旧暦12月8日は「ムーチーの日」。
旧暦の12月8日は、沖縄では「ムーチーの日」とされており、この日に健康や無病息災を願ってムーチー(餅)を食べる習慣があります。各家庭でムーチーを作ってお供えしたり、店頭にムーチーが並んでいたり、ムーチー作りを行う保育園や幼稚園もあります。 「ムーチーの日」は、県内各地で伝承されている民話「大里鬼(うふざとうなー)」が由来になっているようです。
民話「大里鬼(うふざとうなー)」
首里の金城村に、兄妹がいた。牛馬や人を食う鬼となってしまった兄は大里の洞穴に住みつき、村人から「大里鬼」と呼ばれ、恐れられるようになった。それを聞いた妹は鉄入りの餅を兄に食べさせて退治。
旧暦12月8日が退治をした日だったので、「ムーチーの日」として伝えられています。
※民話「大里鬼」は上記の内容だけでなく、諸説あります。
南城市大里には、民話「大里鬼」にまつわる文化財があります。今回は、「大里鬼」にまつわる文化財、そして『うふざとヌムーチーさい』の写真資料を紹介します。
真手川原遺物散布地(まてがーばるいぶつさんぷち)
大里の西原区の東側にある遺物散布地。グスク土器や類須恵器といったグスク時代頃(11~16世紀)に相当する遺物が見つかることから、同散布地は大里グスクやミーグスクと何らかの関連があると考えられています。
民話「大里鬼」の中では、兄のもとを訪れた妹が兄に襲われそうになり、首里に逃げ帰ろうとした際、兄は「待て」と妹に叫びながら追いかけたとされています。それから、この辺りは真手川(まてがー)と呼ばれるようになったという伝承があります。[大里村1999]
ここにはマテガー(マティ井泉)と呼ばれる石積み囲いの井戸が見られます。その前面には香炉が置かれ、拝所となっています。[南城市教育委員会2018]
ギリムイグスク内 大里鬼の住処への御通し
大里の南風原区にあるギリムイグスクには大里鬼の住処があったとされていますが、その場所は特定されていないようです。[南城市教育委員会2018] [南城市南風原区自治会2010]
うふざとヌムーチーさい
1999年1月、大里村のむらおこしを目的に「うふざとヌムーチーさい」(大里村商工会むらおこし実行委員会主催)が大里城址公園にて開催されました。このイベントでは、直径3.2メートルの巨大な鍋で作る、ギネスムーチー作りが行われ、約1,500名分の巨大ムーチーが完成、参加者に配られました。
この他にも、ウォークラリーや古典音楽、棒術演武、大里グリーンタウン演劇部「ヘンサ森会」による寸劇の上演など、様々な演舞が披露されました。それから無病息災、家内安全を祈願して厄払いを行い、イベントを終えました。
「うふざとヌムーチーさい」は毎年、旧暦12月8日の「ムーチーの日」近くに開催され、合併して南城市になった後も数年は続けられましたが、予算等の都合もあり2009年に終了してしまいました。その後、区長会などの有志により実行委員会が立ち上げられ、2016年に7年ぶりに開催されることになりました。
2020年は感染症蔓延の影響もあり、イベントの開催はありませんでしたが、2023年12月に再び開催されました。
「なんじょうデジタルアーカイブ」では、他にも地域行事の写真や映像などの資料を公開しています。是非、他の資料もお楽しみ下さい。
参考文献
一般社団法人 沖縄しまたて協会2015『宿道 38号』一般社団法人 沖縄しまたて協会
大里村教育委員会2001『大里村文化財保護資料第3集 大里の文化財[第三版]』大里村教育委員会
大里村役場1999年1月『広報おおざと』
大里村役場1999年2月『広報おおざと』
大里村役場2000年2月『広報おおざと』
大里村役場2001年2月『広報おおざと』
大里村役場2002年2月『広報おおざと』
大里村役場2003年2月『広報おおざと』
大里村役場2004年2月『広報おおざと』
大里村役場2005年2月『広報おおざと』
南城市2007年1月『広報なんじょう』
南城市2008年1月『広報なんじょう』
南城市2009年1月『広報なんじょう』
南城市2010年1月『広報なんじょう』
南城市教育委員会2018『南城市の御嶽』南城市教育委員会
南風原地区集落地域整備事業推進委員会2010『食榮森 南風原地区集落地域整備統合事業完了記念誌』南城市南風原区自治会
新聞
2016年1月21日 沖縄タイムス社
2017年1月5日 琉球新報
WEB 南城市2019年12月8日 なんじょう日記『ムーチー発祥の地で「うふざとヌ ムーチー祭」』
(照屋 愛)