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戦争体験証言⑲ 中村 康雄氏

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キャプション
解説 前川/戦争中父はペルーへ出稼ぎに出ていた(中村氏は前川で母と2人暮し)/日本軍が玉城村の全学校を駐屯地として利用するようになって以降、子供はムラヤー(村屋)や大きい屋敷で学ぶようになる/国民学校4年生以上は陣地構築に駆り出される(ザルをもって土運びを行う)/飛行場拡張工事(小禄)・飛行場建設(西原、読谷、北谷屋良)・食糧壕掘り(南風原津嘉山)などのために動員される/艦砲射撃/1945年3月26日前川集落は、グラマン機により焼夷弾爆撃を受ける/住民は人工で造った民間防空壕に入る(自然壕にいると雨の際に流されてしまう)/1945年4月8日頃、区長からの命令があり、義勇隊として球部隊に徴用される(中隊長から区長に命令)/弾運び/1945年4月24日、第九中隊陣地の広場に集合させられ、山寺中隊長から「軍のために奉公してくれ」と言われる/一日橋で敵から集中攻撃を受ける/識名園広場へ/安里八幡宮の壕へ/上ノ屋陣地(泊国民学校の東)へ/「4月29日の天長節に、中頭方面に総攻撃をかける」という大隊本部からの訓示がある/南風原村大名へ/西原村幸地へ/上ノ屋陣地へ戻る/浦添方面に斬り込み攻撃を実行するという訓示が小隊長から伝えられるが、中村氏は陣地に残る/玉城村へ戻る/壕(ターガーガマ)で避難/米軍の進撃が迫る頃(5月末)民間防空壕に避難していた前川住民の中で、日本兵と行動をともにするほうが安全と判断して南下する住民が続出する/南下して逃げ切れないと悟った人の中で、捕虜になることを避けて手榴弾で自決した人もいる/前川の人口約1200人の約3分の1が犠牲になった(壕での避難生活を続けていれば犠牲者の数はもっと減っていたと中村氏は考える)/米軍に壕の入口を攻撃される/壕の中間に横穴を掘り8月1日に脱出/アジシー墓に入って避難/米軍とともの沖縄人が働いている光景を目にする/民間人が志喜屋や百名に収容されていることを知る/8月13日捕虜になる/戦後、船越の配給所で働く/11月から前川に先発隊が来て字の再建が始まる/1946年前川で青年会をつくる
大分類 動画
小分類 VHS
資料コード 000452
内容コード E000000019
再生時間 0:52:07
資料群 戦争体験証言ビデオ
資料タイトル 平成16年度戦争体験証言映像収録業務
年代区分 2000年代
キーワード 戦争市町村史
場所 玉城エリア玉城エリア-前川
収録年月日 2004//
責任表示 南城市教育委員会
出典
情報登録日 2022/06/10