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戦争体験証言⑭ 安次富 満信氏

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キャプション
解説 當山/1944年時、同仁病院(那覇市)で祖父が会計係、母が看護婦(歯科)、姉(次女)が看護婦として勤務/県立第二中学校へ入学/読谷飛行場に動員される/那覇市垣花(ガジャンビラ)の高射陣地構築作業に動員される/小禄飛行場での壕掘り(土運び)に動員される/天久の高射陣地構築作業に動員される/中学1年時に軍事教練を受ける/中学2年時は動員が続き勉強できず/10.10空襲の日の様子(那覇市役所の塔の上で旗を振っている人を見る。その後、空襲警報。港や空港への爆撃。民間人の居住地への焼夷弾爆撃)/姉と2人で當山へ避難/祖父を訪ねる(祖父は同仁病院を辞め當山で百姓をしていた)/祖父は那覇に残った母を捜索(母の生存を確認)/當山から県立第二中学校へ通う/適性検査/金武の国民学校へ動員され集団生活の中で軍事訓練を受ける/食糧難/鉄血勤皇隊として軍に協力するよう教師から要求される/親の承諾印が必要なため當山へ戻る/父の年忌(1週間後)をすませてから金武へ戻るよう祖父から言われる/1945年3月23日米軍の艦載機による爆撃/3月24日艦砲射撃/金武には戻らず、家族と避難することにする/岩穴へ避難/ミーガー壕(親慶原)へ移動/日本兵の命令によりミーガー壕の奥へ移動させられる/ヤンバル山(役場の後方にある)にある壕へ移動/1945年5月19日(?)祖母死亡(門中の墓に埋葬)/防衛隊員(嶺井さん)がヤンバル山にある各壕を回り「米軍が玉城の学校まで来ている。逃げるなら今のうち」と言って回る/南下する(具志頭の長毛、字具志頭、与座、仲座、真栄平へ)/真栄平の共同井戸にある立札に「ここは激戦地。住民は東方(玉城・知念方面)へ避難せよ」という趣旨のことが陸軍の部隊長の命令として書かれていた/現在のひめゆり塔の近く(真壁村)へ移動/艦砲弾により叔母親子3人即死/捕虜になり兼城村潮平のテント小屋で1泊/アメリカのトラックで宜野座の病院へ運ばれる/退院後字惣慶に宿を求める/馬小屋で住むことになる/10月13日母死亡/戦後、祖父との2人暮しになる/知念高校へ通う(3年に編入)
大分類 動画
小分類 VHS
資料コード 000447
内容コード E000000014
再生時間 1:07:11
資料群 戦争体験証言ビデオ
資料タイトル 平成16年度戦争体験証言映像収録業務
年代区分 2000年代
キーワード 戦争市町村史
場所 玉城玉城-當山
収録年月日 2004//
責任表示 南城市教育委員会
出典
情報登録日 2022/06/10