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国体シリーズ 銃剣道の歩み⑤ 槍術との相関性

銃剣道の由来はこれとその軌を一つにする槍術に大きな相関性を有するもので、我が国における槍術としての起りは概ね南北朝の頃と推定される。又国外においては西紀前三〇〇年頃アレキサンドル大王当時、主として槍が使用された記録が残っているが、何れにしても、後世の銃槍格斗や銃剣術に採り入れられた槍術の操法は、足利末期に出現した多くの流派に共通した比較的短い素槍の操法であり、今日行っている銃剣道の基本、応用等の動作の殆んどは槍の操法上の考え方と軌を同じくするものであります。
我が国古来の槍術については現在、主として古武道としてその姿を留めていると見受けられるが、現代銃剣道の剣術の中にもその秘術が継承されているということが出来ます。ここにその一例を述べると、
明治二十年代以降本格的日本式銃剣術の研究がなされた一端として雑誌「武道」(昭和五十一年五月号)「槍と槍術」の中に次のような一文が掲載されているので紹介しますと。
「銃剣術の今昔には、これが研究のため助教(戸山学校助教)を済寧館に派遣して槍術を学ばしめた。当時の済寧館には天下の剣客、槍術の達人と網羅し日々猛練習を実施していた。」云々と、更に「明治二十三年、正剣術(フランス流銃剣を指す)を全廃し(中略)略々今日の銃剣術の基礎を確立し、使術の如きも全く我が国伝統の撃剣や槍術の原則に準拠して構成し、外国臭味を大いに脱却するに至った。」
と記され、「このときその中心となって、銃剣術の成立に力を尽したのは戸山学校の教官津田教習であった。
教習は幕末槍術をもって天下に知らせた久留米藩士で、若くして津田一伝流の師範を努めた人である。銃剣術確立の功労者としてまことに相応しい人であったと言うべきであろう。なお当初の銃剣術は槍のように繰り突を行ったと言うから今日よりもっと槍術に近いものであったに違いない。こうして封建時代の実用武技であった槍術が、ここに近代的銃剣術にバトンタッチを果したものである。」云々と。
又、「銃剣術教範の祥解」には。
銃剣術は武器こそ洋式に似ているが、その精神、技術の方法に至っては全く純日本式にして槍術の一変化せるものに過ぎない。「明治四十二年頃、宝蔵院流釣槍を指南する一老人が建白書を懐中にして戸山学校に来訪した。学校は老人のため銃剣術の基本、
応用動作の一部を供覧し、尚老人の槍と試合を行わせたところ老人が言うには、基本、応用動作の中には何れも槍術の極意とする動作が多く、下の返突の如きは宝蔵院流の奥儀とするところがあり、又、応用動作の流して行う返突の如きは実に見事な技である。斯くまで研究が積まれていたとは想像もしていなかった。このような立派な動作を拝見し得たことは誠に痛快の極みである。拙老が提出しようとした一書の如きは全く不用の紙屑となった。」
と言い残して辞去したいと言う記事が残されている。
何れも銃剣道と槍術との相関性を物語るものであります。

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大分類 テキスト
資料コード 008364
内容コード G000000341-0003
資料群 旧知念村広報
資料グループ 広報ちねんNo.39(1985年10月)
ページ 5
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 知念
発行年月日 1985/10/25
公開日 2026/09/24