
【エッセイ】Port-of-call: Okinawa 1948-1979 ポート・オブ・コール(漂着港):沖縄1948-1979

【資料群解説】ギルバート・E・クリスターソンコレクション(The Gilbert E. Christersson Collection)

しずか美容院の新嘉喜静さん(津波古)が、県優秀技能者表彰式で表彰される。
理容業を営む小波津厚明・キクエさん夫婦が、第31回沖縄県社会福祉大会にて表彰を受ける。
●小波津夫妻は、10年余り、障害者支援施設つきしろ学園で理容ボランティア活動を続けてきたことが評価された。
●小波津夫妻は、同大会で「休みを利用して、自分のできることでの奉仕をというものですが、このように評価されて(嬉しい)」と述べた。
新嘉喜静さん(津波古)の厚生省生活衛生局長賞受賞祝賀会が、佐敷町内のレストランで開催される。
●新嘉喜さんが沖縄県で唯一の受賞者であった(この年の同賞の受賞者は全国で15人)。
●受賞理由:長年、美容や着付けの仕事を続けながらボランティア活動(老人ホームでの理髪奉仕)などを行なってきたこと。
●佐敷町婦人会歴代正副会長38人が出席した。
●新嘉喜さんは、祝賀会で、「私を支えてくれた多くの方々のお陰です」と述べた。
【コラム】地域に貢献した美容師・新嘉喜静さん
ここでは、県優秀技能者表彰および厚生省生活衛生局長賞を受賞した新嘉喜静さんの人物像を少し紹介します。新嘉喜さんは、美容の世界と地域貢献の両面で活躍した有能かつパワフルな女性です。
新嘉喜さんは、1956年、津波古でしずか美容院を開業しました。美容の仕事は、ラクな仕事ではありません。流行に合わせて、常に技術向上に努めなければならないからです。例えば、パーマひとつとっても、当時、流行はどんどん変化しました。電気パーマからコールド・パーマへ。さらにノーセット・パーマへと変わっていきました。新たな技術が生まれると、講習を受け、その技術を身につけねばなりませんでした。店の経営をしながら、技術習得にも時間を割かねばならない。それだけでもかなり忙しいはずです。
しかし、新嘉喜さんは多忙を極めながらも、PTAの役員や佐敷村婦人会長などの役も引き受けて地域に貢献してきました。しかも、彼女は面倒見がよく、婦人会員には髪の手入れからお化粧法、着付、身だしなみに至るまで、手取り足とり指導しました。
それゆえに、佐敷村婦人会は、新嘉喜さんが県優秀技能者表彰を受賞した際には、彼女のために村長と教育長も招いて受賞祝賀会を開きました(1978年11月17日開催)。
その祝賀会の際、新嘉喜さんはこう述べました。「こんなに多数の人に祝ってもらって感謝している。私も苦労した甲斐がありました。皆さんのお蔭です。私の所から独立した美容師も今では30人余、みんな立派にやっています。今後はこれらの人たちと力を合わせて、沖縄の美容界に貢献したい」
30人余の美容師が新嘉喜さんの元から巣立っていったということは、新嘉喜さんは、自分の技能を磨くことに熱心だっただけでなく、美容師の育成にも力を注いでいたということが言えます。独立できるだけの力を持つ後輩をたくさん輩出したということは、美容界への大きな貢献です。地域への貢献も含めて彼女の足跡を見てみると、彼女が「献身的で広い心を持つ人物」であるということがわかります。
▲『広報さしき 第161号』より。
参考資料:
広報さしき 第55号(1979年1月) PDF
広報さしき 第161号(1990年12月) PDF
知念光枝さん(厚生大臣表彰・美容師養成功労受賞)含む5名の叙勲・褒章・大臣表彰受賞祝賀会が、佐敷町主催で開催される。
●受賞理由:「多年にわたり、一貫して美容業務に専念し、業務をとおして営業施設の衛生設備の重要さを強調するとともに、地域住民の衛生思想の啓発にも務めた」「(美容学校にて)生徒指導に情熱を注ぐなど、美容界の技術技能及教養の普及発展に寄与した」(広報さしき第197号より引用)
●受賞時、知念氏は(財)那覇高等美容学校の理事・教頭であった。
●200人近くが参加した(津波町長含む)。