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湧上洋さんオーラルヒストリー(7)「農業②」

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湧上洋さんオーラルヒストリー(7)「農業②」
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1.はじめに

 前回のオーラルヒストリーでは、湧上さんが定年退職するまでに行った農業行政部門および農業技術部門の業務の内容を紹介しましたが、今回は、定年退職後の農業行政での活躍に光を当てます。
 湧上さんは1995年3月に定年退職しましたが、翌年の11月には沖縄県農業会議農業農村活性化推進機構総括アドバイザー(以下、アドバイザーと表記する)に就任しました。農業行政組織の業務と農業技術の両方に明るいという理由で、県から声がかかり就任することになりました。
 湧上さんがアドバイザーだった当時、もう1名アドバイザーがいましたが、この2名ですべての業務をこなしていました。業務には、高い専門性(幅広い知識や実務経験)が要求されました。それは2つの理由によります。1つは、沖縄県農業会議の事業は国の事業の一環として実施されるので、他の都道府県の農業会議が実施する様々な事業を研究しなければならなかったということ、もう1つは、沖縄県特有の気候・土壌・作物・生産者動向・消費者動向などを考慮して事業を企画・運営しなければならかったということです。20年間農業行政・技術に携わってきた湧上さんには、この仕事は適任であったと言えます。
主な業務の流れは、以下のようなものでした。

①沖縄県内の各市町村は、推進したい農業構造改善事業計画を県に申請する(事業計画書を県に提出する)。
②県の担当部局の職員だけで、その事業計画が適切であるかどうか判断が難しい場合、アドバイザーは事業内容をチェックし、担当部局の職員にアドバイスをする。その際、他都道府県の市町村や農協(現JA)の優良事例などを参考にする。また、必要であれば、市町村の農業担当者や農協の営農指導員、県の農業改良普及員を集め、話し合いの場を設ける。
③アドバイザーは、農業・農村活性化に関する事業を実施する。

 よくある業務の例としては、他都道府県の取り組みを学ぶための現地視察があります。湧上さんは静岡県での現地視察を企画・実施したことがあります(各市町村の農業に関係する職員や各市町村の農協の営農指導員が参加)。本稿では、以下、それ以外に湧上さんが関わった事業を3つ紹介します。それらは、構造改善センター設置、ビニールハウス導入の促進、農村女性リーダー養成です。
 なお、本稿における参照文献の記載のない記述は、すべて聞き取りで得た情報が基になっています。

構造改善センター設置

 構造改善センター(公民館)設置は、農業農村活性化農業構造改善事業の1つです。愛地構造改善センター(南城市玉城)や新城農業構造改善センター(八重瀬町新城)は、湧上さんが関わった実例です。農業農村活性化農業構造改善事業の概要は次の通りです。

 農業農村活性化農業構造改善事業は、昭和59年度から実施されてきた新農業構造改善事業(後期対策)の成果を踏まえつつ、最近の農業・農村を取り巻く情勢に対処し、農業・農村の活性化を図ることを目的として平成2年度より発足し、実施されている。
 本事業は、21世紀を展望した国民的運動としての「農業・農村活性化運動」を展開し、地域、都道府県、地方ブロック、全国の各段階を通じる「人・物・情報」の交流ネットワーク形成等、独創的・自発的な地域づくりを推進・支援する体制整備を行うソフト事業、および地域の立地条件に即して独創的・自発的に行われる農業・農村活性化に向けての取組みを支援するためのハード事業の2つから構成されている。

薮崎宗博1992「小講座 農業農村農業構造改善事業」『農業土木学会誌』762頁

 換言すれば、同事業は、現代の状況に合わせて農業・農村活性化を支援する事業ですが、大きくソフト事業とハード事業に分けられます。構造改善センターの設置は、後者ですが、その概要は次の通りです。

 生産性の高い土地利用型農業の確立、需要創造型農業(の確立)、地域資源の整備・活用等地域の立地条件に即した方向で農業・農村の活性化を図るため、地域リーダー、プロ農業者等の「人づくり」や地域リーダーを核とした「組織づくり」の推進、土地基盤および農業近代化施設等農業生産条件の整備,集落環境条件の改善等の事業を地域の様態に応じ総合的に実施する事業。

