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解説 |
『南城市の御嶽』掲載資料。 字安座真の集落内にある神屋。両隣とも民家で、集落内道路に面している。向かって右の門柱に「昭和六〇年八月二十五日竣工/神アサギ」と白い石の表札が埋め込まれている。門を入って右手にコンクリート平屋造りの拝屋がある。建坪20坪の建物である。内部の前面は床で、奥所中央に神棚が設置されている。神棚は3段造りで、1段目に3基の白色の陶器香炉と、それぞれの左右に白色の陶器湯飲みが置かれている。2段目には1段目の香炉に対応して各1対の花生けとその間に土色の陶製花瓶が置かれている。最上段には、中央の香炉に対応するところに「大神宮」、その右に「サイハ神」、左に「村神」と黒字で書かれた門礼状の大理石の石板が建てられている。「大神宮」は方音ウフジチューの当て字である。神棚の右にはミルク(弥勒)神の面や衣裳などを収めた木箱(鍵付き)を奥に、その前に50cm(目測)四方の白板が立てかけられ、その前に陶製の白色香炉と、その左右に白色陶製の湯呑み茶碗と花生けなどが配置されている。木箱の右にはミルク神の持つ長い杖が立てかけられている。神棚のすぐ左は押し入れとなっているが、その左に火ヌ神がある。火ヌ神では床の上に90cm間口のコンクリート囲いの炉が造られ、その奥所中央に石灰岩の三つ石が置かれ、その前にも石灰岩が2個程置かれてあり、その間には灰が積もっている。その前面に白色陶製の香炉が2基置かれ、香炉を間に挟んで3つのコップ、その前に、花米の小皿・白色陶製の湯飲み・盃の3品で1組の具足が3組置かれている。 拝屋の前は庭で、建物に向かって左手にサキシマスオウノキの大木が生えている。その傍らにこの木についての案内板(市設置)がある。建物の右手の植え込みに直径50cm程の円柱状をした石がある。ノロの馬乗り石という。『由来記』巻13-339に「神アシアゲ」とあるのが本拝所である。『由来記』には稲穂祭に泡盛2合、ウンサク1つをウフジチューの子孫が供えるとある。またここの祭祀がウフジチューの時代から始まり、その旧例に倣って今の世まで祭祀を行っていることが記されている。現在は1月7日の七日ヌスクー[ナンカヌスクー]、1月11日の初御願、2月の彼岸入りの日の彼岸、3月の清明入りの日の清明、4月18日の大神宮の御祝[ウフジチューヌウユヹー]、5月15日の五月ウマチー、6月15日の六月ウマチー、6月25日のアミシヌ御願、7月7日の七夕、7月16日のヌーバレー、12月24日の火ヌ神ヌ御願が行われている。 なお、ウフジチューについては『遺老説伝』の96項に、"昔、安座真村に身長一丈(約3m)で大力無双の者がいた。120歳で死んだ。葬って3日後、習俗の通りに棺を開けてみたところ、唯、草木の葉が棺一杯に詰まっているだけで遺骸はなかった。そこで子孫はこれを神仙に違いないとして祠を村の中の設け、毎年4月18日に祭祀を行うことにした。これが現在の「大神宮祭」である。また、その子は名を親嶽というが、身体が巨大で大力無双なことはその父に同じであり、武芸は衆にはるかに勝っていた"云々、とある。ウフジチューが人間ではなかったことを語る話であるが、ウフジチューは本来、『おもろさうし』に出る「大ぢきよ」、『琉球神道記』にでる大ふぐりの来訪神「ヲウヂキウ」とも関わる存在であったと考えられる。 ※拝所のなかには、私有地に位置するものもあります。無許可での立ち入りや迷惑行為は慎んでいただくようにお願いします。 |
大分類 | 写真 |
小分類 | デジタルデータ |
資料コード | 000000 |
内容コード | C000006964 |
点数 | 1 |
資料群 | 『南城市の御嶽』関連資料 |
資料タイトル | ー |
年代区分 | 2010年代 |
キーワード | ウタキ |
場所 | 知念-安座真 |
撮影年月日 | 2016/08/25 |
責任表示 | 南城市教育委員会 |
出典 | 南城市教育委員会(編) 2018 『南城市の御嶽』南城市教育委員会 |
情報登録日 | 2023/12/01 |