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地域探訪:③湧稲国編

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地域探訪:③湧稲国編
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 「なんじょうデジタルアーカイブ」では、利用者のみなさまに南城市のことをより深く知っていただくため、各区の歴史や文化を紹介する連載をはじめました。 3回目となる今回は、旧大里村の湧稲国区を紹介します。

1.はじめに

 湧稲国区は、大里地域の最南端に位置する、人口671人、269世帯(2022年7月末現在)の、静かな農村風景が広がる集落です。区内には、公民館を中心に広がるシマウチという集落と、散在する3つの小集落(ウフモー屋取、ナービクブ屋取、上地屋取)があります。湧稲国区は玉城前川(旧玉城村前川)、八重瀬町東風平屋宜原(旧東風平町屋宜原)、八重瀬町具志頭後原(旧具志頭村後原)と接しています。「湧稲国」の読み方は「わきなぐに」で、方言では「ワチナグニ」、あるいは「ワキイナグニ」とも呼ばれます。『琉球国高究帳』には「島添大里間切わきにや国村」、『琉球国由来記』では「大里間切湧稲国村」と記されています(『角川日本地名大辞典 47 沖縄』733頁)。

南城市行政界区(執筆者着色)

2. 湧稲国の形成

 湧稲国の形成は、今から500年以上前のことといわれていますが、定かではありません。佐久間子(サクマシー)という人物が、具志頭後原や玉城前川を境にして、河川よりの小高い丘の斜面に「湧稲国ムラ」を建てました。しかし「風水学上の立地が悪いとして、嘉慶16年[1811]に湧野原に移動(『球陽』尚灝王3年条)」しました。

戦前の湧稲国区住居配置概要図(『湧稲国区公民館建設記念誌』71、72頁

3.戦前~戦後の湧稲国

 戦前、湧稲国の近くには軽便(ケイビン/ケービン)鉄道の屋宜原駅があったため、那覇・糸満に行くには便利でした。軽便鉄道とは沖縄県営鉄道のことで、沖縄戦で破壊されるまで、陸上の貨客輸送の要でした(『大里のちてーばなし』455頁)。屋宜原駅を通る糸満線は1923年(大正12)に開通し、現在の八重瀬町字屋宜原や涌稲国の人々が、同駅を利用していました。残念ながら、鉄道の痕跡は残っていませんが、現在は県道17号線と県道77号線が湧稲国の近くを通っており、交通の便に恵まれています。

沖縄鉄道・軌道路線略図(赤丸は執筆者加筆) (内閣府 沖縄総合事務局 北部国道事務所 ほっこく やんばるロードネット)

 沖縄戦では、ほかの南部地域と同様、湧稲国も戦火に見舞われました。公民館は破壊され、周辺も砲弾の炸裂等で穴だらけとなりました。戦後、生活が苦しい中でも湧稲国の人々は協力しあい、公民館の再建に力を注ぎました。現在の公民館は、2004年(平成16)に竣工したものです。

現在の湧稲国公民館(湧稲国農村集落総合管理施設)2022年7月撮影

4.湧稲国の拝所

 『南城市の御嶽』によると、湧稲国区には21か所の拝所が存在します(『南城市の御嶽』353~358頁)。今回はその中から5か所の拝所を紹介します。

1.ノロ殿内(ヌンドゥンチ)
 ノロ殿内とは、本来ノロが居住していた家屋のことをいいますが、ノロ火ヌ神が祀られていることが必須条件であるとされています(『南城市の御嶽』470頁)。湧稲国ノロについて、『琉球国由来記』には湧稲国ノロは湧稲国村と稲嶺村を管轄するノロで、両村の祭祀を司ったとあります(『南城市の御嶽』353頁)。

2.知花之御嶽(チバナヌウタキ)
 伝承によると、数百年前、戦で負傷し逃げて来た知花里之主が村人から手当を受けたが、亡くなったためこの場所に埋葬されたといわれています。方形の建造物の上部には石碑が建ち、「湧稲国々元 知花之丘霊碑 昭和四十二年五月」と記されています(『南城市の御嶽』354頁)。

3.佐久間(サクマ)
 根屋(ニーヤ)または神屋(カミヤ)とも呼ばれています。祭神は、大里グスクに関係する佐久間子(サクマシー)で、湧稲国の国元(クニムトゥ/村の草分け)とされています。現在の祠は戦後2回目に改築されたものです(『南城市の御嶽』354頁、470頁)。

4.殿(トゥン)
 殿とは、村落の祭祀場であり、沖縄本島中南部などでは「トゥン」や「神アシャギ」とも呼ばれています。現在、湧稲国の殿はコンクリート製ですが、かつては石の祠で、現農村公園広場の西側に立地していました。祠は1978年に改修されたのち、2004年に現在地(公民館前)へ移されました(『南城市の御嶽』355頁)。

5.地頭火之神(ジトゥヒヌカン)
 公民館前にある殿の祠の左隣にある拝所で、湧稲国を治めていた人が祀られているといわれています。1978年に改築、2004年に殿とともに農村広場から現在地に移設されました(『南城市の御嶽』356頁)。なお、地頭とは琉球王国時代の役職名で、王府から領地を与えられた士族のことをいいます(『大里のちてーばなし』451頁)。

5.おわりに

 今回は、湧稲国区についてご紹介しました。今後も「なんじょうデジタルアーカイブ」で公開している資料も活用しながら、市内の区・自治会を紹介していきます。どうぞお楽しみに!

参考文献

記念誌編集委員会(編)2008『湧稲国区公民館建設記念誌』湧稲国集落地域整備事業実行委員会

伊芸弘子・南城市教育委員会(編)2022『大里のちてーばなし』南城市教育委員会

「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)1986『角川日本地名大辞典 47 沖縄』角川春樹

南城市役所ホームページ
 ホーム→市政・広報→南城市の自治会→大里字→湧稲国
 https://www.city.nanjo.okinawa.jp/shisei/jichikai/oozato/wakinaguni/

 ホーム→市政・広報・南城市の紹介→南城市人口統計→南城市の人口統計表
 https://www.city.nanjo.okinawa.jp/shisei/introduction/population/

内閣府 沖縄総合事務局 北部国道事務所 ほっこく やんばるロードネット
 トップページ→やんばる国道物語-近代沖縄の道(1879年~1945年)
 http://www.dc.ogb.go.jp/hokkoku/yan_koku/03kindai/62.html