薮崎宗博1992「小講座 農業農村農業構造改善事業」『農業土木学会誌』762頁

※(の確立)は、筆者が記載。

 構造改善センターは、公民館と同等の機能(地域福祉の向上など)を持ちますが、農村においては農業振興のための施設としても機能します。たとえば、農業意欲の向上と研鑽の場(地域農業者の集会や研修等)として利用できます。農村の公民館は、ここで記されている「プロ農業者等の『人づくり』や地域リーダーを核とした『組織づくり』の推進」のための研鑽の場として活用できると言えるでしょう。

3.ビニールハウス導入の促進

 湧上さんがアドバイザーになった頃(1996年)、沖縄ではマンゴーの生産が高まってきていました。沖縄産マンゴーは、「1989年には前年比で約3倍の85tが収穫され、1990年代に入り、その生産は急増」[中村ほか2008:36]しました。1996年では収穫量が1,020tとなっています[中村ほか2008:36]。
 農業を重要産業の1つとしている沖縄県は、その需要の増加に対応しなければならなくなりましたが、生産者にとって大きな課題はビニールハウスの導入にかかる高いコストでした。しかし、いくらコストが高くても、安定した収穫量を得るためには、ビニールハウスによる施設栽培が必須でした。「施設の目的は降雨による炭そ病からの回避、開花期の保温による着果促進、防風ネットの被覆による強風からの樹体の保護等」[伊藝1994:20]で、「施設栽培でなければ、経済栽培は成立しない」[伊藝1994:20]ということであれば、県がやるべきことはビニールハウス導入への支援でした。
 各市町村は、生産農家のニーズに応えて、ビニールハウスの導入事業を推進しました。アドバイザーは、必要に応じて県に申請された事業計画の事業内容のチェックをし、県の担当者にアドバイスをしました。また、他都道府県の優良事例の紹介等もしました。短期間ですが、湧上さんはアドバイザーとしてこの事業の推進に携わっていました。

ビニールハウスの導入が推進されたことで、マンゴーの生産量は増加しました。「2000年には(中略)収穫量1,290tとなり、同県マンゴー産出額が17億円と農産物産出額の第10位にランク」[中村ほか2008:36]されるようになりました。

 湧上さんは、当時を振り返ってこう言います。「マンゴー栽培の初期には“雨よけ栽培”で栽培されていました。透明フィルムの“雨よけ屋根”を設置するだけで、壁面はありませんでした。しかし、品質をよくするためには、壁面もあるビニールハウスが導入される必要がありました。ビニールハウスの導入・普及で、マンゴー生産農家が増えました。また、この事業では、マンゴーだけでなく、花卉(ラン)栽培のためのビニールハウス設置もありました。さらに、八重山や北部では、生食用のパイナップル栽培用のビニールハウスの導入もありました」

4.農村女性リーダー養成事業

 農村女性リーダー養成セミナーの開催は、湧上さんにとって強く印象に残っている事業です。本章では、「セミナー開催まで」、「セミナー当日」、「湧上さんの回想」に分けてこの事業について詳しく説明します。

(1)セミナー開催まで
 農業会議の業務には、国から大方針(テーマ)が与えられ、県が具体的な企画を立てて事業化するという業務があります。湧上さんがアドバイザーとして勤務するようになった時は、「農村女性リーダーの養成」が大方針でした。湧上さんは、もう1人のアドバイザー(内閣府・沖縄総合事務局の課長経験者)と次のように、開催までの実務を遂行しました。


・「農村女性リーダーの養成」に関する他都道府県の様々な事例を参考にし、その結果、セミナーを開催することにした。
・地域で活躍する女性(主に、農産物の加工品の開発に成功した女性)に光を当てたセミナーを開催することを決定した。
・セミナーの内容と構成を決定した(2名の専門家による講演と、4名の地域で活躍する女性によるパネルディスカッション)。
・講演者とパネリストを決定した(農業改良普及センターに電話で相談して、セミナーの趣旨に合う女性を紹介してもらった)。
・事前にパネリストに会いに行き、人物を確認した(4名とも、明るく活動的な人であることが確認できた)。
・セミナーの実施日と場所を決定し、関係者へ連絡した(セミナーの会場を予約したり、各市町村の農政実務担当者2、3名の参加を要請したりした)。

