNo.1 より順次公開予定です。
2)コラム
今後資料の追加公開に合わせて、コレクションの内容をコラムで紹介していく予定です。
・大正初期の家族写真や、1939年の古堅婦人会による武運長久祈願記念写真を再撮影した写真。
・主に1960年代から1980年代にかけて撮影された、沖縄各地の姿(自然や人々の暮らしの風景、地域の史跡や行事、芸能、街並みや社会の様子など)。1978年に行われた久高島のイザイホーの写真も含む。
・1970年代から1980年代にかけて清光氏が旅をして撮影した日本各地の姿(自然の風景、建物などの街並みや人物のスナップ、名所旧跡や市場など地域の様子、交通機関や宿泊施設など)。
・主に旅先で収集した紙資料(切符、絵葉書、地図、パンフレットなど)1。
・清光氏による手書きのメモ、手記など。
1 絵葉書、地図、パンフレットなどの画像データは、著作権の保護期間終了後に公開予定です。

[上] A000061815 アルバムNo.1。表紙
[下] A000061816 アルバムNo.1。見開き1ページ目

A000061817 1965年。上原清光氏(前列右)と家族

A000061854 1965年。南城市大里古堅。トタン葺きの清光氏自宅

1961年頃。南城市佐敷、知念方面を望む
[左] A000061828 [右] A000061829

A000061839 1961年。南城市大里古堅。古堅区公民館。区民のブラジル渡航記念写真

1967年。南城市大里古堅。豊年祭(ミーミンメー)
[左] A000061927 新たに清光氏が作製したミルク面
[右] A000061928 地謡をつとめる清光氏(左)と親族の正一郎氏(右)

南城市大里古堅
[左上] A000062008 1967年。古堅の龕(ガン)の焼却処分
[右上] A000062524 1968年。清明祭。古堅の照屋原門中の墓参り
[左下] A000062524 1968年。古堅の綱引き
[右下] A000062872 1968年。古堅の班対抗家族運動会

[左] A000062935 大正初期。那覇市。又吉写真館。家族写真
[右] A000064469 1939年。南城市大里古堅。古堅事務所。古堅婦人会による武運長久祈願記念写真
※左右とも古写真の再撮影


1965年。糸満市。糸満大綱引きの道ジュネー
[左上] A000061864 [右上] A000061869 [下] A000061870

1967年。島尻郡。伊是名村伊是名島、伊平屋村伊平屋島への旅
[左] A000062063 伊是名島から伊平屋島へクリ船で渡る [右] A000062076 伊平屋村我喜屋。屋蔵墓を参拝

1968年。島尻郡座間味村座間味。鰹節工場
[左] A000062783 [右] A000062789


1968年。石垣市。川平湾
[上] A000063149 真珠の養殖 [下左2枚] A000063145 [下右2枚] A000061351 川平湾の風景


1968年。国頭村奥
[上] A000062332 集落風景 [下] A000062333 奥の子どもたち

1968年。名護市安和付近
[左] A000062630 山中から籠に薪を入れて降りて来た老婦人 [右] A000062633 安和入口付近の風景

1968年。名護市今帰仁村。運天港
[左] A000063000 [右] A000063002

[左] A000062294 1968年。恩納村。琉球料理松の下のコック [右] A000062535 1968年。沖縄市。胡屋十字路

1968年。浦添市仲間
[左] A000062939 浦添市立浦添小学校 [右] A000062942 浦添城跡。通学中に休む学生

A000061919 1967年。那覇市。琉貿屋上より琉球政府、立法院、武徳殿、市庁舎を望む

A000062467 1968年。那覇市。那覇港
A000062342 1968年。那覇市内の街並み

A000062856 1968年。那覇市牧志。旧盆の新栄通り

A000062261 1968年。那覇市久茂地。RBCホール。テレビの正月特別番組カチャーシー舞い大会予選

[左上] A000062294 [右上] A000062321 1968年。那覇市。尾類馬行列
[左下] A000062326 1968年。撮影場所不明。大伸座の大宜見静子氏の劇
[右下] A000062292 1968年。那覇市泉崎。東京公演前に琉球新報ホールにて上演された琉球歌劇

1969年。島尻郡久米島町
[左上] A000063678 旧仲里間切蔵元跡
[右上] A000063682 旧仲里間切蔵元跡の石牆
[左下] A000063675 人や荷物を運ぶ馬
[右下] A000063680 旧仲里間切蔵元跡に隣接する久米島町立三崎小学校で遊ぶ子どもたち

