なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

「なんじょうデジタルアーカイブ」の資料の価値とは

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「なんじょうデジタルアーカイブ」の資料の価値とは
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文:堀川輝之(南城市文化課)

はじめに

以下は、筆者(A)とある駆け出しの学芸員(B)との会話です。

(A)「現在使われていない民具を見ることがなぜ重要なのですか」
(B)「昔のことを学ぶことは重要だからです」
(A)「なぜ昔のことを学ぶことは重要なのですか。現在誰も使わない民具の形状・材質・用途などを知ることが、現在の暮しにどの               
  ように役立つのですか」
(B)「自分の住んでいる土地の歴史を知っておかないと、恥をかくことがあります。よその土地の人から、質問されて答えられなか
  ったら、格好悪いです」
(A)「私はよその土地から来た旅行者なので、ここの土地のことを知らなくても恥をかくことはありません」
(B)「旅行者の方でしたか……」
(A)「私のようなよそ者が、この土地の昔のことを学んで、何かよいことがあるのですか」
(B)「あなたがこの土地のことをよく勉強して、我々に質問をしなくてすむようになったら、我々が恥をかかなくてすむようになり
  ます」
(A)「たしかに、それは、よいことですね」

このような会話があって以降、筆者は「資料の価値とは何だろうか」と考えるようになりました。そして、今は、かつての自分の質問に答える立場になりました。利用者の方々から「なんじょうデジタルアーカイブ(以降、なんデジ)の資料の価値を教えて下さい」と聞かれても、正しく答えられるようにならねばならなくなったのです。

なんデジの中軸となっている写真資料の内容は、グスクや拝所、イベント(年中行事、入学式、成人式、運動会、文化まつり、公民館行事、竣工式、世界遺産登録記念式典、庁舎内説明会など)、日常風景(家族、街並みなど)、移民などです。これらの資料は、歴史的公文書のカテゴリーに入る資料ですが、事業の政策決定のプロセスを明らかにするわけでもなく、過去の事業を総括するのに貢献するわけでもなく、市民の生命や財産、人権を保障するわけでもありません。では、これらの資料の価値とはどのようなものでしょうか。本稿では、その問いに答えます。

その答えを導き出すために、本稿では、「人間はどのような情報に価値を見出すのか」を考察します。まずは、「なじみのある世界の情報」および「なじみのない世界の情報」に対する心理的メカニズムをみます。それにより、それら両極の情報のどちらにも価値があるということを明らかにします。その後、「多種多様な情報を大量に比較することが、人間の考え方にどのような影響を与えるのか」をみます。それにより、アーカイブ(多様な情報の集合体)としての資料の意義を明らかにします。

なお、本稿の考察の際には、なんデジですでに公開している写真を用います。それらの写真ひとつひとつが、どのような意味を持っているのか、どのような価値があるのかをみていきます。

1. なじみのあるものには価値があるのか

ここでは、「なじみのあるもの」に、人間は価値を見出すのかどうかをみてみます。

「なじみのあるもの」とは、「自分の経験や知識が豊富にあるがゆえに、感覚的にしっかり理解できるもの」です。もう少し具体的に言うと、「自分の生活圏にあるもので、尚且つ、自分の生きている時代のもの」です。例えば、子供の頃によく遊んでいた保育所の写真は「なじみのある風景」であり、親友との記念写真は「なじみのある友との一場面」です。この2例(以下の写真を参考)は、次のような言い方もできます。前者は「楽しい思い出がつまった懐かしい風景」、後者は「青春期を共に過ごした親友との、人生の記念碑的一場面」。そのように言い換えられるということは、「なじみのあること」は一種の愛情を生むということを意味しています。つまり、写真撮影後一定の時間が経過すると、「懐かしい」という感情が生じて、それが、一種の付加価値になるのです。

このように、人間は、1枚の写真を見て、その時代・場所のこと、さらに、その背景にある様々な出来事を思い出し、胸を熱くします。それは、その写真が「なじみのあるもの」だからです。

なんデジには、街並みや行事など、多くの人にとってなじみのある写真が多数あります(数年以内に万単位の公開数となる予定)。これらの写真は、「懐かしい」「記憶の再現ができて嬉しい」といった感動を呼び起こします。この幸福感には、お金で換算できない大きな価値があります。

1976(昭和51)年3月 玉城村立百名保育所(内容コード:C000001641)
同級生(内容コード:C000001265)

