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知念村では一九八〇年十一月の県教育委員会の古文書等調査によって、 仲里常武氏(屋号クビ山)所蔵の仕明地関係古文書七件が発見された。これに次いで一九八八年(昭和六十三年)十一月具志堅佐吉氏(屋号アシトンクシ)の仕明請地帳が六通所蔵されていることが明らかになった。
仕明地は今でもセーキと呼ばれ村の裕福な家には残されている。明治三十六年、沖縄の土地整地が完了するまでは、土地の私有は認められていなかった。百姓は地人といって、各村毎に一室の規格で地割が行われ、納税確保のため青任耕作地として割賦されていた。
「各村ニ於テ各戸ノ貧富及口数ノ多寡ヲ斟酌シ之ヲ配分シ以テ耕作セシム。各戸担当ノ田畑ハ皆年期アリ期限ニ之ヲ配分ス」(「沖縄観察復命書』明治十六年)
田畑は生活の保障のためでなく貢租負担の義務をはたさせるために割り当てられたのである。
旧制では土地の負担義務は貢租(ジョーノー)だけでなく種々の課役がこれに附随していたので持地の多い家は苦労も多かった。百姓は生きるための最低限度の食糧さえあればよかったので、多くの土地の配分を受けようとする傾向もあった。人口の薄い知念間切では全村の土地を地割配当するのに困る程であった。沖縄でも請地の多い地域となっている。
各間切や村の土地は一六〇九年(慶長十四年)の薩摩侵入によってその直後一六一〇年検地が行われ、各村の土地を一筆毎に其村位、地位(上・中・下)、反別草高(牛産高)、段(面積)等が調べあげられ、竿入帳が作られ、上納の基礎台帳ができた。併し慶長検地以後荒地が多くなったので一六六九年(寛文九年)開墾による私有が許されるようになった。このようにして百姓が首里王府の許可を得て山野、海辺(ガタ)を開墾し、又海面を埋め立てたのが「仕明請地(セーキジ)」である。また士族が許可を得て開拓した「仕明知行地」もあった。またもともと百姓地だったが村で耕作することが出来ないので、王府の許可でその幾分かを地人から藩庁に返却し、更にこれを士族に授与した。これを「請地」という。
仕明地は売買自由で、売買の手続は「仕明請地帳」の手形を添えて買主に渡した。仕明地は私有地であるので耕作は自作したり叶掛(カネーガカイ)に出してもよい、地割は勿論ない。
廃藩後、土地の負担に附随する今までの日用銭、浮得税、欠補糖等の廃止により、地頭等の課税を命ずる者もなくなり、唯、租税だけを納めればよいことになった。そして甘蔗植付制限が解かれ、砂糖の価格上昇等により勧業の途普及し今度は逆に多くの土地の配賦を受けようと望むようになった。仕明地の売買譲渡も頻繁に行われるようになった。売買に伴う地券ともいうべき手形がこれらの「仕明請地帳」である。印がないから写しの控えであると推察される。
1.高壱升五合仕明請地帳
玉城間切垣花村
知念筑登之親雲上
玉城間切
垣花村
和名原潟より成り下田拾八歩六半之内
一、田方壱升五合
仕明人
知念ねや
右遂披露之処為仕明請地永々被下之旨被仰出候定納者百姓地並尤絵図仕付置候
御模可相守者也
高所
道光弐拾年庚子十一月
伊是名親雲上
名護里之子親雲上
内間親雲上
嘉味田親方
2玉城間切垣花村
知念筑登之親雲上
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地所の所在地が玉城間切垣花村の和名原の海岸のガタである。高(生産高)が一升五合、仕明人が垣花村の知念里之子親雲上であった。仕明請地として永々授与される旨、仰出られている。定納は百姓地と同じ、絵図(地積図)は作成されているのでその範囲はよく守ること。
高所=請地、仕明地の売買に係る名面書換の事を司る
親方奉行一人、座敷奉行三人の連署がある。
年号は道光弐拾年、かのえ、ねの年十一月、中国年号になっている。一八四〇年で今から百五十年前になる。仕明人は知念ねや(=にや・仁屋)で仕明請地帳の名面は知念筑登之親雲上に書き換えられている。仕明人から譲渡されている。1の仕明請地帳の外に2、高三升の同年月の和名原潟より成下田拾八歩六半之内のもう一通がある。
3高四升仕明請地帳
玉城間切仲村渠村
知念筑登之
玉城間切垣花村
和名原浜山野より成明治十一年壬申十二月竿人
仕明人仲村渠
山畑弐拾四歩弐升四合
知念筑登之
同所右同
山畑拾六歩壱升六合同人
合四升
右遂披露候之処為仕明請地永々被下之旨被仰出候定納者百姓地並尤絵図仕付置候
御模相守者也
高所
国治拾壱年壬申十二月
大里里之子親雲上
多嘉良親雲上
大宜見里之子親雲上
安谷屋親方
玉城間切仲村渠村
知念筑登之
[写真]4高四升仕明請地帳
玉城間切
知念筑登之
玉城間切仲村渠村
和名原潟より成る道光四年甲申五月竿入
仕明人玉城間切仲村渠村
知念筑登之
一、下之田拾歩四升
同右同所右同
一、山畑拾歩壱升同人
右遂披露候処為仕明請地永々被下之旨被仰出候定納者百姓地並尤絵図仕附置候
御模可相守者也
道光弐拾年庚子十二月高所
摩文仁親雲上
浦崎里之子親雲上
豊見山親雲上
糸数親方
玉城間切仲村渠村知念筑登之
5高弐升、仕明請地帳、玉城間切垣花村、知念筑登之、道光弐拾年
6表紙なし
知念間切下志喜屋村、まそこ原竿迦より成、仕明人下志喜屋村ちく、中田、壱畝
以上六通の「仕明請地帳」が志喜屋で確認されたが、これからも仕明地関係の古文書が出てくることを期待している。(新垣源勇)
| ダウンロード | https://docs.google.com/uc?export=download&id=1hR2AKdSBZ-EgMXFSEAFN9QuVB3bipepK |
|---|---|
| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008379 |
| 内容コード | G000000356-0007 |
| 資料群 | 旧知念村広報 |
| 資料グループ | 広報ちねんNo.54(1989年8月) |
| ページ | 6-7 |
| 年代区分 | 1980年代 |
| キーワード | 広報 |
| 場所 | 知念 |
| 発行年月日 | 1989/08/01 |
| 公開日 | 2026/09/24 |