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【地域行事の”いま”】①古堅のミーミンメー

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【地域行事の”いま”】①古堅のミーミンメー
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文:井口学(沖縄民俗学会)、田村卓也(南城市文化課)

1.コロナ禍の地域行事

 2019年に発生した新型コロナウィルス(COVID-19)は、未曾有の規模で世界中に拡大し、わたしたちの日常生活に多大な影響をもたらしました。家庭や学校、職場など、様々な場面において「あたらしい生活様式(New Normal)」が模索され、それまで”当たり前”とみなされてきたライフスタイルや慣行を見直す動きも広まりました。こうした状況下において、社会や日常生活がどのように変化してきたのか(あるいは、変化してこなかったのか)を記録しておくことは、この時代を生きる我々にしかできない重要な作業といえます。

 そうしたなか、「なんじょうデジタルアーカイブ(なんデジ)」では、地域の住民たちが協力しながらおこなう行事(以下、地域行事)に着目しました。沖縄の各地では、旧盆のエイサーや旧暦5月4日のハーリー、豊穣と繁栄を祈念する豊年祭など、多様な地域行事が各地でおこなわれています。3年以上も続くコロナ禍のなかで、地域の人びとはこうした行事をどのように続けてきたのでしょうか。「なんデジ」では今年度、南城市内各地の行事を取材し、その様子を動画とレポートで紹介する特別企画【地域行事の”いま”】を立ち上げました。第1回目となる今回は、古堅区(旧大里村)の「ミーミンメー」をとりあげます。当日の様子を撮影した動画もあわせてご覧ください。

2.古堅のミーミンメー

 古堅は、南城市の西部に位置する人口228人、世帯数125世帯(令和4年4月現在)の区です。古堅では、年間をとおして様々な行事がおこなわれますが、とりわけ盛大なのが旧暦4月1日のミーミンメーです。
 ミーミンメーは、かつて「スディチラーアラシー」ともよばれました。「スディチラー」は芭蕉布、「アラシー」は競い合うという意味です。冬物から夏物への衣替えをおこなうにあたり、人びとはあたらしく織った衣類の出来を競い合いました。その際に、盛大に歌い踊るようになったのが、ミーミンメーの起源といわれます。なお、地域のなかでミーミンメーは豊年祭とよばれることもあります。
 例年のミーミンメーには弥勒(ミルク)が登場し、地域の主要な拝所や広場を練り歩く道ジュネーがおこなわれるとともに、子どもたちの踊りや、勇壮な棒術などが披露されます。また、当日夜には公民館の舞台で多彩な芸能が披露され、会場は大いに盛り上がります。古堅ならではの芸能や、行事に参加する子どもの晴れ姿を見るため、ミーミンメーの日には域内外から多数の見物客が集まります。

2015年のミーミンメー。踊りを披露する子どもたち。

3.コロナ禍での行事

 本来であれば、区をあげて盛大に催されるミーミンメーですが、ここ数年は新型コロナウィルスの影響により、やむを得ず規模を縮小した形で開催されています。2020年には夜の部と道ジュネーの両方が中止され、少人数で歌や踊りを披露しました。また、2021年には、地元保育園の子どもたちによるミーミンメーの踊りだけが、公民館前の広場で披露されました。こうした状況にあっても、地域の拝所をまわる祈願だけは、区役員らによって毎年続けられてきました。
 2022年5月1日、古堅はコロナ禍に入ってから3回目となる、ミーミンメーの日を迎えました。当初、関係者の間では夜の部を中止し、道ジュネーを通常どおりに実施することが検討されました。しかしながら、県内における感染が拡大傾向にあることと、行事のなかで「三密」(密閉・密集・密接)となる状況を回避しにくいことから、道ジュネーを含めたすべての芸能を中止することになりました。話し合いによって中止の判断が下されたのは、数週間前のことだったそうです。結局、2022年のミーミンメーでは、区役員(区長・副区長・書記)と伝統芸能保存会会長による各拝所での祈願と、旗頭(トゥール)の設置のみをおこなうこととなりました。
 ここからは、行事当日の様子を詳しく紹介します。なお、拝所の名称については『古堅地区集落整備事業–記念誌–』(2001年)を参考にしました。

