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【南城市の戦後産業調査レポート 2】株式会社 なかむら食品

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【南城市の戦後産業調査レポート 2】株式会社 なかむら食品
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2025年度 沖縄国際大学経済学部経済学科 専門演習 ~南城市の戦後産業調査~

沖縄国際大学経済学部経済学科 
チームA(神田一世、喜納愛子、城間健太郎、仲村好生)

1.はじめに

豊かな自然や海に囲まれている南城市には、多くの食品業が存在します。その中でも今回私たちは、南城市だけではなく沖縄の食文化を支えている株式会社なかむら食品に注目しました。なかむら食品は創業41年で、沖縄豆腐(島豆腐)の「うちなーとうふ」「うちなーのゆしどうふ」の製造販売を手掛けています。初代から家族経営でやっていることも特徴です。私たちは、同社・広報担当で、創業者の仲村正雄さんの娘である金城あやのさんに話を伺いました。

2.株式会社なかむら食品の歴史

―創業の経緯

正雄さんはもともとトヨタの営業をしていましたが、結婚後退職しました。その後、牛乳配達等をしながら生計を立てていましたが、病気になり退職。父親を戦争で亡くした正雄さんにとって、戦後の沖縄で安定した仕事を見つけることは容易ではありませんでした。そこで、子供5人を抱えて食べていくための手段として、豆腐を作ることにしました。沖縄の料理に欠かせない食品ということで、くるま麩と豆腐のどちらかで迷いましたが、豆腐作りの伝統が崩れ、途絶えていくことにとても不安があり、「だったら僕がやってみよう」と使命感を感じていたそうです。

当時は、豆腐を作って生計を立てていた人も少なくありませんでした。正雄さんのおばさんもかつて豆腐屋をやっており、その道具や場所もそのまま残っていました。正雄さんはそれを利用して、母親とともに豆腐づくりを始めました。冠婚葬祭など生活のあらゆる場面で豆腐が使われるため、需要は大きく、「持って行ったら即完売」という状況でした。南風原町から南城市まで毎日通いながら、夜中の2時や3時から豆腐を作るという厳しい日々が続きました。

―こだわりの豆腐造り

当時の作業場は狭く地窯で製造していた為、非常に暑い工場でした。もちろんクーラーもありませんでした。昔の沖縄はにがりがなかったので、代わりに海水を使っていました。「海がきれいだから満潮になる時間に海水をとってきて、沸騰した豆乳が入った鍋にやさしく入れます。海水には塩もにがりも入っているから本当の自然の恵みで豆腐をつくることができたんですよ。」とあやのさんが教えてくれました。それをゆっくり固めていくことで、とても柔らかい豆腐ができるそうです。

正雄さんは、豆腐の生絞りにこだわっていました。日本本土では炊き絞りといって、一度大豆を炊いたものを挽いて、おからと豆乳にわけます。一方で沖縄の生絞りでは、生の大豆を数時間水に漬け、すり潰して生のおからと豆乳に分けます。その豆乳を窯で炊き上げた後、鍋の中に移してにがりと塩を入れています。豆腐の濃度では炊き絞りの方が濃いですが、栄養価は生絞りの方が高いそうです。また、生絞りでは使用するにがりも全然違っており、正雄さんは「絶対に塩とにがりを入れないと沖縄の島豆腐は作れない」と言っていたそうです。

大量生産の為の豆腐製造の機械をどのようにするかという事も、創業からの課題でした。正雄さんは営業が得意で、いろいろな人とのつながりがあり、その縁でパン屋さんの方が協力してくれました。工場まで来て地窯の温度を測り、何時間ごとにどういう温度変化なのか、にがりと塩を入れるときの温度はどうなのかなどを調べて、「この温度を目安に機械を探しに行きなさい」とアドバイスをしてくれました。当時、いったいどこに行けば機械を手に入れられるのかもわからない状況のなかで、正雄さんはいきなり東京に行きました。作業着のままで、ビックサイトという今でもいろいろな展覧会などが開催される会場に行き、機械を見て回ったそうです。そのとき正雄さんが考えていたのは、短時間で集中して炊ける圧力鍋のような機械で、それに近いような機械をみつけました。正雄さんは試しに、そこの会社に訪問し豆腐を作らせてもらいました。当時は日本本土では沖縄の豆腐は知られていなく、向こうの方からすると、こんな作り方で本当に豆腐になるのかというような作り方だったといいます。実際に豆乳が出てきて、それを正雄さんが見て「これならいける」と言い、借金して機械を購入しました。その後も改良を重ねて、いまの炊き窯として完成しました。このようにして完成させた自動製造ラインが認められ、正雄さんは1999年に、職域における創意工夫功労者として 「科学技術庁長官賞」を受賞しました。

