解説 |
前川/16歳時、義勇隊として首里戦線に参加(球部隊と行動)/首里戦線から撤退し前川の自宅壕へ戻る/米軍の斥候兵らしき人を発見して、家族で南下する/真栄里で3、4日過ごす/真壁を目指すが、真壁方面が危険であることを知り、与座岳を目指して進む/途中、岩場で避難しようとすると、日本兵に追い出される(日本刀で斬るぞと脅される)が、頼み込んで1泊することを許してもらう/翌朝、憲兵中尉に求められる通り、羽釜を1つあげる/憲兵中尉に頼み、母と弟を憲兵避難壕に入れてもらう(辰一氏と父は松林の中で転々と避難場所を変えた)/母が行方不明となる(憲兵中尉の水筒に水を入れて持ち帰ることになっていたが、その水筒が盗まれてしまう。水筒を探しているうちに米兵に見つかり捕虜になった。現在の大里グリーンタウンのある場所へ移動。砲弾の破片を受けて死亡)/父、弟と再び移動(南側の松林へ)/前川へ戻ることを決める/具志頭に通じる道で出会った婦人から具志頭が危険であることを聞く/現在の「平和の礎」側の海寄りの道を歩くことにする/米兵に見つかり捕虜になる/ジープに乗せられ、具志頭へ移動(70、80名の避難民がいた)/大型車で、玉城中学校の正門前まで移動(そこで荷物を下ろす)/大型車で、捕虜は現在の百名小学校の運動場へ移動(大きなテントがあった)/弟は後に捕虜となる
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