なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

知念グスク

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キャプション
解説 『南城市の御嶽』掲載資料。 知念の集落の西方、標高89.7mの山の中に立地している拝所。北東方向に開いた城門付近の西方に、布積みの石垣の城壁が残っている。このグスクは『おもろさうし』巻19-1311に「一 ちゑねんもりぐすく/あまみきよが、/のだて、はぢめの、ぐすく/又 ぢやぐにもりぐすく」(知念森グスク・大国杜グスクはアマミキョが宣り立て初めのグスクである。)、巻19-1312に「一 ちゑねんもりぐすく/かみおれ、はぢめの、ぐすく/又 ぢやぐにもりぐすく/かみが、おれはぢめの、ぐすく」(知念森グスク・大国杜グスクは神の降り初めのグスクであるよ。)と謡われ、『中山世鑑』の冒頭「琉球開闢之事」の中でも、天帝から国造りを命じられたアマミキョが「先ヅ一番ニ、国頭ニ、辺土ノ安須森、次ニ今鬼神[ナキジン]ノ、カナヒヤブ、次ニ、知念森、斉場嶽、藪薩ノ浦原、次ニ玉城アマツバ、次ニ久高コバウ森、次ニ首里森、真玉森」云々と、島造りをするその最初に挙げられている。このように開闢神話以来の聖地であった。グスクは2部分からなる。1つは東部のクーグスクで、もう1つが尚真王の異母兄弟にあたる内間大親の築いたとされるミーグスクである。内間大親については『遺老説伝』95頁に記事がある。これでは内間大親の知名グスクの守護役への任命が語られると同時に、大親の死後、尚豊王の時代に彼が守っていた「屋」を知念城内に移して「知念御殿」としたこと、尚貞王時代に改めて瓦葺きとなしたことが記されている。『由来記』には巻13-310「城内友利之嶽(神名:知念森添森ノ御イベ)」と巻13-322「知念城御殿」と巻13-323「知念城内之殿」の3つの聖域・拝所とそこでの祭祀が記されている。ここにいう「知念城御殿」が『遺老説伝』の「知念御殿」である。「知念城内之殿」は「御殿前之庭に席を設ける也」と注記があるように、祭祀の時に臨時に設けられる殿であった。現在、グスク内は発掘調査が行われている。正門を入って左側、クーグスクの石垣に拝所があるが、名称等は不明。発掘調査以前はグスク内中央部にコンクリートブロックで壁を造った瓦葺きの拝所があった。しかし、現在は発掘調査のため取り壊し、コンクリートの土間を打ち、鉄パイプとトタンで仮小屋を造って、そこに火ヌ神を祀っている。火ヌ神では石灰岩が変形的な鼎型に配置され、その中央に切り石の香炉が置かれてある。五月・六月のウマチーの際、同拝所の隣に竹を四隅の柱とした仮小屋が造られ、ここでも祭祀が行われる。これが『由来記』が「御殿前之庭に席を設ける也」とする「知念城内之殿」であろう。『由来記』によると知念城御殿(知念御殿)では稲穂祭の時、総地頭や百姓等が供物を捧げ、知念巫(ノロ)・波田真巫(ノロ)が祭祀を行い、知念城内之殿では稲大祭の時に両巫が稲穂祭同様に祭祀を行った。現在は5月15日に五月ウマチー、6月15日に六月ウマチーが行われている。各門中で祭祀が行われている。※拝所のなかには、私有地に位置するものもあります。無許可での立ち入りや迷惑行為は慎んでいただくようにお願いします。
大分類 写真
小分類 デジタルデータ
資料コード 000000
内容コード C000006889
点数 1
資料群 『南城市の御嶽』関連資料
資料タイトル
年代区分 2010年代
キーワード ウタキ
場所 知念-知念
撮影年月日 2017/03/28
責任表示 南城市教育委員会
出典 南城市教育委員会(編) 2018 『南城市の御嶽』南城市教育委員会
情報登録日 2023/11/02