なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

知念再発見シリーズ⑩(海野区)

海野区は知名岬の西方に位置し、東は知名区、西は久原区に隣接しています。もとは知名区の一部で野津加佐(ヌックワサ)屋取と言いました。屋取集落とは、18世紀に首里・那覇から農村地域に移っていった士族がつくった集落のことです。海野でも18世紀の末頃、首里や他の間切からの移住者が増え、野津加佐(ヌックワサ)屋取をつくって入ったのです。しかし、現在の「海野区」が出来たのは昭和22年のことで、それまでは知名第二区と呼ばれていました。元来、平坦地が少なく地形的にも季節風の被害を受けやすいなどの点から、漁業へ従事する者が増えていき、ウミンチュのムラといわれるようになり、昭和54年には漁港が造られました。なお、「海野」の海は漁業にちなんだ海、野は野津加佐から採った者です。
その他、 部落のサンゲーシとしての 「シーサー小」や、貴重な水源であった「イーベーガー」・「ウフバシガー」などがあります。

ハーリー
海野は村内でも最もハーリー行事の盛んなところです。海野区のハーリーは、明治39年に起きた遭難事故を悼みこの様な悲しい出来事の起こらない様にとの願いを込めて、年々盛大になっていきました。三カ所を漁民全員で拝み御願バーリを漕ぎます。ウミンチュの島らしく、勇猛果敢な漕ぎ手たちの活躍に、大観衆たちの拍手はやみません。
以前はハーリーが終わると角力大会が行われました。賞品も、多く、飛び入り参加も自由ということで、他村からの参加者も多かったと言われています。又、さらに昔は競漕が終わると、辻の美妓たちによる芝居などもあり、暗くなるまでおおいに賑わったそうです。
[写真]勇敢に行われたハーリー競漕

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大分類 テキスト
資料コード 008390
内容コード G000000367-0014
資料群 旧知念村広報
資料グループ 広報ちねんNo.89(1997年5月)
ページ 6
年代区分 1990年代
キーワード 広報
場所 知念
発行年月日 1997/05/01
公開日 2026/09/24