 これらの実務は、見ての通り、高度な判断を要する業務(調査・立案)と、地味な業務(手配)の両方でした。2名しかいない職場なので、何でもやらねばならなかったのです。

(2)セミナー当日
 沖縄県農業・農村活性化推進機構(沖縄県農業会議)が主催するセミナーは、1997年6月24日~25日に白雲荘(恩納村字恩納)で開催されました。参加者は、市町村生改グループ、農協婦人部、酪農婦人部等農村農家中堅女性でした。
 次のような趣旨により、セミナーは実施されました。

 最近の農業の担い手の6割は女性(主婦農業)が占めているといわれている。
 従って、真に人間性に満ちた豊かな農村社会を築いていくためには、女性のもっている多様な能力等(女性の視点、感性、発想、活力、明るさなど)を顕在化させ、農村女性の自主的・積極的活動が重要であると考えられる。
 そこで、男女共同参画による「みんなが安心して住んでみたくなる農村づくり」を実現するために、参加者みずからの農村女性リーダーとしての資質の高揚と啓発の場にするため、農村女性リーダー養成セミナーを開催する。

沖縄県農業・農村活性化推進機構(編)1997『第3回農村女性リーダー養成セミナー記録集』沖縄県農業・農村活性化推進機構 1頁

 要するに、農村女性リーダーの活躍ぶりを広く知らせることにより、より多くの農村で女性のリーダーを増やしていくということが、セミナーの目的でした。パネリストは、参加者に刺激を与えるような個性的なリーダーである必要がありましたが、幸い、4名ともその点ではまったく問題がありませんでした。
 セミナーの式次第は次の通りです。

①基調講演:満永光子 元上越教育大学教授、現共立女子大・同大学院および放送大学非常勤講師(当時)。演題「21世紀の農村・農業を拓く女性たち」[沖農1997:1]
②パネルディスカッション:パネリスト(喜友名慶子、山崎純子、金城笑子、津嘉山千代)。コーディネーター(渡久地トヨ 沖縄県農林水産部営農推進課総括専門技術員・活性化推進機構専門アドバイザー)[沖農1997:1]
③講演:川村綾子 名川チェリーセンター101人会会長。演題:「農村女性グループの情熱が農業と地域を動かす」[沖農1997:1]

 講師とパネリストの略歴は次の通りです。

【講師】
・満永光子:農林省農業改良局統計調査部。農林省農業技術研究所経営土地利用部。農林水産省農業研究センター農業計画部[沖農1997:3]。
・川村綾子:名川町に嫁ぐ。特産品づくりをはじめ、名川町特産品研究会を結成し会長となる。名川チェリーセンター101人会を結成し、会長となる。1995年には、支えあうくらしと農を育む婦人高齢者グループの生活・生産活動に関する表彰・最優秀賞・農林水産大臣賞受賞。日本農林漁業振興会会長賞受賞。青森銀行賞受賞[沖農1997:3]。

【パネリスト】
・喜友名慶子:嘉手納町出身。東京の設計事務所勤務。嘉手納町の設計事務所勤務。大宜味村へ移住、酪農経営をはじめる。沖縄県酪農婦人部北部支部役員。大宜味村女性対策会議推進委員。全国農業担い手女性会員[沖農1997:5]。
・金城笑子:名護市出身。大宜味村へ嫁ぐ。結婚前から学校栄養士として働く。学校栄養士退職後、生活改善グループに加入し活動を始める。「笑味の店」を経営開始。2005年、生活改善実行グループ全国連絡研究会手作り加工推奨品に認定(シークヮーサーあがらさー、シークヮーサーあんだぎー)。2006年、大宜味村有料特産品に認定(シークヮーサーあがらさー、シークヮーサーあんだぎー、シークヮーサーもち)。大宜味村シークヮーサー対策協議会委員[沖農1997:5]。
・山崎純子:石川市(現うるま市)出身。沖縄文教学校研究科卒業後小学校勤務。退職後、若竹生改グループを結成し会長となる。中部地区生活改善グループ連絡協議会会長、県生活改善グループ連絡研究会会長を歴任。1996年食アメニティ・コンテストで国土庁長官賞を受賞。石川市特産品開発ビジョン作成審議委員。石川市女性問題懇話会委員[沖農1997:6]。
・津嘉山千代:下地町字与那覇出身。25年間のそろばん教室の経営を経て、農家民宿をはじめる。1990年パパイヤ漬けを商品化。1994年食アメニティ・コンテストで国土庁長官賞を受賞。1995年沖縄県離島フェアで優良特産品優良賞を受賞。農家民宿(津嘉山荘)経営。下地町生活改善グループ会長[沖農1997:6]。

