解説 |
『南城市の御嶽』掲載資料。志喜屋の山手側、集落の一番北に位置する標高82m程の地点の、民家の東にある殿。道を隔てて向かいにイビヌ前があり、東はウフガンチャ山となる。一帯の後方には標高110~134mの琉球石灰岩の丘陵が、西の方へ円弧を描いて聳える。拝屋はコンクリートブロック造り。正面と左側には壁はない。後方(正面奥)と右側には腰壁がある。床は地面より約30cm嵩上げされ、コンクリート敷き。正面入り口中央に、黒褐色の砂岩の楕円形状の平たい石が床面に固定されている。この石の上には小さな平たい石片がある。この石を前にして内から外に向かって拝む。遙拝所とみられるが不明。
この石について、ノロの馬乗り石であったとの伝承もあるが、大殿(安座真)や山口組ヌ殿(山里)などにも同形式の石があり、伝承は疑問。拝屋の奥所左寄りの所に石灰岩の三つ石(火ヌ神)がある。『由来記』巻13-350に「フルマ根所」があり、稲の二祭の三日祟べ[ンチャタカビ]と二祭の時の供物及びこれらが志喜屋巫(ノロ)による祭祀であること、三日祟べの日から祭日まで、ノロ・根神・根人に対して日に二度宛、一汁一菜の賄いが百姓中よいなされたことが記されている。「フルマ根所」がこの殿に当たるものと目される。現在は1月1日(新)の正月の祭祀、五月ウマチー、六月ウマチーなどが行われている。両ウマチーでは朝神・夕神の祭祀を行う。
※拝所のなかには、私有地に位置するものもあります。無許可での立ち入りや迷惑行為は慎んでいただくようにお願いします。 |