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【地域行事の”いま”】②奥武島の海神祭

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【地域行事の”いま”】②奥武島の海神祭
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文:井口学(沖縄民俗学会)、田村卓也(南城市文化課)

1.奥武島最大の行事「海神祭」

 沖縄の各地では、旧暦5月4日(ユッカヌヒー)の前後に船を漕ぎ競い、豊漁や航海安全を願うハーリーという行事がおこなわれます。とくに有名なのは、那覇や糸満のハーリー(糸満ではハーレー)ですが、それらと同様に盛り上がるのが、南城市奥武島の海神祭です。島で最も規模の大きな行事である海神祭には、例年4,000~5,000人ほどの見物客が訪れ、白熱する勝負にエールを送ります。ところが、この3年間は新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、従来のように大規模な行事は開催できていません。今回の記事では、2022年6月2日(旧暦5月4日)におこなわれた海神祭の様子をお伝えします。

▶当日の様子をまとめた映像はこちら
▶奥武島の海神祭にかんする資料はこちら
地域行事の”いま” ①古堅のミーミンメー

大勢の観客でにぎわう会場(2015年)
東・西に分かれて七番勝負を競う「本バーリー」(2019年)

2.前御願

 

前御願と海神祭の当日にまわる拝所。

 海神祭の前日にあたる6月1日、区長や神人、海頭らが参加し、島内の拝所をまわる前御願がおこなわれました。区長によると、もともとは海神祭の朝にすべての祈願をおこなっていましたが、職域ハーリーがプログラムに組み込まれ、当日の日程が過密になったことから、前日に拝所をまわるようになったそうです。
 午前9時すぎ、祈願に参加する一行は、島の中心的な拝所である観音堂に集まりました。拝殿奥の祭壇には、陶製の観音像が安置されています。かつて、観音堂には400年ほど前に島民が難破した唐船を救助したお礼として、唐から贈られた金の観音像が祀られていました。しかしながら、戦時中に行方不明となったため、あらたに本土から購入した観音像を置くようになったそうです。初御願や十五夜といった、奥武島の主要な神事では、まず最初に観音堂で祈願をおこないます。神人らは、祭壇の前に酒や米を載せた盆、果物、線香などを供えて拝みます。
 つぎに一行は、観音堂の右隣にある殿(トゥン)へ移動します。ここは、竜宮神・東ヌ御嶽・中ヌ御嶽・西ヌ御嶽への遥拝所であり、赤瓦の拝殿には、各拝所に対応した石の香炉が4つ置かれています。かつて、殿は観音堂の下にありましたが、共同売店の建設にともない、1960年に現在の場所へ移設されました。ここでも、観音堂と同じように供物を供えて拝みます。

前御願の朝。区長、神人、海頭らが観音堂に集まる(2022年)
観音堂に隣接した殿(トゥン)。奥に4つの香炉が置かれている(2022年)

 ここから先は、自動車に乗って移動します。一行がまず向かったのは、島の南東海岸にある竜宮神という拝所です。この拝所はもともと、海に面した洞窟のなかにありました。しかしながら、潮が満ちている時間帯に立ち入ることができず不便なため、1971年に現在の場所(海岸)へ移されました。竜宮神での祈願からは、焼き魚や刺身のほか、米や茶、団子、スク(アイゴの稚魚)などを載せた盆が供物に加わります。一行は海に向けて供物を並べ、左右それぞれに白紙と線香を置きます。左側の白紙と線香は竜宮神を、右側のものはカーシン(井戸)を拝むものです。井戸を拝む場合、線香は燃やさないことになっており、ここでは竜宮神に向けた左側の線香だけに火をつけます。

 竜宮神のつぎは、漁港のそばにあるハマヒチヌ主へと向かいます。ここは、航海安全や豊漁を祈願する拝所で、港の拡張工事にともない、2011年に現在の場所へ移設されました。拝所には、小さな石碑と香炉が設置されています。ここでは、正面の香炉に向けて拝むとともに、知念半島の高台にある玉城城跡への遥拝もおこなわれます。このあと、集落内にある浜ヌ御嶽(浜ヌヌウシジ)を拝み、この日の日程は終了しました。
 奥武島は、周囲1.7kmほどの小さな島ですが、島内にはじつに30カ所以上もの拝所が存在しています。お話をうかがった神人によると、祈願をおこなう拝所は行事ごとに決まっており、前御願でまわるよりも多くの拝所を、一日で巡拝することもあるそうです。

竜宮神での祈願(2022年)
竜宮神で用意された供物(2022年)

