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産業分野別年表 マンゴー(佐敷エリア)

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産業分野別年表 マンゴー(佐敷エリア)
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【南城市の戦後史 産業編】
産業分野別年表

1985年1月

平田康彦佐敷町役場経済課長が、台湾でマンゴーなどの研究状況を視察する。

【コラム】台湾における熱帯果樹などの研究

平田康彦課長は、台湾で2ヵ所を視察しましたが、そのうちの1つが嘉義試験場でした。ここでは、マンゴーなどの熱帯果樹の研究が行われていました。試験栽培されていた果樹類は約800種類もありました。バナナだけで95品種もありました。この試験場では、特にマンゴーの研究が進んでいました。

もう1ヵ所は、新社種苗繁殖場でした。ここでは、雑穀類や蔬菜そさいの種子改良や先端技術を駆使しての種子開発に力が入れられていました。特に、種子のかけ合わせによるF1(ハイブリット)の研究開発が重要課題として取り組まれていました。

当時、台湾では、米が余っていたので、政府は水田の転作を奨励していました。水が豊富な台湾では、果樹や蔬菜そさいへの転作および輪作がうまくいっていました。

参考文献:広報さしき 第88号(1985年1月)PDF

1993年

嶺井行正さん(新里)がマンゴーづくりについて佐敷町からの取材を受ける。

●嶺井さんは、1993年の取材時83歳。1994年にも取材を受けた。

【コラム】熱帯果樹の栽培が趣味 嶺井行正さん

嶺井行正さんは、果樹栽培が趣味で、75歳のときにマンゴーづくりを始めました。自宅の裏には200坪のマンゴー畑があり、そこに5つのハウスが建てられていて、3種類のマンゴーが栽培されていました。

嶺井さんは、朝夕、病害虫などがついていないかをチェックすることを日課としていました。また、嶺井さんは研究熱心で、甘くておいしいマンゴーをつくるために、常に、情報交換をしたり、新聞記事を切り抜いたりしていました。

なお、嶺井さんは、マンゴー以外にも、レイシなど数種類の熱帯果樹も栽培していました。

参考資料:
広報さしき 第191号(1993年6月)PDF
広報さしき 第207号(1994年10月)PDF

1998年7月30日

波多江小学校の生徒が、交流訪問で佐敷町のマンゴー園などを訪れる。

●同校は、福岡県糸島市内にある小学校。1962年に、佐敷小学校と姉妹校提携を結んでいた。
●同校の生徒は、7月29日から8月1日まで佐敷町に滞在した。
●同校の生徒は、月代の宮や南部戦跡を見学したほか、サーターアンダギー作りや黒糖作り、海水浴などを楽しんだ。