1969年。中頭郡北中城村。中村家住宅
[左] A000063698 [右] A000063709 右端の男性は清光氏

1969年。南城市佐敷。馬天港
[左] A000063725 [右] A000063735

A000063587 1969年。那覇市首里。一中健児之塔を訪れる清光氏

1970年。慰霊の日。
[左] A000064501 糸満市摩文仁へ向かう平和祈願慰霊大行進
[右] A000064522 糸満市米須。魂魄の塔

A000064562 1970年。南城市大里古堅。清光氏による新築の清光氏自宅

A000064703 1970年。撮影場所不明。白寿祝いの記念写真

A000064683 1970年。那覇市泉崎。立法院前広場。自民党中央総決起大会

1970年。大里村議員本土研修
[左] A000064745 鹿児島県奄美市笠利町。あやまる岬。右端の男性は清光氏
[右] A000064751 鹿児島県奄美市名瀬。中央通りアーケード商店街

A000065686 1972年5月。本土復帰前後の那覇市・嘉手納町の街並み

A000065712 1972年。東京都新宿区の街並み

A000065953 1972年。青森県青森市の青森港から、北海道函館市の函館漁港へ、青舘連絡船羊蹄丸に乗船して渡る

[左上] A000065994 1972年。北海道壮瞥町。昭和新山
[右上] A000066016 1972年。北海道札幌市。 旧札幌農学校演武場時計台
[左下] A000038731 1974年。北海道根室市。納沙布岬の昆布干場
[右下] A000069169 1974年。北海道礼文郡。魚の処理をする礼文島の婦人

[左] A000066246 1973年。南城市知念志喜屋。古堅の古老たちが棒術を習ったという仲里仁寿氏
[右] A000066279 1973年。那覇市寄宮。与儀公園で行われたサトウキビ要求価格貫徹農民大会。提唱者として中央に陣取る旧大里村の人々

[左上] A000066296 1973年。国頭郡今帰仁村上運天。運天港。海洋博覧会に向けた工事
[右上] A000070809 1975年。国頭郡本部町。海洋博覧会
[左下] A000065694 1974年。南城市大里古堅。清光氏自宅暗室
[右下] A000071574 1976年。宜野湾市。清光氏中国より帰沖後33年振りに行われた、軍属広東会による会合

A000066436 1973年。奈良県奈良市。東大寺

[上段左] A000066601 1973年。飛騨高山の国分寺境内。飛騨国分寺大イチョウ
[上段中] A000067208 1974年。長崎県長崎市。大浦天主堂
[上段右上] A000067217 1974年。長崎県長崎市。平和公園の平和祈念像
[上段右下] A000068318 1974年。和歌山県高野町。高野山奥之院
[下段左] A000068134 1974年。鹿児島県鹿児島市。鹿児島港でのストライキ
[下段右] A000068140 1974年。鹿児島県徳之島町。亀徳港。輸出用の蘇鉄


[上段] A000069683 1974年。宮城県気仙沼市。気仙沼漁港
[左下] A000069707 1974年。宮城県石巻市鮎川港。金華山行観光船乗り場
[右下] A000069733 1974年。宮城県石巻市鮎川浜。金華山大海神神社

1977年。石川県輪島市。白米千枚田の風景と清光氏によるメモ
[左上] A000073882-0001 [左下] A000073882-0002 [右] A000073782-0001
A000073884 1977年。石川県輪島市。朝市の風景

1977年。八重山郡竹富町
[上] A000072700 波照間島のキビ刈り
[左下] A000072843 西表島祖納の浜付近
[右下] A000072841 西表島祖納。まるまぼんさん岩


1978年。南城市知念。久高島のイザイホー
[上段左] A000074326 [上段右] A000074369 [中段左] A000074430 [中段右] A000074449 [下段] A000074444

[左上] A000077997 撮影年月日不明。那覇市松尾。市場中央通り [右上] A000078002 撮影年月日不明。那覇市松尾。市場中央通り(第一牧志公設市場横)
[左下] A000077994 1985年。那覇市松尾。市場中央通り(第一牧志公設市場付近) [右下] A000077990 那覇市牧志。えびす通り
*本ページ上部に表示している画像:A000062109 1967年。南城市大里古堅。上原清光氏。自家の入口(門)より入る