2. なじみのないものには価値があるのか

人間は、経験していないことや、自分の知らない時代のこと、自分の知らない土地のことなどには、当然ながら、疎遠な感覚を抱きます。「なじみのないもの」とは、そういうものです。

では、人間は「なじみのないもの」に価値を見出せないのでしょうか。例えば、次に紹介する3つの古い写真には、価値を見出すことができないのでしょうか?2000年以降に生まれた沖縄の人がこれらの写真をどのように感じるか、という仮定で、考察してみましょう。

この写真には、水田があった時代の風景が写っています。この風景は、現在のそれとは大きく異なります。土地の形は、土地改良事業で大きく変わりました。また、水田はサトウキビなどの畑に変わりました。

船越の水田(内容コード:C000001239)

 

この写真には、農家の人たちが唐棹を用いて大豆の脱穀をしている様子が写っています。今、この写真のような場面に出くわすことはないでしょう。

脱穀(内容コード:C000001105)

 

この写真には、戦後の茅葺屋根の家が写っています。このような家は、現在、生活空間の中にはないので、目にすることはありません。

茅葺の家屋(内容コード:C000001269)

2000年以降に生まれた人は、これらのどの写真を見ても、なじみのある風景と思わないでしょう。当然、懐かしいという感情が生まれることもないでしょう。写真とは、撮影時期が古くなればなるほど、なじみの浅いものになるのです。もし外国の人がこれらの写真を見たとしたら、2000年以降に生まれた沖縄の人と同等かそれ以上に、疎遠な感覚を持つでしょう。これは、生活圏や文化圏の違いによっても、「なじみの深さ・浅さ」に差が出るということを意味しています。要するに、時と場所は、「なじみの深さ・浅さ」を決定する大きな要素であるということです。

では、人々は、「なじみの薄い・ないもの」に対しては、関心を持てないのでしょうか?

この議論になるとき、「人間は、なじみのない時代・場所のことでも関心を持つ」という主張が必ず出てきます。その主張の論拠はだいたい、次のようなものです。

・沖縄の歴史上の人物(尚巴志、尚円金丸、蔡温、羽地朝秀など)に関する歴史に関心を持つ人は多い。これらの人物は、現代の沖縄
 に生きる人にとって「遠い昔の人」であり、なじみのある人物とは言えないが、それでも人気がある。また、沖縄の人は、沖縄
 の歴史的な出来事(明和の大津波、琉球処分、沖縄戦など)にも高い関心を抱いている。

・沖縄以外の歴史上の人物に興味を持つ沖縄の人もたくさんいる。織田信長、豊臣秀吉、坂本龍馬、クレオパトラ、諸葛孔明、
 マリー・アントワネット、ジョージ・ワシントン、ガンジーなど、東西問わず多くの「人気のある歴史上の人物」がいる。また、 
 沖縄以外で起きた数々の歴史的出来事(大化の改新、関東大震災、黄巾の乱、フランス革命、ワーテルローの戦い、米国南北戦争
 など)も、風化することなく関心の対象になっている。

これらの歴史上の人物や出来事には特徴が2つあります。1つは、歴史上の人物や歴史的出来事は、教科書や一般書籍、専門書、テレビなどで頻出するので、おのずと、それらに関心を抱かざるを得ないということ、もう1つは、それらの歴史には、興味を抱かせるような物語(劇や小説の題材となりうる興味深い話)があるということ、です。

では、時空を超えて関心の持たれるものは、歴史上の人物や歴史的出来事だけでしょうか? 関心を抱く条件として、必ず、「ドラマティックな物語」が必要なのでしょうか? 「庶民の、平凡な生活の、ある風景」(農村の風景、買い物の風景など)は、関心の対象にならない無価値なものなのでしょうか?

それらの問いへの答えは、次の事実の中にあります。「現代人から見て、なじみのない時代の、日常的な風景」の動画や写真スライドショウ動画が、たくさん、YouTubeで公開されていますが、それらの中で、再生回数が多いものがいくつかあります。この事実は、「人々は自分自身の体験・経験に直接関係のないものにも関心を抱く」ということを証明しています。ここでは、YouTubeで公開されている2つの動画を紹介します。

Everyday life in bygone days in Tokyo, 1966 昭和東京

この動画では、東京の一般庶民の日常生活(台所での料理、一家団欒、通勤、工場、家電製品など)が紹介されています。登場人物は名もなき庶民です。この動画の再生回数は、2022年4月19日時点で10,259,087です。1千万回以上という数字をみると、「この動画に出てくる場所になじみのない人」も閲覧していると推測できます。また、1966年の東京の風景の記憶をもっている人は60歳以上と思われますが、この動画の閲覧者が全員60歳以上の東京人とは思えません。これは、人間はなじみのない時代・場所にも関心を持つということを意味しています。

