解説 |
屋嘉部/戦前の字の様子(さとうきびや稲、豆類の生産)/青年学校(小学校高等科を出た後に入る。週に1,2日午後から教練)/徴兵検査(1942年糸満小学校で)/出征前に結婚し一児をもうける/1943年佐世保の第2海兵団(教育隊)に入隊/1944年1月門司港から14,5隻で出航し南下(行く先は知らされず)/宮古沖(?)で敵潜水艦により攻撃を受ける(航空機や護衛艦による護衛はなかった)/3隻(輸送船含む)は台湾(高雄)へ到着/1944年2月3隻は海南島へ向け出航/敵潜水艦により攻撃を受ける(航空機や護衛艦による護衛はなかった)/海南島三亜港(楡林港)へ1隻のみ到着/海南島三亜基地(254航空隊)に配属/飛行機の整備に従事/1944年4月第二台南航空隊(教育係)に第106期普通科飛行機整備術練習生として入隊/1944年10月台湾沖航空戦/1944年台南仁徳基地へ派遣/1945年5月台南基地零戦隊に配属(整備兵長)/当時の當山氏の戦況判断(戦力や物資面での差が大きい。ゼロ戦の活躍はグラマン機が投入されるまで。ガナルカナル戦以降日本の劣勢が目立つようになる)/飛行兵の出撃前の様子(興奮剤を投与)/基地から飛び立つも戦闘に参加せず帰還する飛行兵が2,3名いた(機銃が出ない、エンジンの調子が悪い等の理由をつけて逃げ戻って来た)/1945年8月15日整列させられ終戦の詔勅を聞く/台南龍巌製糖場へ移動/1945年11月基隆防備隊五十嵐隊へ派遣される/1946年2月社寮島へ移動/1946年11月に沖縄へ戻る(久場崎で上陸)/妻と子と再会する(妻と子は熊本県阿蘇郡に疎開していた) |