解説 |
當山/戦前の當山の様子(農業)/小学校3先生の頃から芋掘りや草刈りをさせられた/1941年戦争開始以降軍国教育がさかんになる/竹槍訓練/10.10空襲/各家で防空壕をつくる/沖縄戦時父はフィリピンに出稼ぎに出ていた(1946年帰国)/長兄はサイパンで暮していた(同地で死亡)/次男の兄は防衛隊に召集されていた/1945年3月下旬から空襲や艦砲射撃が激しくなると、家族でミーガー壕(親慶原)へ避難/軍の命令でミーガー壕から出て自宅近くの壕へ移動/次男の兄(防衛隊)が無傷で戻ってくる/家族で島尻へ避難/米須へ(米須では避難場所がなく、爆風や破片を避けるために窪地や家畜小屋の焼けた跡の石囲いの中に入る)/東へ向け歩き、ギーザバンタに辿り着き、崖下を下りる(砲撃を受け、弟と姉の子、姉の舅が死亡)/次男の兄は防衛隊員として部隊へ戻るために家族と別れる(後に死亡)/東へと移動/捕虜となり、トラックで字志喜屋まで運ばれる/字志喜屋から字知念までのエリアは捕虜の避難地に指定されていた/山里の母の親戚の元へ移動/山里で仮小屋を建てて住む/1945年7月頃山里で学校が再開/「知念ハイスクール」(字志喜屋に設立。知念高校のこと)の入学試験を受け合格する(同ハイスクールは百名、親慶原へと移転する。現在は与那原に立地)/高校卒業後、教員養成の訓練学校で学び教員となる |