Japanese people’s smile from 100 years ago (colorization / extended definition)

このスライドショウ動画では、大正時代における日本の庶民の生活風景(着物をきた女性、わらじ作り、農村風景、子どもなど)が紹介されています。2022年4月19日時点で再生回数は6,338,578です。大正時代の記憶を持つ人(大正15年時で6歳以上とした場合)は、2022年時点で100歳以上です。このスライドショウ動画の公開年は2011年なので、公開当時90歳以上の日本人が、約10年間かけて閲覧した結果、再生回数が6百万以上になったとは想像できません。昭和・平成生まれの日本人、もしくは外国の人も、閲覧したと推測できます。

なお、写真の撮影場所は、特定されていません。よって、利用者は、自分の生まれ育った土地以外の場所に関心を持って、このコンテンツを閲覧した、と言えます。先の動画と同様、このスライドショウ動画も、次の2つのことを証明しています。1つ目は、個人の記憶に直結しないものに対しても、人々は関心を抱くということです。2つ目は、歴史的人物・出来事に無関係なものにも、人々は関心を示すということです。

これまで見た通り、人々は、「なじみのあること」だけでなく、「なじみのないこと」にも関心を抱くということがわかりました。よって、人々は「なじみのないこと」についても、価値を見出す心理的メカニズムを有しているということが言えます。次は、その心理的メカニズムについて少し詳しく説明します。

3. なぜなじみのないことに関心を抱くのか

自分自身の経験や体験に直接関係のあるものに対して親近感を覚え、それに価値を見出すということは、当然です。なぜなら、それは「自分自身の人生の一部」だからです。

不思議なのは、その一方で、人間はなじみのないことにも関心を持つということです。この理由については、「人間が未知の世界に対して強い好奇心を抱く性質を有している」と言う以外に説明のしようがありません。どうやら、人間には、未知なものや不思議なものに、興味やロマンを抱く本能のようなものを持っているようです。そして、それが未知であればあるほど、不思議であればあるほど、好奇心やロマンは大きくなるようです。例えば、我々は、三百年前の遺跡よりも三万年前の遺跡のほうにロマンを感じます。また、印象派の画家たちが、日本の浮世絵に衝撃を受けたのは、浮世絵が西洋美術とまったくかけはなれたものであったからです。

そもそも、人間は強い好奇心を持っていなければ、高度で複雑な自然科学・人文科学・芸術をつくりあげることはできなかったはずです。また、人間は、強い好奇心や冒険心、開拓精神を持っているがゆえに、川を渡り、山を登攀し、海を越えてきました。宇宙の仕組みでさえも理解しようとしてきました。それに、人々が海外の芸術や文化を学んだり、海外旅行に出かけたりするのも、好奇心を持っているからです。

なお、人間が「未知の世界に好奇心を抱き学習する本能」を有しているということは、赤ん坊を見れば理解できます。赤ん坊は大人と違って、経験や体験と言えるようなものを持たないので、自分自身の関心領域を持っているわけではありません。しかし、それが、赤ん坊が好奇心を持っていないことを意味しません。むしろ、赤ん坊は好奇心の塊です。赤ん坊は、眼前にあるすべての未知なものに新鮮な驚きを感じて、学習します。知識のデータベースがあって、それを基にして、新たな知識を吸収しているわけではないのです。とにかく、手あたり次第に、未知なものに関心を示し、貪欲に言葉を覚え、知識を蓄積していくのです。これは、本能と言うしかありません。

ここで、これまでの話を整理してまとめます。

・人間には、知りたいという欲求(好奇心)があり、その欲求を満たすことは、人間の自然な行動(本能)である。

・人間は、「なじみがあること」に関心を持つ。それが、身近なものであるほど、関心は高くなる。

・人間は、「なじみがないこと」にも関心を持つ。それが、未知であればあるほど、ロマンや好奇心が大きくなる。

要するに、人間は様々なものに関心を持つということですが、これを踏まえて、次に、南城市が所蔵する歴史的資料の価値を説明します。

4. なんじょうデジタルアーカイブの資料の価値とは

人々が「なじみがあること」と「なじみがないこと」の両方に関心を見出すということは、市民はあらゆる資料に好奇心を示す可能性があるということです。であれば、なんデジでは、その前提の下で、出来る限り多種多様な資料を、出来るだけ大量に利用に供しなければなりません。実際、なんデジでは現在、写真資料を中心として、公開資料の点数を増やす作業を進めています。