いまの沖縄の豆腐屋さんの多くは、日本本土で使われている製造機器をそのまま利用して製造しているそうです。「それは沖縄の豆腐みたいだけど豆腐ではない。本当の沖縄の豆腐というのは、生絞りでにがりと塩を使っていないと本当の沖縄の豆腐になりませんよってずっと言い続けているんです」と、あやのさんは言います。なかむら食品で使用している窯には、作り方一つ一つにこだわってその伝統を伝えていきたいという思いが込められています。

正雄さんの豆腐の味を決めるときには、同じ知念出身で帝国ホテルの元料理長でその後沖縄都ホテルの料理長も務めた、親川幸男さんの協力も得ました。南城市内の小さな商店を回って豆腐を売り歩くなかで、地元スーパーの㈱丸大と交渉し、豆腐を置かせてもらうようになりました。最初は1丁とか5丁からスタートしましたが、バイヤーさんも驚くほどの売れ行きで、瞬く間に売り場を拡大させてもらいました。沖縄の人は豆腐にこだわっている方が多く、変なものをつくったら今でもすぐ電話が来るとあやのさんは言います。皆に見られているので手抜きは絶対にできませんが、その分こだわって作っているのが購入者に伝わると嬉しいそうです。コロナ禍でスーパーに豆腐を卸せなくなってしまったとき、首里のおばあちゃんから電話があり、「あんたたちの豆腐しか食べないんだよ」「実は私もお豆腐屋でね、ほかの豆腐は食べれない」と言ってもらえたことが一番だったとあやのさんは喜んでいました。

―今後の展望

2021年6月から、衛生管理が強化され、スーパーでの「アチコーコー」の島豆腐の販売が制限されました。スーパーでは、「アチコーコー」で店頭に置くなら2時間で撤去しなければならないところもあり、多くの豆腐屋では、「アチコーコー」での販売をあきらめました。なかむら食品でも、2時間しか置けない豆腐を作り続けることは経営上のリスクが大きいといいます。それでも、「じゃあそれで無くしていいのか。先代の思いからくると、私たちはそういうわけにはいかないな」という思いで、「アチコーコー」での販売を継続しているそうです。

豆腐業界でも高齢化が進んでいて、あやのさん達が最も若い世代になっているそうです。そのなかで島豆腐という理念を崩さずに売り続けていき、これまでのようにスーパーで各家庭に買ってもらうという形だけでなく、観光客にも買ってもらえるような商品を作れるよう展開していきたいと、あやのさんは語っていました。

3.おわりに

今回の聞き取り調査で「なかむら食品」の島豆腐に対する熱い思いをたくさん伺うことができました。お客様から「他のところの島豆腐では満足できない」と実際に言わせるほどの技術と思いが詰まっているなあと実感することができました。実際にいただいた島豆腐は、今まで食べたどのお豆腐より、良い塩加減でしっかりとした食べ応えがありとても美味しかったです。

私たちは、「なかむら食品」を通して沖縄の産業の実体や伝統を守らなければいけない大切さ・難しさをたくさん学ぶことができました。創業者である仲村正雄さんの「本物の島豆腐をお客様に届けたい」という思いから、それを追い求めて普段の作業着のままで東京に乗り込むという行動力から始まり、その熱意は次代にも引き継がれコロナ禍や激しい台風に襲われた時も、お客様に求められ続けて様々な窮地を乗り越えていき、モノづくり日本大賞優秀賞を受賞するまでに至りました。創業当時から常に島豆腐とそれを欲してくれるお客様のことを考え続ける「なかむら食品」の方々からモノを売ることの大変さを今回の調査で学ぶことができました。それに、実際に南城市の産業に関わっている方のお話を聞いている中で、人材不足やインフラの整備の課題がまだたくさん残っていることに気が付きました。これらの課題は南城市だけでなく沖縄全体で取り組んでいかないといけないと思います。内地企業が沖縄に次々に進出してきている現在、沖縄の伝統は薄れつつあります。次代の沖縄を担っていく私たちが伝統を守っていこうというプライドと、知恵を持って戦っていかなければなりません。沖縄をより発展させていくためにも、今回の「なかむら食品」の聞き取り調査を教訓にして、私たちのこれからを考えていきたいと思います。

最後になりましたが、本調査にあたり、インタビューを快くお引き受けいただいた「なかむら食品」の広報の金城あやの様に、厚く御礼申し上げます。

金城あやのさん(株式会社 なかむら食品広報担当。写真右から2人目)2025年撮影