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冨祖崎の食と健康

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冨祖崎の食と健康
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琉球大学人文社会学部琉球アジア文化学科 外間

1. はじめに

 私たちは、南城市佐敷冨祖崎の知念進さんに聞き取り調査へ協力していただいた。本レポートでは、冨祖崎の食と健康というテーマから、食を通して、冨祖崎の方々が戦後をどのように乗り越えたのか、そして、現在の冨祖崎で行われている取り組みが、どのように健康に繋がっているのかについて考察していく。

1-1. 調査テーマと選んだ写真

テーマ:冨祖崎の食と健康

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 歩け歩けで首里城まで行った時に、金城村屋にて撮影された写真である。歩け歩けは、体調を崩す人が出た時に備えて、マイクロバスをつけて行うが、乗る人はいなかったそうだ。帰りは、みんなでバスに乗車して帰る。

2. 聞き取りしたこと

【話者】知念進さん 昭和13年(1938年)12月28日生まれ
【調査日時】2023年6月17日(土)、6月24日(土)、7月7日(金)
【調査場所】南城市佐敷冨祖崎 冨祖崎公民館

2-1. 戦後の食

2-1-1. ソテツとイモ
 知念さんによると、沖縄では戦後間もない頃、主食として、イモを食べて、裸足で過ごしていた。知念さんは、1945年に大阪から沖縄・冨祖崎に引き揚げてきた。その当時の冨祖崎では、食料が少なく、以前より沖縄に住んでいた方から分けてもらっていたという。だが、イモが手に入らない時もあった。その時は、山にあるソテツを食べていたという。ソテツは、茎の部分を食べていた。毒を抜き、手間をかけて、デンプンと固形物に分けていた。これらは、乾燥して、保存が効いたという。
 ソテツの活用方法の一つとして、ソテツのデンプンをイモと混ぜて増量剤として重宝した。また、イモとソテツのデンプンで素麺を作ったりした。このようにして、生活をしのいでいた。

 さらに、ソテツを天ぷらにして食べた。油がなく、養豚もしていなかった為、純度が高く、薄い機械油であるモービル(潤滑油)を使用していた。食用ではなく、機械油であったため、人間の身体には消化されなかった。モービル天ぷらについて調べてみると、盛口・当山(2019)では、機械油のモービルで天ぷらをしたことについて述べている。また、琉球新報(2015)では「「モービル油」という濃い緑色のとろーんとした液体で天ぷらを揚げて食べた。」(琉球新報2015:8)と述べられている。そして、「物心がついたころ、それが「モービル油」つまり鉱物油、機械油だったことを知った。ソテツも食べ、「モービル油」も食していたのだ。あれ以来、おなかをこわし下痢をしたことはない。」(琉球新報2015:8)とも記載されている。

知念さんによると、新里の上の方に、民政府勤務の子ども達が住んでいた。その子ども達のお弁当は米だった。地元の子ども達は米が食べたかったが、民政府勤務の子ども達はイモを食べたかったので、お弁当を交換したこともあるという。なんじょうデジタルアーカイブによると、1946年に「沖縄民政府が新里の高台(現在ユインチホテル南城がある場所)へと移転」(なんじょうデジタルアーカイブ2022)したことが述べられている。

2-1-2.体調不良時や怪我をした時
怪我をした時や、体調を崩した時には、植物などを活用した。知念さんによると、怪我をした時に、オオバコ(ヒラファグサ)が重 宝した。クシャクシャにして、怪我をした場所にあてていると、傷が癒えたという。膿を出す効果も持っていた。
 当山(2016)が佐敷町で行った聞き取り調査によると、オオバコ(ヒラファグサ)は、ニーブター(おでき)が腫れた時に火で炙って軟膏代わりにしたことが指摘されている。そして、えらぶ郷土研究会(2020)でも「オオバコの葉を貼って2~3日すると膿が出て腫れ物も治癒する」(えらぶ郷土研究会2020:100)ことを論じている。
 下地(2016)は、オオバコ(ヒラファグサ)が腫れ物・排膿以外にも、下痢止めや止血、利尿薬として活用されたことについて述べている。

 さらに、マクリ・海人草(ナチョーラ)やセンブリは、飲み薬として用いられた。虫下しの効果を持っていた。知念さんによると、飲むととても苦いが、症状は治ったという。
 得能(2010)によると、八重山の民間療法においても、ナチョーラが虫下しに利用されていたことが述べられている。どのように利用したかというと、「海人草を一昼夜煎じて、それに黒砂糖を入れて、朔日、十五日に幼児に飲ませ」(得能2010:68)たという。
 さらに、比嘉・国吉(2002)でもマクリ・海人草(ナチョーラ)について、「虫下しとして日本、韓国、中国等アジア各地で古くから親しまれてきた」(比嘉・国吉2002:705)ことが述べられている。比嘉・国吉(2002)によると、日本では1000年以上前から回虫の駆虫薬として利用されており、沖縄では戦後の1950年代まで盛んに利用されていた。
 また、センブリについて、熊本大学薬学部薬草園植物データベースによると、センブリに苦味健胃作用があり、消化不良、食欲不振に用いていたことが述べられている。

2-2. 冨祖崎の健康への取り組み
 現在の冨祖崎では「やーぐまいさせないように、自ら体を動かそう!」と、住民の健康を保つための多くの取り組みがなされている。芳賀(2000)では「主観的健康状態をあらわす健康度自己評価は、「行事に参加」「美化活動に参加」「老人クラブに参加」などの項目と正の有意な関連が示された。」(芳賀2000:14)と述べていて、社会の繋がりが強いことが健康に影響を与えているということがいえる。