ここで注意するべきことは、需要を重視するという考えに偏ってはいけないということです。公的事業においては、アンケートの上位のリクエストだけに応えるというやり方は、一面では正しくとも、それが絶対的な方法となってはいけません。民主主義を遵守する責任のある公的機関は、「最大多数の最大幸福」(ベンサムの功利主義)を信奉してはなりません。全体の奉仕者たる公務員は、少数派を無視してはいけないのです。よって、多種多様かつ大量の情報の提供により、薄く広くできるだけ多くの人に利用されるアーカイブを目指さねばならないのです。たしかに、「現在明らかになっている市民の需要」を満たすことは大事です。しかし、その一方で、「現在隠れている需要」に光を当てることも重要です。なぜなら、まだ光が当たっていないもの(未知なるもの)だからこそ、好奇心をかきたてる可能性がある、とも言えるからです。

では、具体的に、なんじょうデジタルアーカイブの大多数を占めている写真資料には、どのような価値があるのでしょうか?

なんじょうデジタルアーカイブの中核である写真資料の内容は、先に述べた通り、グスクや拝所、イベント(年中行事、入学式、成人式、運動会、文化まつり、公民館行事、竣工式、世界遺産登録記念式典、庁舎内説明会など)、日常風景(家族、街並みなど)、移民などで、「南城市の歴史年表に記載すべき大きな出来事」から「ありふれた日常の風景」まで様々なものが存在します。各写真は、どのような種類のものであれ、歴史の断片にすぎません。つまり、1つの正しいファクトではあっても、歴史の全体像を説明しうる資料ではありません。写真1枚だけでは、歴史の「大きな文脈」や「複数の側面」を表すことはできないのです。

しかし、ある1つの出来事や事象に関する写真がたくさんあると、それについての様々な側面が見えてきます。そうすると、その出来事や事象が「元々なじみのないもの」であったとしても、少しずつ身近なものになってきます。例えば、大城(南城市大里大城区)の組踊の理解を深めるには、本番の様子や練習風景など、様々な場面の写真(以下参照)を見る必要があります。本番の写真には、本格的な舞台セットや衣装が見え、住民の強い意気込みが感じられます。練習風景の写真では、役者のみならず、演奏者、指導者の姿も見え、舞台を完成させるには、多くの人の参加が必要になることがわかります。

組踊「大城大軍」本番(内容コード:C000000642)
組踊「大城大軍」の練習風景(内容コード:C000000601)
組踊「大城大軍」の練習風景(内容コード:C000000636)
組踊「大城大軍」の練習風景(内容コード:C000000602)

複数の写真で、多面的に1つのものごとを見るということは、「それらの写真がもつ情報」と「自分自身が既に持っている知識」との接点が多くなるということです。そのような接点が増えることにより、頭の中で両者の比較が頻繁に行われるようになります。人はそれぞれ、彼・彼女自身の「舞台」や「練習」に関する固定概念を持っていますが、これらの写真を見て「大城の組踊」を初めて知った人は、その人の固定概念の「舞台」や「練習」と、この行事の「舞台」や「練習」を比較するようになります。そして、「様々な共通点」を知ると同時に、「様々な相違点」を発見をして新鮮な驚きを得ながら、「大城の組踊」への理解を深めるようになります。

そのような比較が多くなると、やがて、なじみのない過去のことも、なじみのない土地のことも、自分自身の知識体系の中で、疎遠なものではなくなってきます。ローマ帝国の研究者が、その時代に、ローマ帝国の全領地で生きたわけでもないのに、ローマ帝国のことについて詳しく語ることができるのは、そのような思考プロセスを経ているからです。

さて、かりに大城という土地を深く知ろうと思えば、組踊以外の様々なことも知る必要があります。例えば、労働、遊興、家庭、行事、街並みなどの写真を数多く見ることが、その方法の1つです。そうすることにより、大城出身者でなくとも、大城という土地への理解を深めることができるようになります。このような思考プロセスを繰り返すことにより、その土地の全体像が少しずつ頭の中で形成されていくようになります。そして、それは、同時に、自分自身のなじみのある土地への理解を深めることに繋がっていきます。海外に出た人がよく「海外から日本を見ることで、日本への理解が増した」と話しますが、それができるようになったのは、異なるもの同士の比較をしたからです。また、「外国語を知らないものは、自分の国語についても何も知らない」というゲーテの有名な言葉も、それと同じことを意味しています。

