なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

川平チヨ(かわひら ちよ)(昭和7年生まれ 玉城・愛地)【キーワード】学童疎開

■弟と一緒に学童疎開
私は玉城国民学校高等科(たまぐすくこくみんがっこうこうとうか)(現在の玉城小学校の前身)1年生の時、2つ年下の弟と一緒に学童疎開(がくどうそかい)で熊本県に行った。はじめは対馬丸(つしままる)に乗せられたが、「那覇の人が乗るから降りて」と言われ、別の船に乗った。船は鹿児島に着き、そこから汽車で熊本の日奈久(ひなぐ)(現 八代市日奈久町)へ行った。日奈久では、玉城の学童たちは嶋屋(しまや)という旅館に宿泊していた。
のちに、玉城の学童たちは山奥にある上松求麻(かみまつくま)村(現 八代市)に再疎開をすることになった。日奈久からの移動の時には川を船で渡り、そこから歩いて行った。新しく通うことになった学校は第2国民学校(のちの中津道小学校で、現在は八竜小学校に統合されている)で、寝泊まりも学校ですることになった。
その後、食料の確保が難しくなり、何人かの学童は地元の農家に預けられることになった。私と弟は梅田家にお世話になった。梅田家には父(一衛)、母(ツギエ)、長男の洋一郎(当時3歳)と次男の隆(当時1歳)がいた。

■2016年、沖縄の川平家に梅田洋一郎・隆兄弟が訪れる
◎チヨさんと梅田家との思い出
■洋一郎 私たちは父親から、「チヨさんが子守をしてくれた。おんぶをしたりおむつを替えたりしてくれていたよ」といつも聞かされていた。
■隆 私は1歳だったので当時のことは覚えていないが、父からチヨさんのことは聞いていた。今日初めてチヨさんの家を訪れることができた。
■チヨ ご飯には困らなかったけど、供出があるのでお米を馬小屋の天井に隠していた。しかし、取られてしまったこともあった。
■洋一郎 あの時はみんな食べるのに必死だった。

◎梅田家での仕事
■チヨ 梅田家では2人の子守や家事、畑のお手伝いをしていた。梅田家ではお米や芋、大根を栽培していて馬も2頭いた。冬になると芋を土の中に埋めてその上に藁(わら)を敷き、天然の冷蔵庫にして保存していた。冬は雪が降ってとても寒かった。
■洋一郎 冬は囲炉裏(いろり)で体を温めていた。

◎川平家と梅田家の交流
■洋一郎 川平さんの次男の卒業式があり、その時川平さん達が熊本に来ていたことから(梅田家と再会し)そこから交流が始まった。中津道小学校に連れて行ったこともある。
川平さんから「熊本の球磨川石を庭石に使いたいので探してくれないか」と連絡があり、探したことがある。良い石が(いくつか)あったので、川平さんと業者さんを連れて一緒に見に行った。川平さんも気に入ってくれたので、その場で石にペンキを塗って購入した。
■川平賀清(チヨさんの夫) 購入した石は中庭と家の外の方に置いた。とても大きいので、業者の人に「これらの石はゴルフ場か何かで使うんですか」と聞かれた。
(事務局による聞き取り 2016)