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画像内文字情報 | 各子(なご)は、もとからあった名称ではない/薩摩入り後、重課にたえなかった貧農が地方役人や地主に金品を借りて、それが返済されないままに、役人や地主のもとに身売りしたものを、インジャ、オンチュミー、ナーガと呼ぶようになったのがそもそものおこりであったに違いない/つまり、沖縄の場合は地割制度があった/割替年期にたとえ土地の割り当てがなくとも 次の割替期にはもらえるのであるから、別段身を売るほどのこともなかっただろう/P262/各主とは村では草分けの本家であり、各子は分家の地人であった/P264/島尻の村々では、百姓地さえもたない貧農を内の者(ナーグ)と名づけ、地人に対してこれを名子(ナゴ)と呼ぶようになった/P264 |
解説 | 赤嶺政信氏(琉球大学名誉教授)所蔵の調査カード。 |
大分類 | 文書 |
小分類 | 紙資料 |
資料コード | 008175 |
内容コード | G000001966 |
頁数 | 1 |
資料群 | 赤嶺政信コレクション(カード) |
資料グループ | 久高 地割制/大井浩太郎 |
年代区分 | ー |
キーワード | 民俗調査研究 |
場所 | ー |
発行年月日 | ー |
責任表示 | 南城市教育委員会 |
出典 | ー |
公開日 | 2023/08/10 |