 4名のパネリストに共通している点は、最初から農業に従事したわけではないという点です。これは、農業を始めるのはいつからでも遅くはないということと、農業と異なる職業から農業に転進してもリーダーになることができるということを意味しています。4名は、多くの未来のリーダーに希望を与えることができる人材と言えます。その意味では、この4名の人選は正しかったと言えるでしょう。
 では、4名のパネリストはどのような話をしたのでしょうか。パネルディスカッションのコーディネーター渡久地トヨ氏は、次のように要約しています(引用。ただし、丸括弧の記述は筆者による)。

喜友名さんは家族経営協定を締結しておられますが、農業経営についてはご主人が勝手に決めるのではなく、家族全員が話し合って、労働報酬や休日、農作業・家事作業の役割分担について取り決めをしています。

沖縄県農業・農村活性化推進機構(編)1997『第3回農村女性リーダー養成セミナー記録集』沖縄県農業・農村活性化推進機構 45頁

(金城さんは)地域の素材を使ってどのような食べ方をしているのかについて、高齢者から聞き取り調査をし、それに管理栄養士としての専門的知識と技術を生かして、子供達の嗜好にも合うように現代風にアレンジするなど、熱心に研究しておられます。

沖縄県農業・農村活性化推進機構(編)1997『第3回農村女性リーダー養成セミナー記録集』沖縄県農業・農村活性化推進機構 45-46頁

(山城さんは)若い女性たちをどんどん引き込んで、「ヤマグスクナントゥ(※)」などの加工技術を次の世代へ引き継ぐんだとの使命感で、後継者育成に情熱を注いでおられます。

沖縄県農業・農村活性化推進機構(編)1997『第3回農村女性リーダー養成セミナー記録集』沖縄県農業・農村活性化推進機構 46頁

 ※「ヤマグスクナントゥ」:ヤマイモを素材にしたナントゥ

(津嘉山さんは)現在、農家民宿を経営しておられますが、都市の方に、安らぎと潤いのあるひと時を過ごしてもらうために、自分で作った自然の光をいっぱいに浴びた、無農薬栽培の安全な食品や地域産物の料理等を提供し、又、自然との触れあいや交流の機会を多く持つなど、都市との交流を大事にしておられます。

沖縄県農業・農村活性化推進機構(編)1997『第3回農村女性リーダー養成セミナー記録集』沖縄県農業・農村活性化推進機構 46頁

 4名とも、独創的・個性的です。喜友名さんは家族と経営協定を結び、新たな家族労働のあり方を模索しています。金城さんは高齢者の持つ伝統的な知識と彼女の専門的な知識を融合させるという工夫を行っています。山城さんはヤマイモを素材にするという斬新な方法でナントゥを作っています。津嘉山さんは「都市との交流」をテーマに、食と観光の両面から農村の活性化に励んでいます。
 このセミナーは成功裏に終えました。後に、参加者から湧上さんに送られて来た感想も好意的なものが多かったとのことです。

(3)湧上さんの回想
 湧上さんの回想を、筆者とのインタビュウ形式で紹介します。

――この農村女性リーダー養成セミナーに関する業務は、準備から当日まで大変だったのではないでしょうか。

そうですね。私含めて2名でこなさなければいけなかったので大変でした。いろいろと調べることも多かったですし。それに、国の事業なので、重い責任を感じていました。

――女性が農業でリーダー的役割を果たすということについては、どのように考えていますか。

沖縄では女性は古くから農業に参加しています。女性が担い手になり農村リーダーとして活躍することに違和感はありません。

――私がフィールドワークをした来間島でも、セミナーのパネリスト同様、女性が農作物の加工品を開発していました。また、レストランで農作物を使った料理を提供するということも行っていました。そのような作物の2次利用に、特に女性の能力が活かされているように思います。

