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産業分野別年表 ゴーヤー(佐敷エリア)

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産業分野別年表 ゴーヤー(佐敷エリア)
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【南城市の戦後史 産業編】
産業分野別年表

1983年11月26日

佐敷町産業まつりで、ゴーヤーを利用した漬物などが展示される。

●同まつりは、老人福祉センターで開催された(11月27日まで)。
●同漬物は、各家庭の主婦によって作られた。ニンニクやラッキョウなどの漬物も展示された。
●糸満市や那覇市などから見に来た人もいた。

【コラム】1983年佐敷町産業まつり
 「豊かな未来へ…。緑のわが町さしき」がメインテーマの1983年佐敷町産業まつりでは、ゴーヤーなどの漬物以外にも、次のような様々な出し物がありました。
・屋外では、ポトスやガボックスなどの観葉植物、菊、サボテンなどが展示された(緑の町をアピール)。
・婦人会手づくりの無公害石けんが、1個100円で販売された。
・新里と小谷から出品された竹細工(アラバーキ、モヤシ籠、ザル、現代的な感覚を生かした花籠や書類箱など)が、展示・販売された。
・佐敷町内各地区の年配者の作品(編物、袋物、細工物、人形など)が展示された。
・農村婦人の家では、生活改善グループにより作られた様々な料理が展示された。
・佐敷町内で収穫されたトーガン・ダイコン・キャベツなどの農産物、中城湾で獲れたタマン・タチウオなどの魚が格安で販売された。

参考文献:広報さしき 第79号(1983年12月)

【コラム】白ニガウリの導入に向けた取り組み
 1985年当時、佐敷町では、地域の特性を生かした農業が目指されていました。その一環として、白ニガウリの導入に向けた取り組みがなされていました。以下、当時の様子を振り返ってみます。
・1984年8月、白ニガウリおよびユウガオ、ヘチマの種子が台湾から導入され、佐敷町内の7戸の農家で設けられた圃場でそれらの育成状況が観察されることになった。
・1985年4月25日、台湾導入野菜現地検討会が行われた。南部農業改良普及所、町農業委員会、農協各生産部会、役場経済課、試験生産協力者が、各圃場を訪れ、栽培状況や肥培管理状況などをみて、改良のための検討を行った。白ニガウリでは、植付本数の決め方や地這いのさせ方、空間を多く利用した栽培方法について詳細な指導が行われた。


参考文献:広報さしき 第91号(1985年5月)

1989年8月

野菜品評会が行われる(佐敷町老人クラブ連合会主催)。ゴーヤーとキュウリの部で、小山松三さん(つきしろ)が1位となる。

●佐敷町経済課、佐敷町農協、南部農業改良普及所の協力のもと、審査が行われた。
●施肥、除草、かん水、敷草、着果、生育の状況、品種の良否について審査された。

1990年6月26日 

野菜品評会が行われる(佐敷町老人クラブ連合会主催)。ゴーヤーの部の入賞者は以下のとおり。

1位 小谷正吉(佐敷) 2位 仲村渠常得(伊原) 3位 桃原勇行(新里)

●畑の土づくりから野菜の施肥管理まで審査がなされた。

【コラム】屋比久さんのつくるふしなりゴーヤー「群星(ムルブシ)」
 生産組合会長の屋比久義雄さん(仲伊保)は、佐敷町ではじめて「ふしなりゴーヤー」の試験栽培に取り組みました。1992年に、南部農業改良普及所から試験栽培の打診を受けた屋比久さんは、350坪のハウスを建て、夫婦でふしなりゴーヤーの栽培を始めました。植付から2カ月後に人工交配を行ない、その後2週間で収穫しました。そして、1992年12月に初出荷を行いました。
 その後、ふしなりゴーヤーには「群星(ムルブシ)」という商品名がつけられました。
1993年7月1日、屋比久さんは、JA島尻東の吉田勝営農指導課長と佐敷町役場を訪れ、「群星」栽培の成果を報告しました。「群星」は、主に関東へ出荷されるようになりました。
「群星」の特徴は、以下の3点です。
① 雌花が多く、実をたくさんつけること(従来のゴーヤーと比べて高い収穫量が期待できる)。
② ハウス栽培で年中収穫が可能であること。
③ 従来のゴーヤーよりも苦みが少ないこと。

参考資料:
広報さしき 第187号(1993年2月)
広報さしき 第193号(1993年8月)

なお、「群星」の開発過程については、なんじょうデジタルアーカイブの「湧上洋さんオーラルヒストリー(6)農業①」に記されています(https://nanjo-archive.jp/feature/1638/)。