なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

ちねん再発見シリーズ17 斎場御嶽(その4)

今年9月に、 斎場御嶽の整備事業に伴う発調査によって金の勾玉が発見されました。県内でもはじめてのことで、大きく新聞やテレビで紹介されたのは、ご記憶のかたも多いかと思います。今回は、かいつまんでその報告をしたいと思います。
発見された金の勾玉と共伴遺物
三庫理(サングーイ)の,磚敷(せんじき)の下層より、勾玉や古銭・青磁器がまとまって出土したことは周知のとおりです。拝み場所に敷きつめられた、磚(せん)を全面的にはずした後、土層を掘り下げていくと、第層を掘り込む形で出土しました。合計534枚の古銭が、碗の中や地面に敷かれたようにあり、その上に中国製の青磁皿や碗が9枚ありました。すべて完全な形をとどめており、いわゆる鎮め物(しずめもの=地鎮祭の折、土地の安全を祈る品)として考えられています。以下は出土品の概要です。
・青磁は、15~16世紀の中国製。碗が6枚、皿が3枚。下層からは、盤が1枚。
・古銭は、7世紀から17世紀の時代に鋳造された多種多様のものが合計534枚。
・玉類は金製3点・翡翠製1点・ガラス製4点・硬玉製1点の合計9点得られた。
出土遺物の時期については、7世紀から17世紀と幅広いものがあります。しかし、この年代は、古銭の初鋳造年をおさえているため、それだけで埋められた年をおさえることは出来ません。古銭は数百年もの間保管することが比較的容易であり、明治時代までも銭貨として通用していたことがわかっているからです。
金製の勾玉については、斎場御嶽が聞得大君と関連の深い場所であることから、大君ゆかりのものと考える研究者も少なくありません。その根拠については、次のことがらが挙げられます。
1.実際に聞得大君御殿において「金の勾玉」を見たことがあり、それが本品と酷似しているという証言がある。
2.金製品というのは琉球王府時代において、王族やその周辺の高い位の方のみにしか許されていない貴重なものであった。
3.新年になると「御玉あらため」という行事があり、紛失や損傷した玉を補充できることがわかっている。勾玉全体を捧げるということは考えられないが、沢山ある玉の中から一部を捧げたという行為については、十分理解できるものである。
4.今回一括出土した玉類・青磁器・金製無文銭はすべて9ずつであった。「9」は、中国では最高の数であるため、これは重要な意味を持つものである。
以上、今回出土した資料を中心に紹介しました。しかし、斎場御嶽では、これらのほかにも、たくさんの資料が発掘調査でみつかっています。今後さらにくわしい資料の分析・検討を行い、御嶽の姿を浮き彫りにしていきたいと思います。
斎場御嶽は、琉球王国の精神的な文化を象徴する遺跡として、「世界文化遺産」として登録の準備が進められています。この時期に今回の様な貴重な遺物が出土したことは、登録へ向けて大きなはずみがつくものと、関係者一同喜んでいることです。私たちは、知念村にこの様なすばらしい文化遺産があることを誇りたいと思います。
(知念村教育委員会)
[図表]《土層模式図》
[写真]金の勾玉(1点のみ碗の中から発見)
[写真]青磁器の中にぎっしりつまった古銭(231枚)
[写真]勾玉、金製無文銭(いずれも「9」ずつ出土)

ダウンロード https://docs.google.com/uc?export=download&id=12D5E82dKJhL9i_dNNZyAoehdLPunbPhr
大分類 テキスト
資料コード 008409
内容コード G000000386-0010
資料群 旧知念村広報
資料グループ 広報ちねんNo.108(1998年12月)
ページ 6
年代区分 1990年代
キーワード 広報
場所 知念
発行年月日 1998/12/01
公開日 2026/09/24