そのように思います。農業の振興には、付加価値をつけていくことが重要で、それが実現できている女性の活躍ぶりを多くの人に知ってもらうために、このセミナーを企画しました。個性的で能力の高いパネリストを集めることができてよかったです。

――津嘉山さんは来間島とも関係が深い方なので、私も知っています。津嘉山荘ですばらしい料理をいただいたこともあります。ほかの観光客も感動していました。津嘉山さんが有名である理由がよくわかりました。

私も彼女のことはよく覚えています。意欲の高い方で、圧倒させられましたね。津嘉山さんだけでなく、金城笑子さんも有名で、先日も彼女が経営する「笑味の店」がテレビで紹介されていました。

――玉城で同様の話がありますか。

玉城でも、生活改善グループ女性たちが一緒になって

味噌をつくっていたことがあります。女性はグループ作業が得意であるような印象を持っています。

――湧上さんがパネリストの方々に特に感心した点は何ですか。

地産地消という言葉が流布される前から、土地の素材にこだわって、その土地で生産された作物を活かすことを真剣に考えたという点ですね。自分の利益だけでなく、共同体全体の力を底上げしようとする気持ちが素晴らしいです。彼女たちは優れた農村リーダーであると思います。

――彼女たちの活躍ぶりをほかの農業関係者が知る価値があると思って、このセミナーを開催したということですね。

そうです。優れた取り組みが、ごく一部の地域でしか知られていないのは、もったいない。よい事例を広く知らしめることが、農業農村活性化推進機構総括アドバイザーの役割の1つです。沖縄のみならず日本の農業全体を活性化させるには、参考になる情報をできるだけ広く多くの人に伝える必要があると思います。

――このアドバイザーの仕事に求められる知識や能力を教えて下さい。

まず農業行政の実務に関する基本的な知識は当然必要となります。そして、どの作物がどの地域・土壌で育つか、どの作物がどのように普及してきたかという知識も必要です。JAや農業改良普及センターなどの組織形態がどのようなっているか、各組織がどのような機能を有しているのかも知っておく必要があります。その他、土地改良や機械化・省力化の歴史も知っておくべきかもしれません。担い手の問題など、現代農業の問題に関心を持っておくことも重要です。能力について言えば、それらの知識をどれだけうまく活用できるかが問われます。つまり、どれだけよい情報を吸い上げて、どれだけニーズに合った事業を企画することができるか、ということです。

コーディネーターとパネラー。第3回農村女性リーダー養成セミナーにて。[沖農(1997)69頁より転載]
講演をする川村綾子氏。第3回農村女性リーダー養成セミナーにて。『平成9年度第3回農村女性リーダー養成セミナー記録集』[沖農(1997)70頁より転載]
質問をしている参加者。第3回農村女性リーダー養成セミナーにて。『平成9年度第3回農村女性リーダー養成セミナー記録集』[沖農(1997)70頁より転載]

さいごに

 湧上さんは、沖縄県農業会議農業農村活性化推進機構総括アドバイザーとして、3年間農業行政に携わりましたが、当初は10年間の勤務を依頼されていました。この仕事は、県全体の農業振興に貢献するというやりがいのある仕事でしたが、湧上さんは、地元で『玉城村 船越誌』の調査・執筆・編集に多くの時間を割かねばならなくなり、3年で区切りをつけることにしました。
 3年の間に、静岡県への視察を実施したり、構造改善センターやビニールハウスの設置推進事業で適切に助言したり、農村女性リーダー養成セミナーを企画・開催したりしました。これらの事業では、湧上さんが定年退職するまでに約20年間沖縄県で農業行政部門と技術部門の業務を行ってきた経験が活かされました。

【参考文献】

伊藝安正1994「沖縄におけるマンゴー栽培の現状と課題」『沖縄農業』29(1):16-25
沖縄県農業・農村活性化推進機構(編)1997『第3回農村女性リーダー養成セミナー記録集』沖縄県農業・農村活性化推進機構
中村哲也ほか2008「沖縄産マンゴーの県外市場開拓と消費者意識」『農業経営研究』46(2):35-40
薮崎宗博1992「小講座 農業農村農業構造改善事業」『農業土木学会誌』60(8):762