なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

ブリキ職人

クリックで画像を拡大できます
キャプション
解説 ・山城紹完氏ご提供。1974年3月22日撮影。お父様の山城紹助さん。ご自宅の作業場。ブリキ職人だった。 ・仕事道具は玄翁、ペンチ、ハサミ数種類、トーチバーナー、ハンダゴテ、他色々。 ・主な商品は花に水をかけるジョウロ。一つ約2時間ほどで作っていた。 ・ブリキ職人になるきっかけは、南大東島に出稼ぎに行ったとき。本土の広島県の南さんという方と知り合い、南さんもブリキ業を職としていて、仕事を教わったらしい。 ・紹助さんは20代から60歳までこの仕事をやっていた。ブリキ業一筋。 ・クジラ解体に使う大きな薙刀のような包丁の修理もやっていた。包丁を作っていたわけではない。 ・材料となる金属は2~3キロ歩いたところに金物屋がありそこで調達。 ・戦後はアメリカ製の車の部品だったことも。車のサスペンションのバネでヘラを作るなど。 ・弟子はいなかったと思う。 ・お客様は直接注文のことがほとんどで電話注文ではなかった。 ・それほど力仕事ではなく仕事としては軽業。やる気があれば一ヶ月で一人前になれる。 ・洋菓子やお菓子の型板をブリキ板で、しかもフルオーダーで作ることもあった。特注品。何種類か作っていた。 ・作業場は3~4坪。 ・法人ではなく個人経営だった。 ・後ろのパイナップルのダンボールはタラの空箱(要確認)。 ・紹助さんは易者でもあった。儲かっていたそう。 ・三線、琴も作っていた。木工や舞踊も得意。 ・舞台用でブリキ作ったかつらがあった。役者さんが直しに来ていた。 ・津波古は料亭が多かったので、近くの外国人が酔っ払って帰り際にお父さんの仕事見学していた。 ・劇団一座の方が馬天劇場で公演していた。役者がおとうさんのところに手合わせに来ていた。歌も上手。指導と確認ができるぐらい上手だった。踊りも教えていた。古典音楽三線や琴。 ・木彫りのシーサーも作っていた。今もある。デイゴの木。照喜名三味線が親戚。 【調査・執筆:(珊瑚舎スコーレ)】
大分類 写真
小分類 デジタルデータ
資料コード 000000
内容コード C000002404
点数 1
資料群
資料タイトル
年代区分 1970年代
キーワード 人物道具ほかの産業
場所 佐敷-津波古
撮影年月日 1974/03/22
責任表示 南城市教育委員会
出典
情報登録日 2022/03/01