終戦に伴う武道禁止令の影響を受け、銃剣道もその例外でなく必然的に隠世の姿となっていたのでありますが、剣道の復活に伴ってスポーツとしての銃剣道新生の気運も漸く昂り、特に九州方面はその先鞭を切って躍動の動きが強かったのであります。
当時中央においては一部有志の発起によって既に戸山剣友会を組織し例月の剣道稽古会を実施していた矢先でもあったので、九州方面の状況とも呼応して戸山剣友会を母体とするスポーツ銃剣道発足の計画が進められ、昭和三十一年四月、従来の銃剣道技術のうち戦技的部分を完全に払拭した。純スポーツ銃剣道としてこれを後世に伝え国民、特に青少年の人間形成に資すべく発足をみたのであります。
当時の発足趣意書によると一部次のように述べられています。
「そもそも心身の陶冶、人格の完成には幾多の手段があることは申すまでもありませんが、剣の道もその一つであり、特に日本人独得の味いをもっています。凡そ世の中には科学的合理性では割り切れないものが多々あり、合理性の追求だけでは人生の総ては解決がつかないのであります。ここに人間にとって精神的要素が重大な価値をもつ所以があります。而してその精神的要素は眼を通じ涵養せられる外に修業によって体得することが肝要であり、古来みそぎや参禅その他種々の行いが重視されたのはその趣旨に他ならないと思われます。この見地からしますと、生死を基調とし真剣味をもって修業する剣の道は、生死を超越して執着を離れ融通無碍の境地に達し職業の如何を問はず、自由に将来の能力を発揮し得る域に達する手段として尊敬されるのは当然と言はなければなりません。特に刀に較べて変化の少い銃剣道は本業をもつ青年子弟の修業道として適切なものと思われます。」
このような趣旨にのっとって各都道府県に支部連盟が結成され、逐次それぞれの都道府県体育協会に加盟し、現在四十六支部連盟が都道府県体協の競技種目として参加活動中であります。
全日本銃剣道連盟も昭和四十五年四月、社団法人として文部省の認可を得、続いては昭和四十八年八月、銃剣道のスポーツとしての価値が認められ、国民スポーツの一種目として財団法人日本体育協会加盟の承認を得たことは斯道発展に一大契機をもたらされたものであります。
全国登録会員数も逐年増加し、現在三十有余万を擁するに至り、特に青少年、実業団数を増加の傾向を辿りつつあり、又諸制度の確立、各種大会の開催等諸事業の充実をみ、益々活気を呈するに至りました。
会員の待望久しい国民体育大会への参加も漸くその実を結び、昭和五十五年、第三十五回栃木国体を契機として活躍の場を得。加えては昭和五十二年発足の日本武道協議会の発起一団体として参画する等、戦後におけるスポーツ銃剣道も漸くその目的が一般国民の理解を得るに至ったことは誠に欣快の極みであります。
近い将来における銃剣道国際交流も全くの夢ではありますまい。
思えば昭和三十一年、全日本銃剣道連盟発足以来、幾多の困難を辿りつつ、関係各方面のご理解とご協力によって国民スポーツとしての戦後における礎石も確立し、愈々その前述の曙光を見ることが出来ました。
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|---|---|
| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008366 |
| 内容コード | G000000343-0008 |
| 資料群 | 旧知念村広報 |
| 資料グループ | 広報ちねんNo.41(1986年2月) |
| ページ | 5 |
| 年代区分 | 1980年代 |
| キーワード | 広報 |
| 場所 | 知念 |
| 発行年月日 | 1986/02/ |
| 公開日 | 2026/09/24 |