■日本兵にガマを追い出される
私は知念村(ちねんそん)シマグヮー(現 南城市知念具志堅(ぐしけん))から那覇(なは)へ嫁(とつ)いだ。その後、沖縄戦が近づくと夫が兵隊として軍に召集(しょうしゅう)されたため、生まれたばかりの息子を連れて実家へ戻った。実家では住宅の後方に壕(ごう)が掘られていて、避難訓練(ひなんくんれん)でその壕を使用した。
アメリカ軍による艦砲射撃(かんぽうしゃげき)が激しくなると、私たち家族8人(祖母、両親、妹2人、弟、私、息子)※1 は、隣近所(となりきんじょ)の住民と一緒にウージヌガマ(具志堅ウージ洞穴遺跡(どうけついせき))※2 に避難した。生まれて数ヵ月の息子が泣くと、声が漏(も)れないように口をふさいだ。泣き声が外に漏れるのではないかと、戦々恐々(せんせんきょうきょう)の毎日だった。
しばらくして、ガマに日本兵が来て、「避難民たちは出て行きなさい」と言われ、追い出された。私たちはやむなく上原(ウージヌガマがあった場所)から手登根(てどこん)(現 南城市)に下りて、そのままヤンバル(沖縄本島北部)へと歩いて行った。
■破壊されていた石川橋
私たち家族は、艦砲射撃を避けるために昼は木陰(こかげ)に隠れ、夜になってから歩いて移動した。夜間も照明弾(しょうめいだん)を避けながらの移動だった。父はオーダー(もっこ)で荷物を担(かつ)ぎ、私と妹は頭に鍋(なべ)や着物、食べ物などを載(の)せて運んだ。
道中では、与那原国民学校(よなばるこくみんがっこう)(現在の与那原小学校の前身)の辺りが燃えているのを見た。中城村(なかぐすくそん)を過ぎた辺りでは、空襲(くうしゅう)を避けるためにこんもりとした森に一時避難したが、あとからそこがお墓だと分かってびっくりした。また、石川橋(いしかわばし)(現 うるま市)はアメリカ軍の進攻(しんこう)を阻(はば)むために日本軍により破壊(はかい)されていたので、私たちは浅瀬(あさせ)を渡って移動した。
私たちは、(知念村民の疎開先(そかいさき)に指定されていた)金武村屋嘉(きんそんやか)(現 金武町)にたどり着いた。そこには大勢(おおぜい)の避難民が集まっていた。そこで、知念村の隣の集落(しゅうらく)に住んでいた親子が、空襲に遭(あ)って犠牲(ぎせい)になったことを聞いた。
■弟との別れ
私たちはヤマモモやクービ(ツルグミ)の実を口にして飢(う)えをしのぎながら、その後、久志村(くしそん)(現 名護市)の辺野古(へのこ)へ移動し、さらに山の中まで入っていった。その道中では、弟と会うことができた。弟は防衛隊(ぼうえいたい)に召集(しょうしゅう)されていたが、家族の行方を尋(たず)ねて追いかけて来ていた。しかし喜びもつかの間、山狩(やまが)りをするアメリカ兵に見つかったら若い男性は殺されるかもしれない、しばらく身を隠していたほうがいいということで、彼は家族と離れて行動することになった。結局、彼は帰らぬ人となってしまった。
■家族写真を見せてくれたアメリカ兵
私たち一家は久志村の山中で捕虜(ほりょ)となり、しばらくの間民家(みんか)で生活した。放置された畑から芋(いも)を掘(ほ)り、食べられそうな草などをとって食料にしていた。このころは、銃(じゅう)を持ったアメリカ兵が時々まわってきていたので怖(こわ)かった。
ある日、栄養不良(えいようふりょう)になっていた息子を抱いていたときに、1人のアメリカ兵が私のすぐそばまで来て自分の軍服のポケットから写真を取り出して見せた。おそるおそる写真をのぞいて見ると、それは妻子(さいし)と一緒に写った家族写真だった。「私も国にかわいい妻子を残して来ています」と伝えようとしているかのようであった。彼は、恐怖(きょうふ)におびえる私を安心させようとしたのだろう。私は彼のその優しい気持ち感じて、胸をなでおろしたことを今でも思い出す。
■平和を祈り続ける
私たちは昭和20年(1945)の10月ごろに故郷(こきょう)へ帰ったと思う。家は焼かれていた。弟を失っただけでなく、夫も戦死して帰らぬ人となった。
それらの悲しみを背負(せお)い、「善人(ぜんにん)を悪人(あくにん)にさせ、人間同士で殺し合いをさせる忌(い)まわしい戦争だけは、どんな理由があろうとも二度と起こしてはならない」と誓(ちか)い、毎日を過ごしている。今年も、人が混むのを避けて、慰霊祭(いれいさい)※3 の前日に夫と弟の霊が祀(まつ)られた礎(いしじ)に行き、重箱(じゅうばこ)とお酒、水をお供えして「安らかにお眠り下さい」と手を合わせてきた。
(2016年 知花幸栄による聞き取り 構成:山内優希)
■脚注
※1 当間さんのきょうだいである新垣美佐子、知花幸栄の証言は本紙に掲載されている。
※2 具志堅集落の北方に位置し、琉球石灰岩の崖下にある壕。
※3 糸満市摩文仁で行われる沖縄全戦没者追悼式のこと。
| ダウンロード | https://nanjo-archive.jp/wp/wp-content/uploads/2025/02/nanjo-2024pdf.pdf |
|---|---|
| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 000000 |
| 内容コード | C000015792 |
| 資料群 | 『なんじょう歴史文化保存継承事業年報』関連資料 |
| 資料グループ | 南城市教育委員会文化課『なんじょう歴史文化保存継承事業 年報』南城市教育委員会文化課(2024) |
| ページ | 46-47 |
| 年代区分 | 戦前(昭和)1945~49年 |
| キーワード | 戦争行政子ども学校 |
| 場所 | 知念、佐敷 |
| 発行年月日 | 2025/02/28 |
| 公開日 | 2026/05/22 |