| 画像内文字情報 | ー |
|---|---|
| 解説 |
1945(昭和20)年8月、濵松哲雄医師は百名の民家(屋号:眞榮)で治療を始め、9月に「沖縄病院」の看板を掲げます。その後、10月の台風で米軍の野戦病院が閉鎖したため、そこの医療機器等を引き継いで規模を拡大し、「知念地方中央病院」と改称しました。 瓦屋の建物が病院、左の馬小屋は医療器具等倉庫に利用されていました。 それから百名区東方にある幸喜屋取(現在の百名団地付近)に移転し、1948(昭和23)年に「知念地区中央病院」と改称しました。 |
| 大分類 | 写真 |
| 小分類 | デジタルデータ |
| 資料コード | 000000 |
| 内容コード | C000001660 |
| 点数 | 1 |
| 資料群 | 平成29年度古写真トークイベント |
| 資料グループ | ー |
| 年代区分 | ー |
| キーワード | 建造物戦争軍関係施設 |
| 場所 | 玉城-百名 |
| 撮影年月日 | ー |
| 責任表示 | 南城市教育委員会 |
| 出典 | ー |
| 公開日 | 2021/06/30 |