3.奥武島のハーリーについて

 奥武島の海神祭では、区の所有するハーリー船を使って競漕をおこないます。海神祭のハーリーは、住民による本バーリーと、島外から多数の漕ぎ手が参加する職域ハーリーに分けられます。本バーリーでは、住民たちが東西の組に分かれ、「御願バーリー」から「上がいバーリー」までの七番勝負を競います。このなかには、奥武橋の上から漕ぎ手が海面に飛び込んでスタートする「流れ船(三番ハーリー)」のように、奥武島ならではの競漕も含まれています。本バーリーに引き続き開催される職域ハーリーには、毎年40チームほどの参加があり、熱戦を繰り広げます。

 2020年と21年は、感染症拡大の影響により職域ハーリーが中止されました。本バーリーも大幅に規模が縮小され、20年には「御願バーリー」のみが、21年には「御願バーリー」と「上がいバーリー」のみが催されました。コロナ禍に入って3回目となる今年の海神祭では、前年と同様に「御願バーリー」と「上がいバーリー」のみがおこなわれました。地元の方の話によると、「御願バーリー」は重要な神事であり、たとえ天候が悪くても中止することなく、毎年必ず執り行われてきたそうです。

観音堂前に並べられた4隻の船。奥に建つのは旧公民館(2015年)

4.海神祭当日の様子

 旧暦5月4日にあたる、6月2日の朝6時15分。黒く重たい雲が立ち込め、小雨が降り続くなか、区長が公民館にやって来ました。机の上にはハーリー船に載せるお盆(ビンシー)が用意されています。また、観音堂の前には、前日夕方に運んできたハーリー船が置かれています。例年の海神祭では、4隻の船を使いますが、今年は規模を縮小して実施するため、2隻だけが用意されています。区長は、公民館のスピーカーをとおして行事の案内をおこない、「しっかりと感染対策をとった上で、応援をお願いします」と住民に呼び掛けていました。
 7時ころ、観音堂に区の役員や神人、船を漕ぐ男性たちが集まりました。次第に雨が強さを増すなかで、区長が行事の趣旨について説明したのち、前日同様に観音堂と殿での祈願がおこなわれました。その後、漕ぎ手が東西に分かれ、銅鑼を叩きながら船を海まで運びます。
 ハーリー船を海に浮かべ、漕ぎ出す準備がおこなわれているなか、区長や神人、海頭らの一行は漁船に乗り込み、島の対岸近くの海中にある岩に向けて移動します。この岩はミシラギとよばれ、観音堂の由来譚に登場する唐船が係留された場所と伝えられています。本バーリーの開始にあたっては、ここで船上からの祈願をおこないます。7時半すぎに、東西それぞれのハーリー船もミシラギに到着しました。漁船の上では、神人がミシラギに向けて拝んだのち、供えたビンシーを東と西の船に手渡しました。

船上からミシラギを拝む(2022年)

 「御願バーリー」では、ミシラギから奥武橋の下をくぐり、東に向けて漕ぎ進みます。潮の流れに違いがあるため、奥武島側よりも志堅原側(本島側)を漕ぐのが有利といわれており、コース取りはくじを引いて決めます。今年は西が奥武側、東が志堅原側になりました。漁船の上で区長がエーク(櫂)を振り下ろすのを合図に、両組は雨が降りしきるなかを全力で漕ぎ始めます。勝負の結果、今年の「御願バーリー」は東の勝利となりました。勝負を見届けたあと、区長ら一行は島に戻り、ハマヒチヌ主とナカヌジョー(ハマヒヌカン)の2カ所で、「御願バーリー」の勝敗を報告しました。

 そのころ、両組の漕ぎ手たちは再び船に乗り、「上がいバーリー」をおこなうために漕ぎ出しました。水しぶきが高く上がる力漕の結果、今度は西が勝利をおさめました。例年の海神祭では、このあと昼すぎまで職域ハーリーが催され、会場は大いに盛り上がります。しかしながら、今年は「上がいバーリー」を最後に、8時半前には全競漕が終了しました。「上がいバーリー」が終わるころ、、激しく降り続いていた雨はようやく止みました。

5.行事を締めくくるガーエー

 「上がいバーリー」が終わると、東西の漕ぎ手が集まり船を担ぎ、大きく揺らしながら勝利を祝うガーエーがはじまりました。区長によると、例年のガーエーは、勝った組が負けた組に向かってケンカを仕掛けるようにおこなうそうです。今年は参加者が少ないこともあり。両組が合同でガーエーをおこない、無事に行事が終了したことを喜びました。両組が一緒にガーエーを行う様子は、長年海神祭に参加してきた区長もはじめて目にしたそうで、コロナ禍だからこそ見られた光景といえるかもしれません。来年は、いつものように賑わう海神祭が戻ってくることを期待しています。

東西の漕ぎ手が集まり、ガーエーをおこなう(2022年)

参考文献

字誌編集員会(編) 2011 『奥武島誌』奥武区自治会.
南城市教育委員会(編) 2018 『南城市の御嶽』南城市教育委員会.