自分のなじみのないことを深く知るということは、最終的に、自分自身を深く知ることに繋がります。様々な時代・土地の人々の人生や生活を見ることにより(多くの比較を行うことにより)、「自分自身の生きている時代はどの点において幸福なのか、もしくは不幸なのか」「写真の人たちが残した足跡とは何だろうか」「写真の中の人たちから何を学べるだろうか」「自分自身はどのように生きるべきなのか」などの問いが生まれてくるようになります。つまり、「歴史の中の自分自身」や「世界の中の自分自身」という視点が生まれるようになるのです。

このような精神活動により、最終的に、「自分が生きている間に、自分自身は、自分の個性を活かしながら、世界人類の一員として何ができるだろうか」と自問するようになります。多くの歴史・文化を知ることにより、過去の見知らぬ土地の人々に敬意を払うようになり、その中で、自分自身の尊厳についても真剣に考えるようになるのです。つまり、相互理解の重要性に気付くことにより、個人の生きる意味について問うようになるのです。

また、自分自身と異質なものを知ることは、平和を希求する心を育むようになります。ユネスコ憲章では、先の大戦争は「無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった」と記されています。相互理解の生まれにくい世界では、平和は脅かされるということです。逆に言うと、相互理解の促進により、平和は築かれるようになるということです。

そして、同憲章で、「平和は、<中略>人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない」とある通り、平和の構築は、知的・精神的な活動の上に成り立っています。それゆえに、我々は学習しなければなりません。歴史や文化を学ぶことの究極の目的は、平和の構築と言ってよいでしょう。なんデジの資料は、その知的・精神的な活動を支えるために存在しています。また、利用者がその活動をより高度に行えるようにするために、なんデジでは、多種多様な資料を大量に利用に供することを目指しています。よって、なんデジの歴史的資料は、資料の集合体(アーカイブ)として平和に貢献すると言えます。それが、なんデジの価値です。

5. 無知と偏見から解放されるにはどうすればよいか?

自分自身を無知と偏見から解放するということは、口で言うのは簡単ですが、実際には容易ではありません。なぜなら、自分自身の経験や体験の記憶は、常に、物事を判断する時の主な判断材料となるからです。また、人は誰しも自分の生きてきた歴史を否定したくないからです。自分の考えや感覚と異なるものを理解し受容するということは、たいへん難儀なことなのです。よって、無知と偏見から自らを解放し、多様性を身につけるようになるためには、長い時間をかけて訓練をする必要があります。

では、どのようにして、その訓練をすればよいのでしょうか?

まず、身近な郷土の歴史を学ぶことから始めることが理想的です。歴史家の増田四郎氏は、それについて、次のように述べています。

今日の農村がどのような問題を問題として感じているか、工場の労働者はいかなる生活の条件に置かれているか、都市はどのような問題を抱いているか、国家は、そしてまた国際政局はいかなる動向を示しているか等々、およそあらゆる現象を、その意味に結びつけて判断してみようとする努力ないしは心構えが、歴史の研究にとっても非常に大切なのである。(中略)少なくとも社会事象を取り扱う以上は、最も切実な自分の周囲から問題を感じ、感覚を深め、理解を精密にするのでなければ、その学問はいつしか生活を遊離したものとなりおわる危険をふくむであろう

増田四郎 1994『歴史学概論』講談社、190頁.

増田氏は、自分の周囲の社会事象に目を向けることを説いています。また、歴史家の入江昭氏は、次のように、身近な結びつきに注目することを重要視しています。

もともと個々の人間にとって重要なのは、家族や地域社会における多数のつながりである。さらには自分たちの人種、職業、学業、芸術活動、階級などによる結びつきがある。男性が政治や経済を支配する社会では、女性同士のグループも少なくなかった。国家とのつながりは、こうした数多くある関係の一つにすぎなかったのである。

入江昭 2014『歴史家が見る現代世界』講談社、55頁.

