冒頭の画像はボリビア移民の送別会(玉城村富里)
10月30日は「世界のウチナーンチュの日」ですね。
来年2022年には「第7回 世界のウチナーンチュ大会」が予定されています。
沖縄からは戦前、戦後を通じて、多くの人々が海外へ「移民・出稼ぎ」に出ました。南城市地域からももちろん、多くの方が海外へ渡っています。
このコラムでは、なんデジで公開されている、南城市の「移民・出稼ぎ」に関する資料について紹介します。
旧町村の移民調査に関する写真
南城市では旧4町村時代に、各町村史編集事業のなかで「移民編」を刊行しています。
佐敷町 『佐敷町史 5 移民』 2004年
玉城村 『玉城村史 第7巻 移民編』 2005年
大里村 『大里村誌 移民本編・資料編』 2003年
知念村 移民単独での刊行はなく、『知念村史 第2巻 文献資料2』(1989年)に移民関係資料が掲載されている
これらの編集過程では、編集委員や事務局員が実際に南米やハワイなどの移民先におもむき、移民した方々への聞き取りや資料収集などの現地調査を行いました。
町村 | 調査地 | 調査期間 |
---|---|---|
佐敷町 | ・ペルー、ブラジル ・ハワイ ・パラオ ・フィリピン | 1994年(平成6)9月12日~10月1日 1995年(平成7)3月22日~3月31日 1995年(平成7)9月29日~10月4日 1996年(平成8)3月24日~3月30日 |
玉城村 | ・八重山 ・ハワイ ・ペルー、アルゼンチン ・ブラジル、ボリビア、ロサンゼルス | 1999年(平成11)8月13日~8月16日 2000年(平成12)7月9日~7月17日 2001年(平成13)3月1日~3月24日 2002年(平成14)9月7日~9月27日 |
大里村 | ・ペルー、ブラジル、アルゼンチン ・ハワイ | 1999年(平成11)3月1日~3月26日 2000年(平成12)1月7日~1月12日 |
知念村 | (海外での現地調査なし) |
各町村ではこれらの現地調査のほか、町村内外の移民体験者への聞き取りや、「世界のウチナーンチュ大会」に合わせて沖縄に里帰りした移民の方々と交流をするなどしています。
デジタルアーカイブ事業では、これらの調査の際に撮影された写真や、聞き取り調査を録音したカセットテープのデジタル化を行いました。
現在、なんデジで公開されている移民関係の資料の多くは、玉城村と佐敷町による移民調査の写真です。(聞き取り調査の音声データも今後公開していく計画ですが、プライバシーや個人情報のチェックを経る必要があります)
下のボタンを押して、「移民・出稼ぎ」の資料をご覧ください。
1949年の沖縄を撮影した移民1世
なんデジには、1949年の沖縄を映した貴重な映像資料も残されています。
映像には、沖縄戦から4年経った1949年(昭和24)当時の、佐敷の風景や学校、知念村役所、知念村志喜屋から玉城村仲村渠の下田方面、玉城村百名の様子が映されています。そのほか、金武や那覇も映っています。
撮影したのは、佐敷村の仲伊保出身で、戦前にハワイへ移民していた、屋比久孟吉です。
この映像は、屋比久らハワイの沖縄移民たちが、戦後間もなく食料や物資が不足している沖縄へ、乳用の山羊を輸送するため来沖した際に映したものです。
タイトルに「愛の使者 乳山羊輸送班撮影 沖縄実況映画 ●催 ハワイ基教沖縄復興布哇講演会」とみえます。
ハワイでの送別会から始まり、サンフランシスコの港で山羊を船に積み込む様子、沖縄に到着し、屋比久の出身地である佐敷の全景や佐敷小学校が長めに収録されています。その後、知念、玉城、中北部や那覇へと移っていきます。(この映像の内容や屋比久孟吉については、また後ほど詳しく特集で紹介します。)
このフィルムは、移民1世らが沖縄戦で傷ついた故郷を支援してきたことの実相を理解するうえで、貴重な資料のひとつといえるでしょう。
(新垣瑛士)