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解説 |
玉城公民館提供。 国家総動員体制下、女子は次のように軍需産業に動員されていった。 1939年10月、厚生省は「労務動員計画実施に伴う女子労務者の就職に関する件」を通達。女子就労希望者の予備登録、重工業における女子就労基準などにより、軍需産業への女子就労を促す。 1940年2月、「青少年雇入制限令」により、12歳から20歳までの女子を「時局産業」以外が雇い入れることが禁じられる。 1941年10月、「国民就業能力申告令」改正。16歳から25歳までの未婚女子は登録義務が課される。 1941年11月、「国民勤労報国協力令」公布。14歳から25歳までの未婚女子の年間30日以内の勤労奉仕が法制化。 1943年9月、「女子勤労動員促進に関する件」が閣議決定。女学校同窓会、部落会、町内会などで自主的に「女子勤労挺身隊」を組織することが促される。 1943年9月、厚生省は、男子の不要不急の17業種への就労を禁じる。 1944年8月、「学徒勤労令」により、国民学校児童以外の学徒の勤労動員が法制化。 1944年8月、「女子挺身勤労令」により、学徒以外の12歳から40歳までの未婚女子は「女子勤労挺身隊」として1年間の勤労義務が課される。沖縄では、100人余りの各地の女子青年学校生徒が、開洋会館(那覇市内)での合宿訓練の後、数次にわたって本土の軍需工場へ送り出された。写真は、開洋会館の前で撮られたものと思われる。 |
大分類 | 写真 |
小分類 | デジタルデータ |
資料コード | 000000 |
内容コード | C000002467 |
点数 | 1 |
資料群 | 令和3年度古写真トークイベント |
資料タイトル | ー |
年代区分 | 戦前(昭和) |
キーワード | 集合写真戦争 |
場所 | 市外-那覇市 |
撮影年月日 | ー |
責任表示 | 南城市教育委員会 |
出典 | ー |
情報登録日 | 2022/12/16 |