解説 |
奥武/戦前の字の様子(半農半漁。サトウキビは少ない)/祖父祖母に育てられた(両親と弟、妹はキューバで住む。隣にオバとオジが居住)/沖縄戦前に祖母死亡/玉城国民学校へ裸足で歩いて通学/日本兵を住まわせている家で奉仕作業(農業)/泊まり込みでの壕掘り作業(小禄・喜屋武・読谷で。奥武の約20名の15~16歳の若者が動員される)/10.10空襲/3月空襲/ミーガー壕(仲村渠)へ避難(1日間)/子供が泣くと皆に迷惑がかかるという理由で、日本兵が「泣かすな」と言って子供を窒息させる(ミーガー壕)/役所の人から救護班に入ることを命じられる(球部隊第7中隊第3小隊に配属されウフドー(大道)壕へ移動)/衛生兵から怪我人の手当ての方法を習う(第3小隊には救護班2名)/特攻隊(暁部隊)/第7中隊と共に首里真嘉比へ移動/第7中隊は真和志で迫撃砲に被弾(義勇隊員含め多くの死傷者が出る)/真嘉比の壕には、山形屋から運ばれた食糧・衣服があった/運玉森へ移動/ウフドー(大道)壕へ戻る/「何かがあれば使いなさい」と言われ、ウフドー(大道)壕で佐藤小隊長から手榴弾を渡される/玉城村字富里にあるヤンバル山へ移動(炊事班の嶺井ヨシさんに頼まれ、ヨシさんの祖母とヨシさんの妹シゲさん、4歳の清吉さんをヨシさんの親戚の元へ連れて行く)/大城さんは奥武へ戻る(その時米軍がすでに奥武を制圧済)/「(米兵に捕まったら)男は殺される、女は弄ばれる」と聞いていたので、海に飛び込み沖に向って泳ぐ/安次富さん夫婦(ハワイ帰り)が米兵と話をして「アメリカは何もしないから、戻って来るように」と言うので、大城さんは陸に戻る/捕虜となり山里へ移動/中山での奉仕作業(イモ掘り)/奥武で仮小屋をつくり再出発 |