なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

神山之嶽

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キャプション
解説 『南城市の御嶽』掲載資料。 知念集落から南東方向にある御嶽。集落から知念船溜に向かうと、左手の丘陵の裾に当たる標高13.2mの地点で、道路からは急な坂道状態となっている、草などの生い茂った小道を約20m程登って行くと、灌木の生えていない草地に出る。歪な円形になった約30坪程度の広場の中央近くにアカギ(赤木)の古木が1本生えている。この木に接して前方(南東)に4本のアワイシ(粟石)製の柱(A柱=高さ80cm・縦32cm・横25cm、B柱=47×35×27、C柱=60×23×29、D柱=55×35×20。A=前方左、B=後方左、C=前方右、D=前方右)がある。いずれも現状では高さが1mにも満たないが、もともとこの高さであったかは不明である。これらの柱の周辺には赤瓦の一枚物や破片が散在しており、かつてはこれらの石柱を柱とした瓦葺きの建物があったことが推測できる。その柱の左側に「昭和五十七年三月三十一日指定」の「村指定史跡」であることを説明した案内板が立っている。『由来記』巻13-312に「神山之嶽(神名:森司嶽ツカサノ御イベ)」とある。また波玉巫(ノロ)により祭祀され、「毎年三・八月、四度御物参之有祈願也」とある。これからすると王府祭祀の拝所であり、重要な地位を有するものであったことが推察される。石材を柱に使った瓦葺きの建物があったことなど、王府とのつながりを考えると理解しやすい。しかし、現在の呼称がトゥンであるのに対し、「嶽」となっていて、一致していないのは問題である。現在、区での祭祀はない。戦前は5月4日にハーリーの祭祀が行われていたが「拝所周辺が汚れる」とのことでやらなくなった、という。このように現在、村での祭祀が行われていないことは、この拝所が村落地生いの祭祀との関りを持たず、王府の祭祀の為の拝所であったことによるのではないか、と推察させる。※拝所のなかには、私有地に位置するものもあります。無許可での立ち入りや迷惑行為は慎んでいただくようにお願いします。
大分類 写真
小分類 デジタルデータ
資料コード 000000
内容コード C000006896
点数 1
資料群 『南城市の御嶽』関連資料
資料タイトル
年代区分 2010年代
キーワード ウタキ
場所 知念-知念
撮影年月日 2011/06/15
責任表示 南城市教育委員会
出典 南城市教育委員会(編) 2018 『南城市の御嶽』南城市教育委員会
情報登録日 2023/11/02