キャプション | ー |
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解説 |
1957年(昭和32)から1960年(昭和35)ころまでのおよそ4年間、馬天港内にあったクジラ工場。時には5メートル以上あるクジラが揚がることもあり、この写真のように、船が港に帰ってくる際には、多くの見物人が訪れたという。 子どものころに解体作業を見たことのある方は「船が着く前に港で準備をしているんだけど、引き揚げに使うギアの大きさを見て、今回は大物だなと分かるんだよ」という。 陸揚げされたクジラは、なぎなたのような巨大な包丁を使って、肉や脂、加工に回す部分など、部位ごとに解体された。解体が終わると、地域の人たちに「おすそ分け」もあったそう。 もともと豊かな漁場だった津波古の海だが、なかでもクジラ工場近くの桟橋周辺は護岸からも魚がたくさん見えるほどだったという。特にノコギリガザミに関しては、津波古の対岸の冨祖崎で獲れるものの2倍の大きさだったともいわれます。地域の方は「解体したクジラの骨や血など不要な部分を海に捨てていたから、それを餌にした生き物がいたんでしょうね」と話す。 クジラ工場の閉鎖後、津波古の海は埋め立てなどの開発が進んだこともあり、徐々に魚は減っていったという。 |
大分類 | 写真 |
小分類 | デジタルデータ |
資料コード | 006361 |
内容コード | C000000168 |
点数 | 1 |
資料群 | 平成26年度古写真トークイベント |
資料タイトル | ー |
年代区分 | 1950年代 |
キーワード | 漁業 |
場所 | 佐敷-津波古 |
撮影年月日 | ー |
責任表示 | 南城市教育委員会 |
出典 | ー |
情報登録日 | 2020/11/16 |