なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

お宮の経緯

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キャプション お宮の経緯/戦後ほとんどの家屋が茅葺屋根で台風の度に被害にあい区民揃って修繕に この周辺のカヤを使用しカヤ以外のススキ等もなく格好のすべりだいに活用した場所/現在のお宮/お宮跡(造成nため、お宮周辺が崩れ移設/お宮(拝所)周辺は広場で鉄棒や(ブランコ)滑り台があり遊び場でした/階段/カヤブキ屋(クラブ)跡 クラブ廃止跡、糸満盛善宅になる/溜池(クムイ)/安仁屋に通じる畦道/知花に通じる畦道/6 7班のお宮(拝所)は 戦前、拝所は現知名宅周辺にあり広場があり()があり力だめしに使用した外 出兵の時に本人を始め親戚知人が手をあわせ無事生還を祈願した拝所だったが戦後のアメリカ軍の道路整備により移設された経緯があり、現在の位置が3回目の移設建立になり、建立場所所有者安谷屋正則氏の了解の元、現場所に建立されたが、場所の賃貸問題等について今後検討すべき課題が残っている。
解説 安谷屋正宗氏より提供。親慶原のお宮についてまとめた資料。お宮は、1951年に6代目区長の徳元八一氏の案で建てられた。
大分類 写真
小分類 デジタルデータ
資料コード 000000
内容コード C000006048
点数 1
資料群 2022年度古写真トークイベント
資料タイトル
年代区分
キーワード 文化財ウタキ風景
場所 玉城-親慶原
撮影年月日
責任表示 南城市教育委員会
出典
情報登録日 2023/07/28