4.準備~拝所での拝み

 11時30分ころに公民館を訪ねると、そのには旗頭のパーツや弥勒の面、扇といった、行事に用いる道具がすでに用意されていました。区長が準備を進めていると、祈願に参加する役員や準備を手伝う地元の方たちが集まってきました。12時40分ころ、役員らは弥勒の面が置か
 その後、一行は弥勒の面をたずさえて照屋家(ティーラ)へと移動します。公民館のすぐ向かいにある照屋家は、集落草分けの家といわれています。照屋家では祭壇(ウカンヌン)に弥勒の面を安置して祈願するほか、仏壇や、台所にある火の神(ヒヌカン)、屋敷裏の井戸、別棟の神屋(メーグシク)にも線香などを供えて拝みます。
 このあと、例年であれば照屋家から弥勒が登場し、旗頭や子どもらを引き連れて地域の拝所をまわるのですが、今年は弥勒の面を祭壇に安置したまま、役員らだけで拝みを続けます。照屋家を出発した一行は、公民館裏の丘にある「地頭火の神」(ジトウヒヌカン)や「弥勒神」(ミルクガミ)、「イビヌ御嶽」といった拝所で祈願したのち、丘の上にある「お宮」へと向かいます。現在の「お宮」は1998年に改修されたもので、内部には1943年に区各所の拝所から集められた多数の香炉が置かれています。「お宮」は古堅における中心的な拝所であり、ミーミンメー以外の行事でも祈願がおこなわれます。つぎに、一行は「お宮」の後方にひろがる山の麓へと向かいました。ここでは、道路の脇から山中に点在する2か所の拝所(名称不明)と、「アジガー」という井戸をまとめて拝みました。このように、離れた拝所へ向けて祈願することを、ウトゥーシ(お通し)といいます。
 集落内に戻ると、「ビジュルの御嶽」(アシビガミ)、農村公園に隣接する2つの拝所(名称不明)、「リングムイ」と「ミルクガミ」とよばれる拝所を順にまわり、すべての祈願が終了しました。拝所をめぐる際のルートに決まりはありませんが、例年この順番で祈願をおこなっているそうです。

公民館の祭壇に置かれた弥勒の面。
丘の上に位置する「お宮」。古堅の主要な拝所のひとつ。
離れた拝所を拝む一行。

5.旗頭を立てる

 役員らが拝所をめぐる間、公民館では旗頭を立てる準備が進められます。13時50分、祈願を終えた一行が公民館に戻ると、そこでは2本の旗頭に飾りを取り付ける作業がおこなわれていました。作業を終えると男性らが旗頭を運び、公民館前のフェンスにロープで固定しました。2本の旗頭には、それぞれ「金聲玉振(きんせいぎょくしん)」と「豊年」の文字があります。例年おこなわれる道ジュネーでは「金聲玉振」の旗が列の先頭、「豊年」の旗が後尾に並びます。
 旗頭を立て終えた14時すぎ、作業のために集まった人たちと役員らが、風にたなびく旗頭の前で記念写真を撮りました。その後、公民館のスピーカーから流される曲にあわせて、参加者たちが「ミーミンメー」や「スーリ東」などの踊りを披露しました。照屋家の祭壇に安置されていた弥勒の面は、14時40分ころ、役員の手によって静かに公民館へと戻されました。

旗頭に飾りを取り付ける。
公民館前でたなびく2本の旗頭。

6.おわりに

 旧暦9月、古堅ではシマクサラーという厄除けの祈願がおこなわれます。昨年のシマクサラーでは、新型コロナウィルスの終息を祈りながら行事が進められたそうです。
 ここ3年間、古堅のミーミンメーでは感染拡大を予防する観点から、人が多く集まる芸能を縮小・中止するいっぽう、役員らによる拝所での祈願は簡略化することなく続けられてきました。今回の取材中、祈願に参加した役員のかたは「来年は(行事の再開を)期待しよう」とおっしゃっていました。ぜひとも来年は、住民の皆さんが参加する盛大なミーミンメーの様子を、「なんデジ」でお伝えさせていただきたいと思います。

★関連資料★
なんデジで公開しているミーミンメーの写真はこちら
古堅の芸能(多方向ハイビジョン撮影)はこちら

参考文献

記念誌編集部会(編) 2001 『古堅地区集落地域整備事業記念誌』記念誌編集部会.
南城市教育委員会(編) 2018 『南城市の御嶽』南城市教育委員会.