一、大日本武徳会の公認
このような揺籃期を経た銃剣術も、その研究の成果として大正十四年、大日本武徳会の一種目として公認され、堂々他の武道に比肩してその真価を認められるに至ったもので、当時の逸話として次のようなことが記録されています。
「銃剣術を武徳会の一種目として公認されるよう努力を重ねたが、当時の八代武徳会々長や西久保警視総監、荒木右武会々長らの同意は得られたものの武道専門学校の教授陣から強い反対に出あって難航を重ねていた処結局剣道、銃剣術の両者から各々十九名宛の代表を出して武徳殿で試合をすることになった。その結果十二対七の成績で銃剣術の勝となり遂に武徳会の剣道部門の一種目として公認されることになり、爾来銃剣術の称号、段位も剣道同様武徳会総裁の名において交付されることになった。」と、裁の名において交付されることになった」と、
続いて翌十四年、武徳会の銃剣道部として公認されるに致った。
二、明治神宮体育大会への参加
現在実施されている国民体育大会の前身とも言える戦前の明治神宮体育大会は大正十三年十一月から実施され、国内最高の総合的国民スポーツの祭典として開催されたのでありますが、銃剣術がこれに参加したのは、大正十四年十月から開始された明治神宮外苑、日本青年館講堂における第二回大会からで、当時の記録によると優勝、入賞者の多くは銃剣術の本山である戸山学校職員がその多数を占めていたことが記されています。
三、昭和天覧試合に出場
今尚日本武道史を飾る昭和天覧試合は、
今上天皇御即位大礼奉祝の至誠を永遠に記念するため、昭和四年五月、宮城内旧三の丸覆馬場において。又皇太子殿下御誕生奉祝のため、昭和九年五月、宮城済寧館においてそれぞれ挙行されたのであります。この上覧に供する種目は数多い日本武道の中の代表的柔道、剣道の二種目が選定されたのでありますが、特に銃剣術の心技が認められ、前者は銃剣術試合として、又後者は特選試合として天覧の栄に浴し得たことは誠に銃剣道史の一頁を飾る快挙とも言い得るものであります。
四、銃剣道振興会の創立とその終焉
発祥以来、先人の克苦研讃による銃剣術の真髄とその認識は堂々他の武道に伍し、日本武道としての真価を克ち得たのであります。しかしながら当時、一般国民への普及は実戦武技としての域を脱し得ない現状から、銃剣術の心技の中に包蔵する、武徳の涵養、士風の振起、体力、気力の養成、精神文化の淘冶等々人間形成に欠くべからざる諸条件を新らたに道として広く国民に普及するため、従来の銃剣術を銃剣道に改め、当時の文部省他関係諸機関支援のもとに昭和十六年三月、
大日本銃剣道振興会が発足し、一般国民就中中学校教育、青年学校教育の一課目としてその普及啓蒙がなされたものであります。
発祥以来七十有余年に亘る前述のような変遷の中に、国民武道としての真価を発揮し国民の数多くが学んだ銃剣道も昭和二十年八月の終戦と共にその姿を消すに至ったのであります。
| ダウンロード | https://docs.google.com/uc?export=download&id=17R1hGAOZnUSjruqxl1TbjRbKk1hdTV5c |
|---|---|
| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008365 |
| 内容コード | G000000342-0013 |
| 資料群 | 旧知念村広報 |
| 資料グループ | 広報ちねんNo.40(1986年1月) |
| ページ | 7 |
| 年代区分 | 1980年代 |
| キーワード | 広報 |
| 場所 | 知念 |
| 発行年月日 | 1986/01/01 |
| 公開日 | 2026/09/24 |