2-2-1.生活改善グループ
 生活改善グループは、戦後間もない頃、戦後の「どさくさ」から立ち上がったという。生活水準が低かったことから、生活水準を上げることが目的としていた。沖縄文化振興会公文書管理課(2020)によると、生活改善(改良)普及事業は、「戦後の生活環境や農業事情のめまぐるしい変化に対応し、 農家の暮らしをよりよいものにしていくためにはじまった事業」(沖縄文化振興会公文書管理課:2020)であることが述べられている。
 知念さんによると、佐敷町生活改善グループの活動内容として、婦人が歌やおどり、さとうきびの栽培をしたという。しかし、現在は無い。生活改善グループは、婦人会の中のグループであったが、婦人会自体、平成26年の79代で活動を休止している。

2-2-2.老人クラブ
 琉球新報(2018)では、「のばそう!健康寿命、担おう!地域づくりを」をメインテーマにして開催された第55回南部地区老人クラブ大会で、冨祖崎老人クラブは優良クラブとして表彰されていることが述べられている。
 現在、冨祖崎の老人クラブでは、健康づくりのために火曜日と土曜日はゲートボール、月曜日と木曜日はグランドゴルフを行っている。全体で、15~16人程集まる。
毎年、秋に遠足が行われる。

2-2-3.ミニデイサービス
 ミニデイサービスは、社会福祉協議会と連携し、第2・第4金曜日の午後1時半~4時に行われている。ミニデイサービスでは、毎回、健康チェックとして体温測定、脈拍測定を行っている。加えて、いずれかのアクティビティを行っている。

①指導員が来て、健康体操をする。
②歌を歌うという健康法。ラジオ沖縄の山原麗華さんが指導に訪れた。
③室内ゲーム・軽スポーツ など
 軽スポーツでは、穴に球を入れる室内で出来るゲームを行う。行っていて楽しいことに加えて、どの向きにどのくらいの強さで球を打つか考えて頭を使うため、身と心の健康に繋がるアクティビティである。  

ミニデイサービスでは、5月と9月に遠足がある。

3. 考察

 今回の聞き取り調査では、冨祖崎の食と健康というテーマから、冨祖崎における戦後の食と、現在の冨祖崎で行われている住民の健康を保つための取り組みについて着目し、調査を行った。戦後の食べ物が少ない時代に、ソテツのデンプンとイモを混ぜ合わせて素麵を作ったりするように、たくさんの知恵やアイデアが、戦後の生活を支えていたことが分かった。そして、現在の冨祖崎では、健康チェックをはじめとして、健康に関わるアクティビティを行うミニデイサービスや、ゲートボールやグランドゴルフ、遠足など、冨祖崎に住んでいると予定が多くある。このような地域の取り組みが、住民と社会との繋がりを保つことに繋がり、住民の健康に良い影響を与えているのではないかと考える。

4. おわりに

 聞き取り調査を通して、冨祖崎について深く知り、冨祖崎の地域内での助け合いや、現在、老人クラブやミニデイサービスなどで行われている健康に関わる取り組みについて学んだ。冨祖崎のような地域内での繋がりが強い地域が増えることで、身も心も健康に毎日を楽しく過ごす人が増えるのではないかと考えた。
 また、3回の聞き取り調査を通して、事前に準備をして行くことの大切さを学んだ。後半から事前準備をして調査に臨んだが、レポートを執筆していて、ここを事前に深く調べていれば、異なる視点から話者の方に質問することが出来たであろう箇所があった。今後の課題点として、改善していきたい。
 そして、聞き取り調査を通して、コミュニケーションの大切さを再認識し、人の温かさにも触れることができた。今回の調査で学んだことや、知念さんに教えていただいたことを、今後の人生に活かしていきたい。

参考文献

安渓貴子・当山昌直 2015
 『ソテツをみなおす 奄美・沖縄の蘇鉄文化誌』ボーダーインク.
沖縄文化振興会公文書管理課 2020
 「琉球政府文書デジタルアーカイブ琉政だより」12.
えらぶ郷土研究会 2020
 「奄美植物民俗誌」南方新社.
下地清吉 2015
 「琉球薬草誌」琉球書房.
当山昌直 2016
 「沖縄県南城市における生物文化に関する聞き取り―知念盛俊氏に聞く―」
沖縄県教育委員会
 『沖縄史料編集紀要』39:21-72.
得能壽美 2010
 「近世八重山における島産品の利用と上納 -陸産のアダンと海産の海人草-」八重山歴史研究会『八重山歴史研究会誌』pp.55-86.
芳賀博ほか 2000
 「長寿地域における高齢者のライフスタイルと健康」柊山幸志郎『長寿の要因―沖縄社会のライフスタイルと疫病―』九州大学出  版会,pp.10-17.
比嘉 辰雄・国吉 正之 2002
 「海人草にまつわる話」「沖縄研究国際シンポジウム」実行委員会『沖縄研究国際シンポジウム 第4回』pp.705-710.
盛口満・当山昌直 2019
 「上本部における有用植物の記録」沖縄大学地域研究所『地域研究』24:127-134.
金城正子
 「モービルの天ぷら」『琉球新報』2015年4月18日,朝刊,8頁.
琉球新報
 「地域づくりへまい進/南部老連大会 優良クラブに冨祖崎」2018年7月25日,朝刊,23頁.
熊本大学薬学部 日付不詳
 「センブリ」熊本大学薬学部 薬草園 植物データベース, 2023年8月18日閲覧.
なんじょうデジタルアーカイブ 2022
 「地域深訪:①親慶原」なんじょうデジタルアーカイブ, 2023年8月18日閲覧.