明治二十四年に知念間切地頭代、屋比久房松氏から当時の島尻役所長、今西相一宛の伺出の文書に「知念間切内法」と「知念間切各村内法」が出されている。
「知念間切内法」は知念番所の捌理の勤務、 総耕作当の職務、公費上納(税金)の未納者等についての罰則があり、村条例に当るものである。
「知念間切各村内法」は現在の字内法に当るもので村の田畑の耕作法・作物の保護・村の風紀取締、井泉の衛生管理、牛馬売買の事等について細かく規定し罰則を設けたものである。各村内法の奥書きに次のように各村の掟が連名で伺を立てている。
各村内法之義ニ付伺
各村内法之義曩キニ取調御届之上執行致シ末処明治廿年八月乙第三九号御達ニ據リ別紙ノ通リ更に詳細取調候条御認可被成下度此段奉伺候也
知念間切、知念村掟、具志堅富二郎
同久手堅村掟神谷五一
同知名村掟屋嘉比亀三
同山口村掟具志堅順平
同志喜屋村掟神谷五徳
同久高村掟屋比久房太郎
同外間村掟比嘉千吉
知第六一号
右之通リ伺出候ニ付奥書仕候也
知念間切地頭代屋比久房松
間切内法は官の通達内法で番所の役人の責任が明示されていて、村々の掟、耕作当の勤めを強調している。上納(税)物不能のときはその村の掟、耕作当は皆納するまで番所に詰居(身柄拘束)されたようである。
第一条役々文子御用ニテ他所へ差越事済ノ上其首尾無之者ハ料金拾銭以上壱円以下申付候事
番所の役人たちへの復命実行の条文である。役々は番所の捌理だちのことで、地頭代・総耕作当・総山当・夫地頭・首里大屋子・大掟・南風掟・西掟・と各村掟がいた。文子は役々になる見習であって、各村のムート家、ノロ家から選出されて首里の御殿、殿内の御奉公人になった者の中から採用された。
当時の地頭代以下のウェーデー人は時々出勤するだけで自ら事務を執らず、其事務を取る者は南風掟・西掟・文子であったので、明治十五年吏員改正ノ儀ニ付上申が出され今までの弊を改めた。
第四条役々文子諸上納物品金穀私用シ上納延滞又ハ人民へ返遷セザル者ハ本人一切ノ財産ヲ引揚ゲ公売ヲ以テ弁償シ不足額ハ妻子ヲ雇に差遣シ尚親類ニ及シ夫ニテ不足ハ与中村中ニ弁償サセ本人ハ退職同役ノ者承諾ノ上ハ役々中協議ノ上弐円以上五円以下の科金申付候事
番所役人が横領したときの弁償は家屋敷牛馬が公売に付され尚それでも足りないときは妻子までも雇(女中奉公)に出し、最後はその村・クミがこれを弁償するようになっている。
旧藩時代から各間切への縁化政策はあったようで縁の少ない今、参考になる条文がある。
第二十一条松種子棕梠種樫木種子ハ時節ニ相成候ハバ惣山当ニテ敷地検査ノ上蒔入サセ又松苗モ同断植付サセ不行届村ハ掟耕作当山当一人ニ付弐拾銭宛科金申付候事
各村々には農事係の耕作当・山当・かいて松・シュロ・チャーギの種子を播かしていた。これを村の人民に指導していた。これを怠ると、村の耕作当・山当が罰せられるのである。
凶作の食糧として蘇鉄も各村々の山野に植付けをしている。
第四条山野ヨリ茅秩草・蘇鉄葉ヲ苅取者ハ原番札渡付前条手続ノ通リ科金申付、他村他間切ノ者ハ前条但書同断。
原番札はハルゴーといい次の犯人取押をして次渡するまで日割計算で科金される仕くみになっている。
このように「間切内法」、「各村内法」があって村の自然環境を守ってきたのである。開発という自然破壊をやっている現今のやり方に内法もなく、防止の条例さえもないのは、私だちの祖先に対し申し訳ない気がする。
「知念間切各村内法」は第三十四条まであるが、後日各条項に解説を加えて公表することが出来るよう努力します。
| ダウンロード | https://docs.google.com/uc?export=download&id=1biQeguCow1KiNTVJzQbxNqq4qfHAqRIR |
|---|---|
| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008553 |
| 内容コード | G000001365-0014 |
| 資料群 | 旧知念村広報 |
| 資料グループ | 広報ちねんNo.33(1984年10月) |
| ページ | 13 |
| 年代区分 | 1980年代 |
| キーワード | 広報 |
| 場所 | 知念 |
| 発行年月日 | 1984/10/20 |
| 公開日 | 2026/09/24 |