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冨祖崎の人々の生活に伴う井戸利用の変遷

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冨祖崎の人々の生活に伴う井戸利用の変遷
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琉球大学人文社会学部琉球アジア文化学科 宮城晴香

はじめに

 現在、生活用水として用いられるのは水道水が一般的である。しかし、沖縄県は河川が少なく、かつて水資源に乏しかった中で井戸水は、「人命を支え、人々にうるおいと安らぎを与え、地域住民の癒しと憩いの場でもあった。現在でも人々の精神的な支えになっているところとして祭祀の対象であり、公民館や自治会が地域に所在する湧水や井戸を管理し、年中行事として拝んでいるところも多い」(上里 2022:p.1)。このように、井戸は沖縄の人々の生活の支えとして大きく機能していたが、冨祖崎も井戸を持つ地域の一つである。

 本レポートでは、冨祖崎の人々の生活に伴った井戸利用とその変遷を明らかにする。私が井戸利用に関心を持ったきっかけは、本講義の野外調査にて冨祖崎を訪れた際にウブガーを始めとする複数の井戸を見ることが出来、井戸が日常生活に欠かせないものであったことを知ったからである。それほど必要不可欠な存在であった井戸を冨祖崎の人々は現在までどのように利用してきたのか知りたいと考え、「冨祖崎の人々の生活に伴う井戸利用の変遷」というテーマの下、調査を行った。

聞き取ったこと

話者:楚南幸明さん(1942年12月9日生まれ)
調査日:2023年6月17日(土)、2023年6月27日(火)、2023年7月20日(木)、2023年8月3日(木)、2023年8月17日(木)

<生活用水としての井戸水>
 冨祖崎の井戸は、ウブガーと呼ばれる共同で利用していた井戸と、各家庭でつくられ利用された井戸に分かれる。ウブガーは、1740年に冨祖崎へ人々が入植した際、水が人間の生活に必要不可欠であるが故に冨祖崎で最初に掘られた井戸である。ウブガーを始めとして各家々でも井戸が掘られた。冨祖崎の人々は、1945年まで生活用水としてウブガーと家の井戸両方を利用していた。野菜を洗ったり、飼育していた豚に関するものだったりと沢山の水が必要だったが、一箇所から得られる水の量では足りなかったため、ウブガーと家の井戸を併用していたという。そのため、ウブガーの水を得る際は、自ら水を汲みに行っていた。基本、水汲みの頻度は一日に一回であった。水汲みは主に子供達の仕事で、釣瓶のような道具を用いて井戸水を汲み上げていた。当時は家族皆が力を合わせ、協力して生活していたと楚南さんは語った。

<井戸水から水道水への転換>
 1974年の1月に、冨祖崎に水道が引かれるようになった。しかし、冨祖崎全体に水道水が普及するまでには、1~2年程の時間を要した。その背景には、これまでの生活用水が労力は掛かるとも、お金を必要とせず自らの手で水を得られる生活様式が大きく関わっていた。実際、楚南さんの父親は「空気と水はタダで得られる」ことが日常であったため、料金を支払い水を得るという新たな生活様式を取り入れることに抵抗を感じていたそうだ。暮らし在り方は、これまでの歴史の延長線上にあるものであるため、生活様式が一転することに抵抗を覚えることは理解できると楚南さんは語った。しかし、水道水を導入した周りの人々から話を聞き、楚南さんの父親は徐々に水道水への理解を進めたのではないかと楚南さんは考えている。水道水が暮らしに浸透してきても、飼育していた豚や鶏の餌を作る際には井戸水が使われていたそうだ。用途により井戸水と水道水を使い分けた生活が営まれた。

<現在の井戸利用>
 現在は、生活用水として水道水を利用することが一般的になったが、各家庭で掘られた井戸はそのまま残している家が多い。楚南さんは、庭の手入れで散水用に井戸水を利用しており、他にも家庭菜園の散水用などで井戸水を用いる方は多くいるそうだ。用途は縮小したものの、井戸利用が全く無くなった訳ではないことが分かる。
 また、ウブガーは冨祖崎の人々の生活を支えた場として祈願の対象にもなっている。そのため、正月祈りを中心として、公民館が建設される際の安全祈願や個人での祈願など冨祖崎の人々の精神的な支えの場としても機能している。以下の写真は、旧冨祖崎公民館を建設する際、ウブガーにて公民館が無事に建設出来るよう祈願した様子が撮影された写真である。

