
【エッセイ】Port-of-call: Okinawa 1948-1979 ポート・オブ・コール(漂着港):沖縄1948-1979

【資料群解説】ギルバート・E・クリスターソンコレクション(The Gilbert E. Christersson Collection)

沖縄県労働商工部が、佐敷町の広域商業診断の報告会を行う。商業関係者に共同店舗の必要性が確認される。
●同会は、新開公民館で行われた。
●同会には、沖縄県や佐敷町の担当者、多数の商工会員が参加した。
●県労働商工部中小企業課が、琉球大学や佐敷町の協力を得て診断を実施した。
【コラム】広域商業診断の結果は…?
参考資料:広報さしき 第90号(1985年4月)
広域商業診断は、町の商業の現状を把握し、町の商業近代化を実現する具体的な方策を提示するために行われます。沖縄県労働商工部が発表した同診断の報告書では、次のように、問題点が指摘され、また解決のための提言がなされました。
<問題点>
・商店の集積地は津波古と新開に限定されている。新里や小谷、その他の区の店は、各区に点在しているため、それらの店の吸引力は弱い(来客範囲は各区内に限定されている)。
・商業が比較的集積している馬天大通りでさえ、その集積範囲は一部の街区に限定されている。
・1982年の商業統計によると、町の購買力指数は、48・6%(県平均を100とする)である。また、購買力の5割以上が那覇、与那原に流出している。流出購買力の特に大きいのは、織物や衣服などの身回品であるが、食料品等の最寄品の流出が5割を超えている。
・任意団体として「馬天大通り会」が結成されているが、共同経済事業を行っているわけではない。
<問題解決に向けた提言>
・年配者や家族づれ、若い男女が出会って会話をし、喜怒哀楽を共に分けあう「暮らしの広場」としての機能が求められている。商店街は、このような認識を踏まえ、歩道の整備、駐車場の設置、さらには屋外ステージや消費者センターなどの建設等に取り組む。
・消費者の需要に応えるために、先ず生鮮食料品や日用品を取扱う最寄品業種の拡充に努め、次いで衣料品や身回品業種等の充実を目指す。
・店舗を結集し、協力体制のもとで、各種事業を推進し、商店街の活性化に積極的に取り組む。
このような報告を聞いた商業関係者は、1つの建物内に様々な業種を集約させた「共同店舗」の必要性を実感することになりました。
佐敷町商工会が、町長宛てに共同店舗用地の取得について要請する。
佐敷町商工会が、新開公民館にて共同店舗の出店概要説明会を行う。
第1回佐敷町商業活動調整会議で、佐敷町共同店舗の出店に係る調整審議がなされる。
●以後、2回にわたって会議を開催し、結審した。
オープン間近の共同店舗「サンシード佐敷」が『広報さしき』で取り上げられる。
●佐敷町小売商業協同組合(前川守正理事長)が、国・沖縄県からの高度化施設のための資金(共同店舗化事業の融資)を受け入れたことで同店舗の建設が計画された。
●同店舗は、馬天大通りの一角に建設された。
●同店舗では7店舗が出店された。
【コラム】共同店舗「サンシード佐敷」とは
「サンシード佐敷」は、日用雑貨、書籍、パン、ケーキ、惣菜、化粧品、婦人服、花などを販売する店やレストランなど7つの店舗で構成され、次のような特徴をもっていました。
・敷地面積3,369㎡、売り場面積3,180㎡。
・100台以上が駐車できる駐車場。
・屋上に約1,051㎡のフリースペース(イベントなどでの利用が計画された)。
なお、「サンシード佐敷」という名称は公募で決まりました。「私たちは佐敷町に種(シード)を蒔きました。町民の皆々様、大陽(サン)となって佐(ささえ)てください。私たちも地球に敷(ほどこす)ことに努めます」という願いがこめられ、この名称がつけられたとのことです。参考資料:広報さしき 第115号(1987年3月)
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共同店舗「サンシード佐敷」の落成記念式典・祝賀会が行われる。
●同式典は、サンシード佐敷屋上のフリースペースにて開催された。
●同式典には、石川雅嗣沖縄総合事務局長、西銘順治沖縄県知事(代理)、山城時正佐敷町長などが出席した。
●佐敷町小売商業協同組合の前川守正理事長のあいさつ、同組合の長嶺友江専務理事の経過報告のほか、関係業者への感謝状の贈呈が行われた。
沖縄県商工労働部にて共同店舗経営再建対策会議が開催される。
●共同店舗の店舗再建を図るため、6回にわたる対策会議が開催された。
●共同店舗の再建に努めたが、閉店の運びとなった。
【コラム】共同店舗「サンシード佐敷」の閉店
共同店舗「サンシード佐敷」は、 商業診断の報告会( 1985年 )や 佐敷町商業活動調整会議(1986年)などで 慎重に議論が重ねられた末に建設され、 1987年 に開店となりました。しかしながら、 サンシード佐敷は2年半で閉店することになりました。以下に記す「開店前後の社会の動き」を見ることで、店舗の経営がいかに難しかったかがわかるでしょう。
・1982年、小売業者間の競争の激化により、地域小売業者の売上不振が問題となる。大型店の株式会社丸大の出店計画も持ち上がる。
・1987年、サンシード佐敷が開店するも、その後、町外大手スーパーが出店し、競争がさらに激しくなる。
・1989年、消費税が導入される(3%)。その結果、消費が冷え込むようになる。
なお、『設立15周年記念誌 佐敷町商工名鑑 商工会のあゆみ』では、サンシード佐敷出店事業について、次のように総括されています。「自分一人の力だけではなく共同の力によって地元主導の共同店舗を建設し、年々多様化する消費者ニーズに応えるとともに、外部からの大型店進出を阻止するんだと、共同店舗の建設に大きな夢と希望に燃え、そして生き残りの全てを賭けて取組んだのでありましたが、開店2ヶ年半早々で行詰まりを見せ、閉店に追込まれる結果となったことは、かえすがえすも残念でならないのであります。よく言われるように共同事業の難しさと一言で片付けるには、余りにも虚しい感がするのであります。共同店舗の建設を通して、まちづくりに参画するんだと言う、あの彼等の考えは正しかったし、あの情熱と勇気は称賛に値するものであります。」
参考資料:佐敷町商工会1991『設立15周年記念誌 佐敷町商工名鑑 商工会のあゆみ』