キャプション | ー |
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解説 |
【佐敷尋常高等小学校が消失したため、明治43年から大正2年まで、津波古のタングラ(炭倉)を利用して授業がおこなわれた】 1910年(明治43)11月7日の夜、校舎が火災により消失。そのさい御真影、教育勅語も消失した。 11月25日、当日の宿直だった准訓導東恩納盛懋と本山萬吉校長に懲戒免職が言い渡された。村では二人の送別会を開いて、両氏のそれまでの功績を称えた。 消失以来、休校になっていた学校は津波古の海軍省の石炭倉庫(タングラ)や各字の事務所を仕様して授業を再開した。 左の桟橋は海軍によっておもに明治期に使用されていた。 |
大分類 | 写真 |
小分類 | デジタルデータ |
資料コード | 006362 |
内容コード | C000000467 |
点数 | 1 |
資料群 | 平成27年古写真トークイベント |
資料タイトル | ー |
年代区分 | 戦前(明治)戦前(大正) |
キーワード | 集合写真学校 |
場所 | 佐敷-津波古 |
撮影年月日 | ー |
責任表示 | 南城市教育委員会 |
出典 | ー |
情報登録日 | 2020/11/16 |