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 ウブガーにて祈願する際は、拝む方向や形式などに決まりがある訳では無い。ウブガーの近くの広間にしゃがみ、口上は異なるものの、それぞれの想いを込めて祈るスタイルである。

<井戸の今後>
 井戸水を生活用水として利用することが無くなった世代の人々が増えていく中で、井戸に対する感謝などの認識は徐々に薄れていくだろうと楚南さんは語った。現在も井戸を生活の中で利用している人々は、かつて井戸水を生活用水として利用していた人々が主である。お手伝いで子供が井戸を利用することもあるが、高齢の方々による利用が減ると、自ずと井戸は利用されなくなっていくことが想定される。また、かつては断水が発生することもあり、水の有難みを実感することも多かったが、現在はそのようなことも無くなった。井戸が冨祖崎の人々の生活に欠かせない存在であったことを語り継ぐことは出来るが、細々と繋いでいくことになるだろうと楚南さんは仰っていた。井戸を埋める際には、人々の生活を支え信仰の対象でもある井戸に対して感謝するような行いがある。       また、ウブガーの管理に関しては冨祖崎が担っている。危険防止のために井戸の蓋は閉めるようにし、正月には区長を始めとする役員の方々により祈願されるなどの管理が行われているそうだ。管理の主体は自治会であるため、井戸そのものは後世に引き継がれ、守られるのではないかという。

考察

 本レポートを書き上げるまでに、計4回に渡る聞き取り調査を行った。調査を通して、かつて冨祖崎の人々は生活用水の全てに井戸水を使用していたが、水道水の導入により井戸利用が徐々に縮小し、現在は限られた用途で井戸利用が続いているという変遷が明らかになった。冨祖崎には多くの家に井戸が存在するが、私の身の周りで井戸を持つ住宅は全く無いため、冨祖崎全体に井戸が分布していることそのものが冨祖崎の大きな特徴だと考える。一方で、井戸が冨祖崎の人々の生活を支えてきた歴史やそこから芽生える感謝の想いなど、井戸が存在する背景にあるものを身を持って感じる人々が減少していることは、現在の課題である。暮らしを支えるものは、生活の中に取り入れてこそ身近な存在と捉えることが出来る。しかし、水が容易に手に入るようになった現在において、日常的に井戸を利用することは難しいだろう。暮らしの当たり前が変化した現在だからこそ、先人らの営みがあり現在のような暮らしがあることを認識することは、若い世代の人々が井戸に対して持つ想いの高まりや積極的な管理活動にも繋がるのではないだろうか。井戸が冨祖崎の人々の暮らしを支えてきた存在であることを人から人へ語り継ぐことで、後世にも伝えることの意義は非常に大きいと考える。

おわりに

 本野外調査を通し、調査を行う上で調査地に何度も足を運ぶことの大切さを実感した。初めは楚南さんの語りを受け取ることに精一杯だったが、回数を重ねる中で徐々に対話が出来るようになったと思う。また、一度聞いたことを持ち帰り、整理する中で新たに浮かんだ疑問を次の調査の際に質問するということ繰り返す中で、自分自身の調査テーマであった「冨祖崎の人々の生活に伴う井戸利用の変遷」の全体像を掴むことが出来た。決して多い回数ではないと思うが、それでもこの短期間で話者との距離の縮まりや信頼関係の構築など、他者と関わり合って調査研究を進めていく中で欠かせないことを多く学べ、良い経験となった。本野外調査で得たことは、卒業論文に伴う調査研究の際にも大きく役立てたいと思う。

参考文献

上里勝實(2022)
 『沖縄の湧水・井戸見て歩き』琉球新報社.
長嶺操(1992)
 『沖縄の水の文化誌 井戸再発見』ボーダーインク.
冨祖崎区字誌編集委員会(2023)
 『ハマジンチョウの里 字誌 冨祖崎』冨祖崎公民館.