増田氏や入江氏が述べるように、「現在、身近に起きている事象」や「現在の、身近な多数のつながり」を観察することが重要です。その観察なしでは、あらゆる歴史・文化の学習が手薄になります。それに、現在の近場の出来事から学び始めることは物理的に容易です。

その観察を行った後は、その過去(郷土の歴史)を調べるのがよいと思われます。その際、なんデジを利用することが可能です。

その次は、「自分の郷土」と「自分の郷土と近い土地」を比較することがよいでしょう。その際も、なんデジを利用できます。例えば、大城(南城市大里大城区)と津波古(南城市佐敷字津波古)の比較を行うのです。以下の写真は、大城と津波古における1950年代の文庫設立の写真です。大城では、青年会により文庫がつくられました。写真を見ると、書籍は本棚に入っています。一方、津波古では、かつて分教場だった茅葺きの建物が文庫となっています。ちなみに、津波古では、有志がスクラップ集めにより資金を調達し、数百冊もの蔵書を手に入れました。

1955年大城区青年会文庫設立記念(内容コード:C000000767)
1952年字津波古馬天文庫設立(内容コード:C000000191)

なお、これらの写真により、「現在の南城市」と「過去の南城市」の比較もできます。例えば、次のような問いを立てることができます。「区や字の自治組織が文庫をつくったということは、1950年代、個人が本を購入することは今と違って容易ではなかったのか」「1950年代、現在のように公共図書館を利用するということはまったくなかったのか」という問いです。さらに、写真をよく見ると、文庫以外の点でも、様々な問いを立てることができます。「津波古の写真の右端にいる幼い女の子は赤ん坊を背負っているが、当時は、子供が赤ん坊の面倒を見ていたのか」「馬天文庫は茅葺屋根の建物だが、当時の建屋はどれも茅葺屋根だったのか」などの問いです。このように、丹念に比較していくと、知識の枠組みをどんどん大きくできるようになります。

「自分の郷土」と「自分の郷土と近い土地」の比較を行った後は、沖縄全体や本土、世界と比較する地域を変えて、研究の輪を広げていけばよいでしょう。そのような知的・精神的活動を繰り返し行うことにより、未知の世界や異質な世界と遭遇していき、無知や偏見から解放されていくようになるのです。

もちろん、なんデジの資料だけで南城市の歴史のすべてが理解できるようになるということはありませんし、確固たる平和の心を構築できるようになるということもありません。しかし、同アーカイブの膨大な写真資料は、様々な出来事や様々な人のつながりを理解することに大いに寄与することでしょう。

なお、インターネットでの公開には、大きな意義があります。デジタルアーカイブだと、いつでも、どこでも、検索システムを使って効率よく調べることができるからです。大量の資料を探す際には、このような環境は不可欠です。また、デジタルアーカイブは、世界に情報を発信するツールなので、南城市外に住む多くの人々が「かれらの歴史・文化」と「南城市の歴史・文化」を比較することを容易にします。遠い異国の人が、強い好奇心を持って、南城市の資料を閲覧することも可能になるのです。そうなると、南城市の歴史的資料は「世界の公共財」になります。

さいごに

これまでの内容をまとめると、次のようになります。

・人間は、「なじみのあるもの」と「なじみのないもの」の両方に関心を持つ。前者は親近感、後者は好奇心を起こさせる。

・現時点で市民にとって「未知のもの」「普段意識していないもの」も、将来関心の対象になる可能性がある。よって、なんデジで
 は、現時点で特に需要が高くない資料も公開する。

・「なじみのあるもの」と「なじみのないもの」を比較することにより、無知と偏見から解放されるようになる。よって、なんデジ
 では、出来る限り、多種多様な資料を大量に利用に供する。

・異質なもの同士を比較することにより、無知と偏見から自らを解放することは、平和を希求することと同義である。そのことは、
 ユネスコ憲章でも謳われている。

・なんデジの資料は、究極的には、平和な世界の構築に寄与するという意味において、価値がある。また、その価値を高めるために 
 は、資料はより多様化し、数量も増やさなければならない。

・利用者が大量の資料を、いつでも、どこでも、効率よく調べることができるようにするには、インターネットサービスは不可欠で
 ある。

・なんデジでは、郷土学習に適した資料(主に写真資料)を大量に公開する計画を立て、実行している。

・歴史学習の入口として、郷土の歴史を学習することが望まれる。身近に起きていることに関心を持つところから歴史の学習を始め
るべきである。

なんデジの資料は、南城市民のみならず多くの様々な人たちが、長い時間をかけて学習するための資料です。その価値は、数値化できるものではありません。最終的なゴールが壮大かつ抽象的なもの(平和構築)なので、なんデジの資料は、目に見えるメリットを短期間に創出できる類のものではありません。よって、なんデジの価値は、学校・図書館・博物館・公文書館の価値と同様、費用対効果という物差しで測ることができません。しかし、長期にわたり、利用者の数が増えてくれば、なんデジは、社会の知のインフラとして、必要不可欠な存在となるでしょう。